作品の概要と感想(ネタバレあり)
ハロウィンの夜、ハーパーはルームメイトとパーティで知り合った大学生たちとともに、郊外にあるお化け屋敷に向かう。
廃墟のような屋敷、彼らを迎え入れる不気味なピエロに期待をふくらませ、ハーパーたちは屋敷の中へと進んでいく。
やがて、その屋敷が単なるお化け屋敷でないことに気づいていく──。
2019年製作、アメリカの作品。
原題は『Haunt』。
はい、こんなの、面白くないわけがありません。
設定だけでもう大好きです。
内容としては、『ソウ』や『パーフェクト・トラップ』を彷彿とさせるような、ソリッドシチュエーションスリラー路線。
決められたルートに(半ば強制的に)導かれながら、主人公たち若者グループに次々と恐怖が襲いかかります。
しかし、殺人鬼側が非常にお間抜けなので、どこかほっこりした空気も漂ってしました。
まさに頭を空っぽにして楽しめる、究極のエンタテインメント。
……と、ほとんど情報を見ずに観始めたのですが、何だか意外とけっこう完成度が高いな……と思って調べたところ、『クワイエット・プレイス』の監督に、『ホステル』『グリーンインフェルノ』などの監督、イーライ・ロスが製作、プロデューサーとして関わっていたんですね。
鬼才イーライ・ロス、大好きです。
PG12だけあって、怖さもグロさも比較的マイルド。
ただ、PG12ラインのぎりぎりを攻めてそうな演出もあり、決して物足りないわけではありません。
何が起こるんだろう、という緊張感は終始つきまといます。
(グロ表現に定評のある)イーライ・ロスを使っていながらわざわざPG12というのは、それこそ「怖がりだけど怖いもの見たさでついついお化け屋敷に入っちゃう」ぐらいの人にちょうどいいホラー映画を目指したのでしょうか。
無駄な部分は思い切ってカットして、しっかり殺人お化け屋敷エンタテインメントに特化した作品です。
殺人鬼たちの背景や動機なんて、ほとんどわかりません。
細かい部分にこだわらない。
その分、荒さはかなりのものですが、取捨選択がしっかりとされているため、方向性がはっきりしている印象を受けました。
特に序盤、普通のお化け屋敷風の演出から、徐々に「何かおかしいぞ……」という狂気が現れてくる過程は、観ていてわくわくしました。
お化け屋敷ギミックも、いい味出してます。
一方で、後半はトラップ重視になっていき、だんだんと「あれ、これってお化け屋敷じゃなくてもいいような……」といった雰囲気にもなってきますが、ご愛嬌。
思わせぶりなシーンがありつつ、特に何の伏線でもなかったようなポイントがけっこうあるのも、ご愛嬌。
突っ込みポイントは多数ありますが、「殺人鬼が作ったお化け屋敷でわっちゃわっちゃ!」という軸が、最後までぶれることなく展開されていきます。
みんなどこかで見たような風貌の殺人鬼など、有名なホラー映画のオマージュと思われる演出も多数。
劇中、「近くにお化け屋敷が5軒もある」って言ってましたけど、アメリカってそんなにお化け屋敷あるもんなんですかね……?
考察:入れ子構造の秀逸さと、原題の意味(ネタバレあり)
「フィクションを楽しむ主人公たちをフィクションとして楽しむ観客」
まずこの作品で秀逸だと思った点が、「フィクションを楽しむ」ことからスタートする入れ子構造になっていたことです。
ホラー映画は、(ドキュメンタリーなどを除けば)あくまでもフィクション、作り物。
それがわかっているからこそ、観客は安全な場所から安心して恐怖をエンターテインメントとして楽しむことができるのです。
けれど、『ホーンテッド』は、主人公・ハーパーたち登場人物も同じ状況でスタートします。
お化け屋敷という「作り物の恐怖」を、娯楽として楽しむ。
それはまさに、観客と同じ視点です。
それが徐々に、本物の恐怖に変わっていく。
その感覚に、観客の気持ちもリンクしていく。
どこまでが作り物で、どこからが本当の恐怖か、わからなくなっていく。
もちろん、観客はずっと安全な側にいるわけですが、同じ視点でスタートしているだけに、登場人物の「娯楽から本物の恐怖に変わっていく過程」にリンクしやすくなっています。
また、「ホラーのお約束」に沿っていないのもこの作品の特徴です。
『13日の金曜日』などを筆頭に、チャラく軽い若者たちが被害者になるのは古典ホラーの定番ですが、主人公たちのグループは、決してそこまで愚かな感じでもない(その点は『X エックス』などにも似ています)。
性的な行為にも走らなければ、無駄な単独行動も取らない。
それなのに、ただ「たまたま迷い込んでしまったから」という理由だけで、次々と襲われていく。
その点は、ハロウィンパーティでの、ハーパーの「赤ずきん」の仮装が象徴的です。
ホラー映画につきものの「襲われてもしょうがないよね」要素がほとんどないところも、この作品の「作り物と現実の境界線」を曖昧なものにする一因となっています。
「HAUNT」の意味するもの
この作品も、よくある「邦題のせいで安っぽいイメージになってしまっている映画」のひとつでしょう。
原題の『HAUNT』に対して邦題が『ホーンテッド』となっているのは、ディズニーのホーンテッドマンションとか、そもそもお化け屋敷が「Haunted house」であるため、イメージしやすさを重視したものと思われます。
付け加えられた『世界一怖いお化け屋敷』なんて、その最たるもの。
「センスをすべて投げ捨てて、わかりやすさだけを追求したタイトル」になっています(確かに、わかりやすいけど)。
「haunted」という英単語を調べると、以下の意味が出てきます。
- 幽霊のよく出る
- 取り憑かれた
- 悪夢につきまとわれた
一方で、「haunt」はもう少し広い意味合いになります。
- (幽霊が)出没する
- (人が場所に)よく訪れる
- (幽霊や不吉な思いなどが人に)つきまとう
- (心の中に悪い記憶や予感などが)絶えず思い浮かぶ、立ち現れる
- (悪い記憶などが人を)悩ませる
- 巣窟
幽霊が出没する、つきまとわれているようなところから転じて、「嫌な記憶やトラウマなどが(幽霊のように)つきまとう、頭から離れない」といったニュアンスが含まれます。
『ホーンテッド 世界一怖いお化け屋敷』では、まず単純に「巣窟」という意味で「殺人鬼の巣窟に飛び込んでしまう」のはもちろん、それだけでなく、その多義的な意味合いが重なっているように思いました。
主人公のハーパーは幼少期、父親が母親に暴力を振るう場面を、ベッドの下からよく目撃していました。
直接被害を受けなくても、「DVを日常的に目にする」だけでも虐待になります。
ハーパーは、そんな暴力を振るう父親を嫌っていたにもかかわらず、よく似たような男性、アルコール依存で暴力を振るうサム(だいぶ健康的な感じだったりけっこう運転してたけど)と付き合っていました。
過去に虐待を受けていた子どもが、なぜか同じように暴力を振るうパートナーを選んでしまい、DVを受けるというパターンは、よく見られます。
そういった意味では、トラウマ的に過去の虐待体験をフラッシュバックしていたハーパーは、暴力につきまとわれていたとも言えます。
さらには、「究極の暴力の象徴」とも言える「殺人鬼のお化け屋敷」に向かってしまう。
殺人お化け屋敷の敷地に入る際、「HAUNTED HOUSE」という看板の「ET HOUSE」部分のライトが消えて「HAUNT」になっていたのも、「殺人鬼の巣窟」であると同時に、「(また暴力の渦巻く場所を)訪れてしまう」という意味もあったのかな、と思いました(たとえ自分で選んだわけではないにせよ)。
「まるでお化け屋敷」だった自分の家を訪れる夢を何度も見る、というのも同じく。
冒頭でも、「彼につかまれた」「襲われて、服をはぎ取られ……」なんて女性が言っているホラー映画(ジョージ・A・ロメロ監督『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』のようです)をわざわざ観ているところも、それを裏づけます。
ゾンビ映画ですが、わざわざそんな台詞のシーンを切り取っていたのには、絶対意味があるはず。
さらには、「SAFE」「NOT SAFE」の分岐点で、わざわざネイサンとも離れてまで「NOT SAFE」を選んだのも、お化け屋敷に抵抗を示していたハーパーの行動としては不自然で、無意識的に危険な方向へ自ら進んでいってしまうハーパーの心性を象徴していたように見えました。
答えの出ない謎と考察
道中、追いかけてきていた車は、結局ただの思い過ごしだったのか。
「マスク」という単語がけっこう出てきますが、殺人鬼たちの目的は結局何だったのか。
冒頭で述べた通り、色々と思い切りの良い映画のため、解明されない謎や突っ込みどころはたくさんあります。
そのあたりは本筋ともあまり関係ないものも多く、謎のままですが、たびたび出てくるハーパーの回想シーン。
これは結局、どういうことだったのでしょう。
ラストのシーンでは、ハーパーが一人で殺人鬼の生き残り(ピエロ)を返り討ちにします。
それも、自分が巻き込まれた殺人お化け屋敷のギミックを再現して。
このシーンを見て、最初は、「ピエロが父親だったのか……?」と思いました。
病院のベッドで見た夢のシーンで、母親の後ろにピエロが出てきたのは、その暗示なのかな、と。
他にも何だかピエロにはハーパー絡みの行動が多く、何かを調べたかったのか預かったスマホをチェックしたり、サムの電話に対応したり、ハーパーたちが乗ってきた車を漁ったり(逃げられないように細工したのとも違うような)。
エスケープ・ルームのベッド下、鍵が隠されていた家型のオブジェのオルゴール曲を、最後にハーパーが実家のスピーカーから流していたのもよくわからず、もともと父親が持っていた音源なのか、とか。
最後にピエロが家に侵入した際、壁にかかっているはずの銃がないことに気がついた様子も、家の中の勝手を知っているのか?とも解釈できます。
ラストシーンは、実家にはもう誰も住んでいなさそうな雰囲気でした。
母親はもしかして、あの回想シーンで床に倒れたとき(ハーパーが指輪を拾ったとき)に死んでしまった?
でも、赤い殺人鬼(ダース・モール)も、ハーパーに「サムって誰だ?」という問いを投げていて、ハーパーに謎の執着。
さらに、ダース・モール(いや、エンドロールで見るとたぶん「Devil」ですが)がサムの名前を知っていたというのは、お化け屋敷に行く前、クラブの前で見かけた赤い姿は幻覚ではなかったということ?
しかも、サムに送った「サムなの?」というメッセージを見たのか?
ミッチ(『スクリーム』のゴーストフェイス風。エンドロールでは「Ghost」?)も、「リンカーン通り2425」という謎の発言。
もしかしてハーパーの実家住所?
でも、あの場面でエヴァンに言う意味もないか。
エスケープ・ルームも、人形があったり、「父が読み聞かせてくれた」という本があったり、何よりハーパーがいつも隠れていたベッドの下に鍵が隠されていたり、ハーパーの部屋の再現のようにも見えます。
全員がハーパーに絡んでいるような気がしなくもなく、このあたりはちょっとわかりませんが気になります。
「ヤツらがあなたを追ってくる」というベイリーの最後の台詞も、彼らの狙いはハーパーにあると言っているようで、意味深です。
やはり、ハーパーが取りつかれている(haunt)ということなのでしょうか。
ただの投げっ放しの謎かもしれませんが、何か仮説や考察、見落としている点があれば、ぜひ教えていただきたいところです。
ラストシーンの意味
さておき、最後はハーパーが実家でピエロを返り討ちにするシーンで幕を閉じます。
遡ると、ハーパーが反撃を始めたのは、エスケープ・ルームのベッド下のシーンからです。
トラウマのシーンと重なったところから、ダース・モールの目を鍵で突き刺して反撃する(トラウマについては、映画『ゴーストランドの惨劇』の記事もご参照ください)。
そこから、ハーパーは覚醒します。
撃たれた右肩のダメージなどまったく感じさせない覚醒ハーパーの前には、お間抜けな殺人鬼たちは為す術もなく、ばったばったと倒されていきます。
結局、最後にネイサンが「このままじゃ男として格好つかねぇ!撃たれたって構わん!弱ってるあいつは俺がやるチャンスだ!」と言わんばかりに、銃を持った相手に正面からバット持って突っ込んでいった以外は、全部ハーパーが処分してますよね。
それは一見、ハーパーが、ただ怯えることしかできなかった暴力に反撃をして、トラウマを乗り越え、さらには仲間の仇を討ち、すっきり爽快エンドロール!といったトラウマ克服物語にも見えます。
しかし、どうでしょう。
父親から受け、彼氏のサムからも受け、忌み嫌っていたはずの暴力を、ハーパーが振るう側になっただけのようにも見えます。
殺人お化け屋敷内での反撃は、生き延びるために必要だったかもしれません。
けれど、最後のピエロに関しては、警察に通報するなどして守ってもらう手もあったはずです。
わざわざ同じような環境を整えて待ち受けて殺害するというのは、暴力による復讐、暴力の連鎖に他なりません。
それを踏まえると、ハーパーは暴力に取りつかれた(haunt)まま逃れることができず、自らも暴力の衝動に飲み込まれていくという、けっこうバッドエンド的なラストシーンであったように感じました。
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