【映画】エスケープ・ルーム(ネタバレ感想・考察)

映画『エスケープ・ルーム』のポスター
(C)2019 Columbia Pictures Industries, Inc. All Rights Reserved.
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作品の概要と感想(ネタバレあり)

映画『エスケープ・ルーム』のシーン
(C)2019 Columbia Pictures Industries, Inc. All Rights Reserved.

謎の送り主からの招待状に応じて、賞金1万ドルの懸かった体験型脱出ゲームに参加することになった男女6人。
6人がシカゴの高層ビルに集まると、外界から隔絶された部屋に閉じ込められ、何の前触れもなく突然ゲームがスタートする。
姿の見えないゲームマスターの仕掛けた命懸けのゲームに翻弄される6人は、死に物狂いでゲームを進めていくうち、それぞれが過去に大惨事に遭い、その場で唯一の生存者だったという共通した過去を持っていることが明らかになる──。

2019年製作、アメリカの作品。
原題も『Escape Room』。

『#フォロー・ミー』などと並び、最近多いリアル脱出ゲームに巻き込まれる型の作品。
大きい枠としては、デスゲーム系に含まれますかね。
『CUBE』『ソウ』を掛け合わせたようなイメージの作品でした。
天才少女が登場するところも『CUBE』っぽさを感じましたが、その設定がそれほど活かされなかったのはやや残念なところ。


要素としてオリジナリティが高いわけではないのに、個性を強く感じた作品でした。
それはおそらく、音楽、魅せ方、スピード感によるものだと考えています。

スタイリッシュでクールな音楽は、場面によって色々なパターンがあり、緊迫感を高めていました。
音楽がかなり良い仕事をしていた印象です。

魅せ方は、取捨選択がしっかりなされてメリハリが利いていました。
こういったデスゲーム系・脱出ゲーム系は、ゲーム内容こそが命なので、チープだと白けがち。
かといって、壮大になるほど現実感が薄れてしまうというジレンマを抱えています。
個人的に『ソウ』シリーズが大好きなのですが、シリーズ後半になるほどギミックの壮大さがインフレ状態となり、「いや、どうやって作ったん、どうやって設置したん」と突っ込まずにはいられません。

『エスケープ・ルーム』では、多少の現実感を犠牲にしても、とにかく「壮大な脱出ゲーム」としてのエンタテインメント性に重きが置かれていた印象です。
こういった作品にしては珍しくグロ表現もほぼ皆無のため、グロが苦手な人にも勧めやすいのも良いポイント。

現実離れした壮大さも、決して開き直るわけではなく、「スポンサーのついた闇の賭けゲーム」としてある程度説明がついていました。
この「大富豪たちのお遊び」設定も珍しくはないものですが、だいたいが闇の組織の存在を仄めかして終わりがちな中、『エスケープ・ルーム』では組織立てて運営されている様子もチラ見えしていたのが面白かったです。

魅せ方に含まれるかもしれませんが、スピード感も絶妙で、だれることなくテンポ良く感じられました。
展開としては速い方で、悪く言えば何が起こっているのかわかりづらいシーンもありましたが、こういった作品ではスピード感が遅いとツッコミポイントが目立ってしまいがちなので、個人的にはこれぐらいで良かったと思っています(後半は勢いだけで押し切った感もありましたが)。

ゲームの形式やギミック、そして緊張感の種類も多様なため、飽きることなく観進められました。
画面上の演出面も多様で面白く、特に終盤のベンとジェイソンがバトルした解毒剤を探す部屋のぐにゃぐにゃ感、好きでした。


突っ込みポイントはどうしても多めで、それは仕方ないですが、さすがに突っ込まずにはいられなかった大きなポイントとしては、

  • 氷に触れたら手がくっついて皮が剥けてすぐにボロボロになりそう。コートを被せてその上から温めた方が良かったのでは?というかそもそも良く溶けたな
  • 監視カメラ、あんなに簡単に壊れちゃうの?
  • ゲームマスター(進行役)、1人だけで無防備過ぎません?しかも抵抗が簡単に予想される絞殺って……

といったあたりですかね。

残念だったのはラストで、「大富豪の遊び設定」「生き残っても終わっていなかった展開」はベタベタだったので、難しいのはわかるけれどもう一捻り欲しかったと思ってしまいました。
ただ、ゲームのシミュレーションシーンは斬新で好きでした。

個人的に好きなキャラはゲームオタクなダニーでしたが、速攻、しかもゲームに失敗したわけでもなく意図的に演出として殺されてしまった悲劇。


終盤、生き残ったベンにゲームマスターが語る、

「生きるために戦う人間に人は昔から魅了されてきた」
「だが今や世界はヤワで安全になった」
「そこで、今も野蛮を好む人たちのために究極の命がけのドラマが視聴できる席を用意した」
「期待値は年々高まる」

というのはメタ的な発言でもあり、こういったホラーやスリラーを楽しむ観客にも向けられているのでしょう。
そういうシニカルさ、好きです。

細かい整合性を求める作品ではありませんが、後半では、いくつか説明が不十分だったポイントについて考察してみます。

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考察:曖昧な部分をいくつか検討(ネタバレあり)

映画『エスケープ・ルーム』のシーン
(C)2019 Columbia Pictures Industries, Inc. All Rights Reserved.

結局、現実だったのか?幻覚だったのか?

脱出後、天才少女ゾーイが警察と脱出ゲームの現場に行ったときには、そこは廃墟のようになっていました。
まったく信じてもらえず、警察からは「幻を見たことは?」と疑われてしまう始末。

これはどういうことだったのか?というと、幻覚説はさすがにないでしょう。
全員が同じ幻覚を見ていたことになりますし、相当な無理があります。
同じく生き残りのベンの体内から見つかった違法薬物というのは、おそらくジェイソンと争った解毒剤探しゲームのときの影響だと考えられます。

現場にも、運ばれて行ったわけではなく自分たちで訪れたので、建物の場所が違う(異なる場所に同じ外見の建物がある)ということも考えられません

となると残る選択肢は、脱出ゲームは現実にあったけれど、ゾーイたちが脱出してから警察が来るまでの間に、速攻で撤収したというものです。

もともとお金には困っていない組織。
廃ビルを舞台として、参加者の過去に合わせたゲームや部屋を作り出し、そしてそれを撤廃して元の廃ビルに戻した、ということでしょう。

ちなみに、ゲームに招待してきたのも、もちろん教授や友人たちではなく、彼らの名を騙ったゲーム管理者たちです。
お金の力で何でもできそうな彼らのこと、きっとゲームの参加中に各自の家にある招待箱も回収していたのでしょう。

ゾーイたちはなぜ脱出できたのか

生き残ったゾーイとベンは、ゲームマスターを返り討ちにしてビルから脱出しました。

上述した通り、2人が脱出してから速攻でゲームの痕跡を撤収したとなると、あえて現実的な視点で考えれば、時間は相当逼迫していたはずです。
2人が脱出してすぐに取り掛からないと間に合わないでしょう。

逆に言えば、2人が脱出したことをゲーム管理者側は把握していたことになります。
それなのに、なぜ見逃したのでしょうか?
ゲームマスターの「競馬で優勝した馬が賞金をもらうか?」発言は、脱出ゲームで生き残っても、生きて帰すつもりはなかったことが示唆されます。

これらから想定されるのは、ゲームマスターもゲームの一部であり、駒の一つに過ぎなかったという考え方です。
ゲームマスターは、あくまでも進行役に過ぎません。
大まかな台本に沿って、大きな逸脱がないように進めて、生き残りも処分してゲームを終わらせる。
それがゲームマスターの役割だったのでしょう。

ベンを助けに銃を持ったゾーイが現れる直前、ゲームのモニタ映像が変更され、ゲームマスターとゾーイが「参加中」の表示になりました。
その直後にパソコンの裏からゾーイが現れたので、一瞬ゾーイがパソコンを操作して表示を変更したのかと思いましたが、さすがに意味もなければ、あの状況でそんな行動を取るのは余裕があり過ぎます。
おそらく、ゲームの管理者側が変更したのでしょう。

これはつまり、ゲームマスターもゲームの駒であり、状況によって参加者の1人となり得ることが、あらかじめ準備されていたことを意味します。
「ゲームをちゃんと進めて終わらせる」ことが役割の駒であり、失敗した場合はゲームマスターですら命の保証はないということです(そこまで彼が認識していたかはわかりませんが)。
そう考えると、感想のところでは「ゲームマスターが1人だけで無防備過ぎた」のは突っ込みポイントとして挙げましたが、それは必然でありゲーム上の演出であったのだと解釈できます。

ゾーイたちが脱出できたのも、ゲーム管理者側の想定内ということになります。
ゲームマスターが失敗して参加者が脱走した場合には撤収する準備をしていたので、見逃したのでしょう。
死亡した他の参加者たちについても、事故死などに見せかけて、ゲームが発覚しない自信があった。
そして、またいずれ次のゲームに巻き込む
それが、ゲーム管理者側の考えだったのです。

「no way out」の意味

その視点を踏まえると、ウータン・ユー(Wootan Yu)博士のアナグラム「no way out」も説明がつきやすくなります。

「no way out」は、字幕では「出口はない」となっていましたが、「抜け出す方法がない、逃げ場がない」といった意味です。
つまり、脱出ゲームに成功しようが失敗しようが、生き残ろうが逃げ出そうが、もはや一度巻き込まれたら抜け出すことはできないということが、最初から示されていたのです。
懸賞金を払うつもりも、端からなかったのでしょう。

殺すことが目的であったというより、どこまで生き残ることができるのか、というのをみんなで楽しむギャンブルゲームだったのでしょう。
だから「生存の確率が0パーセントではゲームにならない」のです。
虫の脚を1本ずつもいでいくのに近い感覚でしょうか。

ゲーム管理者やそれを楽しむ大富豪たちにとっては、まさにエンタテインメントでしかないのです。
もはや死が確定しているのに必死に生き延びようとする参加者たちの姿を見て楽しむというのは、相当に鬼畜で悪趣味なエンタメでした(好き)。

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追記(2023/01/20)

続編『エスケープ・ルーム2 決勝戦』の感想・考察をアップしました。



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