作品の概要と感想(ネタバレあり)
ハロウィンの大虐殺を生き延びたシエナとジョナサンはトラウマに苦しみながらも人生を立て直そうと奮闘していた。
しかし、街がクリスマスシーズンになり、聖夜を祝おうとする住民たちをよそに、アート・ザ・クラウンが再び姿を現し絶望のどん底に陥れる──。
2024年製作、アメリカの作品。
原題は『Terrifier 3』。
「ギコギコしちゃうぞ♪」から「全米が吐いた」、そして「全世界が吐いた」へ。
日本版のキャッチフレーズが誇大広告ではないと思えるぐらい、破竹の勢いで人気、知名度、評価を加速させている『テリファー』シリーズ3作目。
当初は日本では劇場公開すらなかった1作目『テリファー』ですが、3作目である本作は、スクリーンは小さめ(夜の回は広いスクリーンだったのに)というのはありましたが、初日の初回とはいえ、平日の日中に行ったにもかかわらずおそらく満席。
前作『テリファー 終わらない惨劇』とは配給会社が変わり、もはや社運のすべてをアートに賭けているのではと思えるほどのエクストリームによる怒涛のプロモーションの影響もあるとは思いますが、それにしてもすごい。
海外における評論家の評価も右肩上がり、というのもまたすごい話です。
それもこれも、一貫してダミアン・レオーネ監督が世界観を管理しているのと、デヴィッド・ハワード・ソーントンがアート・ザ・クラウンを演じ続けていることが最大の要因でしょう。
すでに4作目の制作も決まっているとのことで楽しみです。
以下の本記事には、1作目『テリファー』、2作目『テリファー 終わらない惨劇』のネタバレも含まれるのでご注意ください。
『テリファー』『テリファー 終わらない惨劇』については、それぞれ以下の記事をご参照ください。
3作目となる本作『テリファー 聖夜の悪夢』は、前作『テリファー 終わらない惨劇』から5年の月日が経過していました。
1作目のメイン部分から2作目の間は1年だったので、かなりの時間が流れたことになります。
それでも相変わらず、舞台をハロウィンからクリスマス時期に移し、ハロウィン時期とはまた異なるアイテムやギミックと共にアート・ザ・クラウンが大暴れ。
クリスマスならではの、星の代わりに生首を挿し、モールの代わりに腸を巻いたクリスマスツリーは、本作を象徴する出来栄えでした。
一方で、ストーリーは前作から引き続き、シエナを中心に展開されていきます。
ほとんどストーリー性を排除し、アートの殺戮に特化した悪趣味さとインパクトを前面に押し出した1作目でしたが、2作目は大きくストーリー路線に変化。
グロ・ゴアは据え置きながら、アートの異様さや異質さのようなものは影を潜め、コミカルさが強調される演出に。
結果、それが人気に繋がったのでしょう。
個人的に、2のストーリー重視のファンタジー路線は、鑑賞当初はいまいちに感じてしまいましたが、今回、3作目の鑑賞を前に再鑑賞した際には、記憶にあったよりも断然楽しめました。
殺戮特化の作品は、シリーズ化するには限界があります。
ストーリー重視に移行している本作ですら顕著になってきてしまっていますが、殺戮特化の場合はどんどん過激にするしかありません。
そうするとインフレ状態になりますし、観ている側も慣れてきてしまいます。
とにかくずーっと血や肉が飛び散り続ける『哭悲/THE SADNESS』がそうでしたが、ずーっとゴアが繰り広げられても麻痺してきてしまうんですよね。
あと、ジェットコースター的な楽しさがありますが、あまりあとに残るものがないのも事実。
その点、『テリファー』シリーズはストーリー性やキャラクターの深掘りを取り入れたことで、非常にバランスの良い作品に仕上がっているように感じます。
好き嫌いは別として、アートとシエナを軸としたストーリー性。
そのストーリーの中で定期的に挟まる、コミカルなアートによるド派手な人体破壊。
殺戮だけに特化していたら、今ほどの人気にはなっていないのではないかと思います。
あとはとにかく、アート・ザ・クラウンとデヴィッド・ハワード・ソーントンの一体感も非常に大きいでしょう。
アートの魅力は、もはやデヴィッド・ハワード・ソーントンありきとしか言いようがありません。
言葉を一切発しないアートの表情や動きによる表現は、シリーズを追うごとに豊かさを増し、洗練され、個性的なものになってきています。
ここまで来るとホラーアイコンとして確立したと言っても過言ではないと思うので、強い。
こうなると、もはやお約束のパターンだけでも観客を盛り上げることができます。
『ソウ』シリーズのジグソウによるゲームや、『ファイナル・デスティネーション』シリーズの死のピタゴラスイッチのように、ストーリーが少し中弛みするような場面でも、とりあえずアートの殺戮を挟めば楽しさが維持できてしまいます。
アートのキャラ自体は、シリーズを通して見ればけっこうブレというか変遷が見られます。
1作目はとにかく不穏、異様、訳のわからなさが最大の恐怖。
そこから2作目は、コミカルさが強調され、不気味さが少しだけ減りました。
3作目では、クッキーを食べたりトイレに行ったり、凶器を自分で工作したりと、妙に人間らしさも窺えます。
ここも評価が分かれるポイントかもしれませんが、個人的には正解だったと思っています。
「未知のインパクト」というのは、当たり前ですが最初しか通用しません。
1作目のアートの不気味さをそのまま2作目で維持することは難しかったでしょう。
コミカルにキャラの個性を強めたことが、アート自体の人気の確立にも繋がっているはず。
1作目の、1人で三輪車を漕いだり、女性の皮を剥いで身につけて女装したりといったような、「何がしたいのかもわからない恐ろしさ」は鳴りを潜め、ある意味「優等生」的な殺人鬼像になりましたが、やはり終始無言でコミカルな動きが、アートにしかない魅力です。
と、シリーズを通した話ばかりになってしまいましたが、正直、本作単体の感想が絶妙に難しいんですよね。
面白かったのは間違いありませんし、ネズミの注入や進化系「ギコギコしちゃうぞ♪」など印象的な殺戮シーンも多々。
お手製の道具を使った殺戮や、子供や動物にも容赦のない残虐度はシリーズ随一。
エンドロールの替え歌クリスマスソングも好き。
一方でストーリーについては、前作から繋がって進展しつつも「次作に繋がるよ」という要素が思った以上に多かったので、「まだ途中だから、とりあえず次を観てからでないと何とも言えないな」という感じが強め。
なので、考察もそれほどしようがないというか、次がある前提なので今考えても仕方ない感も否めません。
それでも、今ある情報を少し整理しつつ考えてみたいと思います。
考察:いくつか細かい点の検討と、すべては4作目へ……(ネタバレあり)
「アートはシエナの父親が生み出した」説の再検証
前作『テリファー 終わらない惨劇』の考察において、「アートはシエナの父親が生み出したのでは?」という説を提唱しました(詳しくは前作の記事をご参照ください)。
本作において、この説がとんでもない見当違いで終わる可能性も危惧していましたが、幸か不幸か判断は持ち越しとなりました。
いや、むしろやっぱり怪しいのでは?という描写もあったので、個人的には少しプラス。
本作でついに生前の姿を見せたシエナ父でしたが、そこでウォリアースタイルの女性のイラストをシエナに手渡していました。
強い女性キャラというのはシエナのリクエストだったようですが、これは前作のシエナのコスプレに通ずるイラストです。
このイラストをシエナに渡す際、シエナ父はなかなか手を離さず、謎の抵抗を示していました。
このシーンはシエナの深層意識あるいは妄想である可能性もありますが、そのまま事実として受け取ると、アートを倒す未来をシエナに託したい、一方では託したくないという相反した思いの葛藤のように見えます。
アートはシエナ父が生み出した、あるいはシエナ父の悪の部分だとすると、納得はできます。
どうか悪を消し去ってほしい。
しかしそれは自分を消し去ってもらうこととと同等なので、それに抵抗もある、と解釈できます。
ただ、本作で新しく登場した情報もいくつかあります。
まず、シエナ父に指示して剣を作らせた(でしたっけ、ちょっと曖昧)という謎の存在や、何やら鍛治をして作っている謎すぎるシーン。
これが明かされるのは次作でしょう。
次に、ビクトリアの存在。
これは前作のピエロ少女(ペイルガールというらしいです)の転生した、というか器を得た姿。
このペイルガールの存在について、本作のパンフレットのインタビューにおいてダミアン・レオーネ監督は当たり前のように「悪魔」と述べていました。
いや悪魔だったんですね!?
ちょっと急に風向きが変わってきました。
さらに、本作のラストシーンのバスの中で女性が読んでいた本のタイトルは『The 9th Circle』でした。
これは、ダミアン・レオーネ監督が2008年に製作した短編映画と同じタイトルであり、アートの原型が(おそらく)初めて登場した作品でもあります。
『テリファー0』の中にその短編が組み込まれているので、観ていない方はそちらでご鑑賞いただけたらと思いますが、これ、最後は謎の悪魔崇拝の儀式みたいなシーンで終わります。
これらを総合すると、若干雲行きが怪しくなってきます。
つまり、悪魔といった要素が絡んでいるのは間違いがなく、シエナ父がすべてを生み出したというよりは、シエナ父の悪魔信仰が影響していた可能性が浮上してきました。
イラストを渡す際に抵抗していたときには謎の風も巻き起こっていましたし、あの辺もちょっと悪魔の影響がありそうな。
ちょっと悪魔などが絡んでくると、現状の情報だけから想像を組み立てるのはだいぶ困難になってきてしまうので、そのあたりの真相は次作を待つしかないでしょう。
ただ、アートとビクトリアが5年の間冬眠のような状態になっていたのも、シエナの復帰を待っていたように思え、シエナに対するこだわりが感じられるのは変わりません。
シエナ父が何かしら鍵を握っているのは、やはり間違いないのではないかと思います。
ジョナサンは本当に死んだ?
こんなに大きくなっちゃって……と観ている側もしみじみをせざるを得ない成長を見せていたシエナの弟・ジョナサンくん。
前作の時点で薄々感じていましたが、本作で確信しました。
とても小顔であると。
彼がこんなにも!こんなにもあっさり退場するなんて!
その容赦のなさがまた『テリファー』とも言えますが、彼は本当に死んだのでしょうか。
正直、死亡シーンがなかったので何とも言えません。
判別方法もメガネだけでしたし。
死亡シーンがなかった場合、通常生きている可能性が推察されますが、先に死亡シーンを見せてしまうとあのシーンのインパクトが弱くなってしまうので、演出上の都合とも捉えられるので難しいところ。
あと、あの家の壁に身体を貼り付けられ、クリスマスツリーに生首を飾られていたのはコール(ギコギコされたジョナサンのルームメイト)だと思ってしまっていたのですが、あれはもしかするとおじさんですかね?
そうだとすると、おじさんが迎えに行ったジョナサンも殺された可能性がやはり高いのかな。
しかし、前作ではなかなか簡単にアートがジョナサンを殺さなかったのが気になっています。
これも単純に演出上の都合と言ってしまえばそれまでなのですが、基本的に痛めつけることが目的ではなく殺すことが目的なアートが、シエナとジョナサンにはかなり時間をかけて、痛めつけることが目的になっていたように感じられました。
まるで怒りをぶつけるような、虐待するような姿もまた、自分の中ではシエナ父の関与説を強める要因にもなっています。
ペイルガールがジョナサンの声真似だけできるのも、関係性があるように思えてなりません。
これらを踏まえて考えると、個人的にはまだジョナサンが生きている可能性もゼロではないかな、と思っています。
ガビーはどうなった?
突如出現した穴に落下したガビー。
あの穴は、前作でシエナが落ちた穴と同じでしょう。
あの穴の先は前作ではクラウンカフェでしたが、前作の考察では「シエナの無意識世界」と解釈しました。
穴、地下、水といった要素から、無意識の象徴と考えました。
しかしこれもまた、悪魔が絡んでくるとなると、俄然雲行きが変わってきます。
穴、地下から連想されるもっと単純な世界は、地獄です。
そう思ってみると確かに、煙が湧き出る見た目も普通に地獄っぽい感じがしてきました。
そうだとすると、そこに落ちたガビーはどうなるのか。
まぁ、普通に考えればやばいですよね。
ガビーも秘めたる力を持っているとはあまり思えないので、シエナがガビー救出に地獄に乗り込む伏線か、あるいはもしかするとガビーが敵として立ちはだかる可能性もあるかもしれません。
一つ気になる点があるとすれば、あの剣にガビーも触れていることです。
シエナも、あの剣に刺された傷が覚醒のきっかけになってしました。
剣でリーチを稼いでガビーを救出しようとしたシーンは、よりによってそれ使う!?と思ってしまいました。
他に近くにちょうどいい物がなかったのでしょうが、不自然というかやや強引と言えなくもありません。
あの剣に触れたことで、ガビーに何かしらの影響がある可能性もあります。
とはいえ、剣にはジョナサンも前作で触ってはいたから微妙かな……。
ガビーから話が逸れますが、最後にシエナの手のひらの傷が治ったのも意味深な謎。
シエナが何かしらの力に覚醒したからなのか、悪を断つ剣だから所持者であるシエナは傷つけないのか。
前作のお腹の傷も治ってましたからね。
シエナはそもそも、手を叩き砕かれながらも剣を持ってチェーンソーと戦っていた時点で強すぎて謎ですが、ここは単なる主人公補正で突っ込んではいけないところなのか、治癒能力か何かを得ていると解釈をして良いのかが微妙なところ。
いずれにせよ、パンフレットのダミアン・レオーネ監督のインタビューでは「これから制作に入る4作目ではアートとシエナのサーガが(たぶん)完結する」と述べられていました。
方向性についてももう少し述べられていましたが、パンフレットの内容なのでこれ以上は控えます。
ただ、あまり今の情報だけで想像してもそれを大きく上回ってきそうだったので、、大人しく楽しみに次作を待つのが賢明そうです。
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