【映画】アオラレ(ネタバレ感想・心理学的考察)

映画『アオラレ』のポスター
(C)2021 SOLSTICE STUDIOS. ALL RIGHTS RESERVED.
スポンサーリンク

 

作品の概要と感想(ネタバレあり)

映画『アオラレ』のポスター
(C)2021 SOLSTICE STUDIOS. ALL RIGHTS RESERVED.

寝坊してあわてて息子を学校へ送りながら職場へと向かう美容師のレイチェル。
車を運転する彼女は信号待ちで止まるが、信号が青になっても前の車は一向に発進しようとしない
。クラクションを鳴らしても動じないため、レイチェルは車を追い越すが、つけてきた男から「運転マナーがなっていない」と注意されてしまう。
謝罪を求める男を拒絶し、息子を無事に学校に送り届けたレイチェルだったが、ガソリンスタンドの売店でさっきの男に尾けられていることに気づく──。

2020年製作、アメリカの作品。
原題は『Unhinged』。

昨今話題のあおり運転を取り扱った作品。
アメリカでも「road rage(ロードレージ、rage=激怒)」といった表現で問題になっているようです。

とはいえ、本作の原題にもなっている「unhinged」は「(精神的に)不安定な、錯乱した」といった意味合いなので、ラッセル・クロウ演じる男の狂気がメインであり、あおり運転はあくまでもその狂気を表現する要素の一つに過ぎませんでした。
ただ、様々な要素の中でも、あおり運転が大きくピックアップされていたのは間違いありません。

あおり運転や格差社会といったような社会問題も取り上げられつつも、社会派の作品というよりは、ラッセル・クロウの狂気を楽しむエンタメ作品
ラッセル・クロウ、初めて作品を観たのですが、もう「本当にこういう人なのでは?」と思ってしまうほど迫真の演技でした。

ちなみにラッセル・クロウが演じていた男性は、作中では「トム・クーパー」と名乗っていましたが、本名かどうかはわかりません。
エンドロールのクレジットでも、「man」と表現されていました。
しかし「男」と表現するのもわかりづらいですし、以下、トム・クーパーと表記します


本作はとにかく、文字通りトム・クーパーの暴走を楽しむ作品でした
序盤での初めてのあおり運転のあたりでは、「うわ、本当にありそう、怖」となりましたが、だんだんエスカレートしてくにつれ、「そうはならんやろ!」のオンパレード
たぶん本作鑑賞中、10回ぐらいは「そうはならんやろ!」と(心の中で)叫んだと思います。

トラックにパトカーがぺっちゃんこにされたり、車で横から体当たりして相手の車をひっくり返したり、いくら強い鎮痛剤を飲んでいたにしても肩を撃たれた上に車ごとひっくり返ったのにほぼダメージがないように見えたり。
トム・クーパー自身も彼が乗る車も、鉄壁の防御力。
運転技術も神がかり的。

後半に向かうにつれてもうどんどん現実離れしていきますが、それを力業でねじ伏せるのがラッセル・クロウでした
「いや、そうはならんやろ!……あ、いや、こいつだったらあるかもな」と思わせてくる説得力。
それによってエンタメ作品として絶妙なバランス感覚となり、個人的にはかなり楽しめた作品でした。
いつブチ切れたのか丸わかりな目力、最高です。


一方で、アオラレる側のレイチェルは、何ともルーズさが目立つもどかしいキャラクターでした。
あおり運転においては、完全に煽る側が悪いのは間違いありませんが、本作においては、レイチェル自身がたびたび事態を悪化させている感も否めません
しかし、寝坊をした自分の非を素直に認めたり、息子カイルのゲームの話をちゃんと覚えていたりといった点からは、根は素直で優しい性格であることが窺えました。

ただ、ラストシーンで、あれだけの事件に巻き込まれたあとで車を運転して家に帰る神経の図太さは、並大抵のものではありません。
危機管理能力はだいぶ鈍そうで、今後も心配です
正当防衛とはいえ1人殺しているわけですし、あんなにすぐ家に帰れたのも謎ですけれども。

弟のフレッド夫妻は、本当にただただ巻き込まれただけでかわいそうでした。
どうでも良い点ですが、最初のシーンではレイチェル一家の構成が相当わかりづらかったです。
逃げる一瞬の隙を突いてトム・クーパーを撃ち、燃え盛るフレッドを助けた警察官が、陰で活躍したランキング第1位でしょう。

というか、トム・クーパーによる犠牲者は、全員何の罪もない巻き込まれでしたね。
ガソリンスタンドで助けてくれた男性とか、めっちゃ優しかったのに。
離婚弁護士アンディもかわいそうでしたが、店内でたくさん人がいる中で殺されてしまったシーンも、誰も助けようとせず見ているだけ、しかもスマホで撮影したりしている、といったような社会の風潮を風刺していた部分もあったのかもしれません。
ただこの点は心理的には仕方ない部分もあり、『ファイナル・ジャッジメント』という作品で取り上げています(作品としての面白さはちょっと微妙ですが)。


だいぶ都合良く、どんどんエスカレートしていく展開でしたが、現代の社会問題もうまく取り入れながらアクションエンタメに仕立て上げられており、個人的には好きな作品でした。
本作における教訓は三つ。
 1、触らぬ神に祟りなし
 2、スマホはちゃんとロックをかけよう
 3、ラッセル・クロウを挑発してはいけない

ちなみに以下の2枚は本作のポスターなのですが、『13日の金曜日』『エルム街の悪夢』のパロディになっていて、とても面白い。
タイトルは邦題の『アオラレ』のローマ字表記になっていますが、元はアメリカで作られたポスターで、輸入にあたりタイトル部分をわざわざ差し替えたようです。

映画『アオラレ』のポスター
映画『アオラレ』のポスター


ちなみに一応、以下が元ネタです。

映画『13日の金曜日』のポスター
映画『エルム街の悪夢』のポスター

全然こんなスラッシャーホラーではないのに、なぜ?とも思いましたが、終盤のトム・クーパーはもはやジェイソンやフレディ並みの半不死身モンスターと化していた気もするので、現代版の恐ろしいキラーとして描かれていたのかもしれません

スポンサーリンク

考察:あおり運転とトム・クーパーの心理(ネタバレあり)

映画『アオラレ』のシーン
(C)2021 SOLSTICE STUDIOS. ALL RIGHTS RESERVED.

あおり運転の心理

上述した通り、あおり運転がメインの作品というわけではありませんが、せっかくなので少し簡単に。

「あおり運転」という言葉の語源は定かではありませんが、アメリカでは上述した「road rage」や、「aggressive driving(攻撃的運転)」という用語で取り扱われています。
社会問題化して大きく話題になっているのは比較的最近ですが、スティーブン・スピルバーグ監督の1971年のテレビ映画『Duel(邦題:激突!)』では、追い越したタンクローリーに追いかけ回されるという恐怖が描かれており、決して最近誕生した現象ではありません。

日本国内でも研究は進められており、あおり運転を行うドライバーに関していくつかの特性などが明らかになってきています
主だったものをピックアップすると、以下の通り。

  • 苛立ちを攻撃的運転に繋げやすいのは若年男性だが、他者の交通違反や自分の運転が妨害された場合に強い怒りを感じるのは、年長者や運転経験の長いドライバーという研究もある
  • そもそもあおり運転を行うのは、一時的な怒りの感情の発露のケースもあれば、自分にとっての「正しい運転の基準」によるしつけや制裁目的もある
  • 衝動性の高さやダークトライアド(後述)は、運転中の怒りや攻撃を高めやすい
  • 日常での不満やストレス(特に職場での不公平感)が、運転中の怒りや攻撃を高めやすい
  • 交通以外の犯罪行為があると、危険な交通行動も多い傾向がある
  • 運転中の怒りと普段の怒りは、完全に一致するものではない

ダークトライアド(Dark Triad)というのは、社会的に嫌われやすい特性である「自己愛傾向」「マキャベリアニズム」「サイコパシー」の三つの総称です。
つまり、自己中心的、特権意識、道徳性がない、他者を操ろうとする、人から搾取しようとする、共感性や罪悪感の欠如、無責任、衝動的……など、明らかに社会の中では問題を起こしそうな傾向を兼ね備えたパーソナリティ傾向です。
この傾向があれば、あおり運転に限らず、犯罪や問題を起こしやすいのは明らかでしょう。

上述した以外にも、普段から怒りのコントロール(マインドフルネスなど)が身についている人は攻撃的運転をする可能性が低かったり、間欠性爆発性障害(急激に怒りの感情を爆発させてしまう精神疾患)の人もいたり、といったものもあります。

いずれにせよ、「あおり運転」といってもその内容も多岐にわたりますし、何かはっきりした唯一の原因があるわけでもありません。
ただ、元々の衝動性やパーソナリティをベースに、ストレス等の環境的要因が影響して起こるというのはほぼほぼ共通していると考えられます。

あおり運転に限らず、ハンドルを握るとスピードを出したり暴言を吐いたりといったように性格が変わるのは、ドレス効果(制服など着ているものの影響を受けて気持ちや性格が変わる)の影響とも言われます。
簡単に言えば、頑丈でスピードの出る車という乗り物を操ることで、自分が強くなったように感じ、気が大きくなってしまうのです。
銃を持つと気が大きくなるのに似ています。

トム・クーパーの心理

あおり運転の場合は上述したようなものでしたが、トム・クーパーの心理はどのようなものだったのでしょうか。

彼の場合、まず重要なのは問題行動はあおり運転だけではないということです。
本作以前にもあおり運転をしていたのかはわかりませんが、少なくとも、レイチェルにあおり運転をするよりも前に、元妻を殺害していました。

トム・クーパーは、もともとやばい人物だったのか?というと、決してそういうわけでもなさそうです
以前は就労や結婚もしていたことや、落ち着いたトーンで話すときの様子からは、少なくとももともと極端に反社会的な人物ではなく、それなりに社会には適応していたことが窺えます。


怪我による失職や離婚が影響して精神的におかしくなったのは間違いないでしょう
失職したから離婚になったのか等ははっきりわかりませんが、おそらくほぼ同時期であることも間違いないはずです。

ニュースでは「職場で負傷し薬物依存となり暴力的に」と説明されていましたが、ドラッグ的なものをやっていたシーンは描かれておらず、作中の様子からも、ドラッグで錯乱して暴力的な行動に至っていたとは考え難いです。
鎮痛剤など錠剤の薬を飲むシーンが何回かあったので、おそらく鎮痛剤や抗うつ薬といった市販薬・処方薬の依存だったのかな、と考えられます。
ちなみに、市販の頭痛薬や風邪薬の連用で依存症になるケースもあるので、注意しましょう。

市販薬・処方薬の依存で精神状態は乱れていたかもしれませんが、それだけで本作の問題行動をすべて説明するのは無理があります。
やはり一番大きいのは、失職に離婚と、すべてを失った(ように感じた)ことでしょう。

簡単にいえば、すべてを失い自暴自棄になったのが主たる原因でした。
そして、すべてを失ったのは「周りの人間が悪い」「社会が悪い」という被害意識
それが社会全体への恨みとなり、唯一残された「暴力」という手段での報復となりました。


似たような心理メカニズムとして連想されるのは、無差別な通り魔などの大量殺人犯です。
これまでにも櫛木理宇の小説『死刑にいたる病』の考察などでも取り上げましたが、大量殺人を引き起こす要因として、レヴィンとフォックスという犯罪学者たちは以下の6要因を挙げています。

  1. 素因:①長期間にわたる欲求不満 
       ②他責的傾向
  2. 促進要因:③破滅的な喪失
         ④外部のきっかけ
  3. 容易にする要因:⑤社会的、心理的な孤立
            ⑥大量破壊のための武器の入手

トム・クーパーの場合、失職後に再就職しながらもうまくいかなかったり、元妻に対しては接近禁止命令が出ていたことからは、失職や離婚はつい最近というわけではないと考えられます。
失職や離婚後、それなりの期間にわたってずっと不満を抱き続けていたでしょう。
怪我による失職や、もし元妻が不倫などしていたのであればかわいそうな側面もありますが、作中の言動からは「自分の不幸は他者や社会のせいだ」といった他責的な傾向も強く見られます。
ここまで極端ではなかったにしても、少なからず以前からそのような傾向はあったはずです。

破滅的な喪失はもちろん離婚や失職で、それによる心理的な孤立も明らかです。
外部のきっかけは、レイチェルのクラクションでした。
大量破壊のための武器の入手というのはありませんが、頑丈な車や自分の肉体がそもそも武器でした。

彼にはまた、とっても粘着質なストーカー気質も見られました
ストーカーに多く見られる特徴の一つに、怒りの感情が時間の経過によって弱まることなく、いつまでも持続するというのがあります。
むしろ、時間の経過によって怒りが強まることも少なくありません。
そのことしか考えられなくなってしまうのです。

トム・クーパーも、元妻の殺害・放火については、ストーカー殺人的な要素が強かったと考えられます。
元妻の家にいたのは元妻だけではなかったようでしたが、おそらく子どもなどではなく、元妻の新しいパートナーでしょう。
接近禁止命令が出ていたということはこれまでもトラブルがあったと推察されますが、おさまらない怒りが最終的に殺人にまで発展してしまいました。
元パートナーによるストーカー殺人事件での典型的なパターンと言えるでしょう。

しかし、それで彼の怒りは少しは落ち着いたかもしれませんが消えることはなく、社会全体に対する不満は燻り続けていました。
とはいえ彼は無差別な犯行に至るほどではなく、それなりの理性は維持していましたが、そこに新たな火種を注いでしまったのがレイチェルでした

最初の車の窓越しでの会話では、頑張って怒りを抑え込みながら何とか落ち着いて話そうとして、一方的に謝罪を求めるのではなく自分も非を認め謝り、理性による平和的な解決を試みていましたが、レイチェルの反発により爆発してしまいます。
レイチェルはレイチェルで、あそこは謝っておいて良かったんじゃないかなと思いますが、彼女もまた不満やストレスを抱えていたので、意地になってしまったのでしょう


トム・クーパーは、現代社会の問題が凝縮して投影されたようなキャラクターでした。
しかし、どれだけ不遇だろうと不幸になろうと、そのような人たち全員が他者を傷つけたり犯罪行為に走るわけではありません。
トム・クーパーにかわいそうな要素があったのは間違いないでしょうが、彼の内面に問題があったのもまた、間違いはありません
本作で描かれた社会問題は改善を目指していく必要がありますが、それだけのせいでトム・クーパーというモンスターが生まれたと考えるのは間違っており、本作における犯行の責任は、あくまでも1人の人間である彼個人にあったと捉えるべきでしょう。

コメント

タイトルとURLをコピーしました