【映画】ハッピー・デス・デイ(ネタバレ感想・考察)

映画『ハッピー・デス・デイ』のポスター
(C)Universal Pictures
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作品の概要と感想(ネタバレあり)

映画『ハッピー・デス・デイ』のシーン
(C)Universal Pictures

誕生日に、見知らぬ男カーターの部屋で目覚めた遊び人の女子大生ツリー。
その日の夜、マスクをつけた何者かに殺害されたツリーは、再びカーターの部屋で目覚める。
ループから抜け出すため、ツリーは犯人を探し始める──。

2017年製作、アメリカの作品。

「ビッチなティーンが誕生日に殺され続けるタイムループ・ホラー」

これは、U-NEXTにおける『ハッピー・デス・デイ』の説明です。
どれだけ適当で雑な説明なのか
そう思っていた時代が、確かに自分にもありました。

観終わった感想。

ビッチなティーンが誕生日に殺され続けるタイムループ・ホラーでした

何これめっちゃ面白い。
かなり好きな作品です。
評価が高いのでそれなりに期待してはいましたが、それをさらに上回る面白さでした。
邦題で改変されたっぽい雰囲気を感じさせるタイトルですが、原題も『Happy Death Day』

ジャンルは「ホラーコメディ」とも表現されている通り、ホラーっぽい演出が強めなのは序盤だけで、ループが繰り返されるのに伴い、ポップなコメディ色も強くなっていきます。
グロさなども皆無で、ホラーが苦手な人でも安心。
さらに、犯人は誰かというミステリィ要素、親子の確執を解消していく親子愛や感動要素、ループする中でカーターとの恋が進んで(?)いく恋愛要素と、96分という時間の中で、これだけの要素を詰め込んで表現できるんだと感動しました。

その分、犯人の動機が弱めだったり、ミステリィ要素も伏線が秀逸というよりは力技で解決していき、細かく見れば矛盾点も多く、色々と詰め込んでいるだけあってどっちつかずの中途半端さを感じる人もいるかもしれません。
それでも個人的には、無駄なく十分綺麗にまとまっている印象を受けました。

個人的に好きな要因としては、相当に計算されていると思われる演出。
パズルのように謎が解けていくといったような爽快感があるわけではありませんが、ループを繰り返す中で、自然とツリーのキャラや背景が深掘りされていきます。
初日のツリーは、誰が見てもビッチで自由奔放、好感を抱かれるようなキャラではありません。
それが、徐々にツリーを応援したくなっていく過程の計算され具合は、相当なものだと感じました。

「恐怖とギャグは紙一重」をあえて活かしたメリハリも良く、軽快な音楽に乗せて、犯人候補を偵察→違った→殺される、というループがコメディテイストでテンポ良く描かれるシーンは、爽快ですらあります。
全体を通して、緩急がしっかりとついているリズム感の良さも素晴らしい点。
そもそもそれほど長くはない96分という時間ですが、だれることなく、あっという間に駆け抜けます。
エンディング映像のクオリティの高さだけでも、この作品全体の完成度を物語っています。

お面をかぶった殺人鬼、自分が殺されるループを繰り返しながら犯人探しをしていく過程は、映画『スクリーム』やゲーム『ひぐらしのなく頃に』を彷彿とさせます。
『ハッピー・デス・デイ』で印象的なベビーマスクをデザインしたトニー・ガードナーは、『スクリーム』のゴーストフェイスもデザインしたようです。
天才か?



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考察:心を入れ替えて運命に打ち勝ってめでたしめでたし……ではない物語(ネタバレあり)

映画『ハッピー・デス・デイ』のシーン
(C)Universal Pictures

いわゆる「ループもの」は、映画に限らず小説や漫画、アニメ、ゲームなどでも数多く取り扱われており、もはやすでに一大ジャンルとして確立している感があります。
ループものの基本は、ループから抜け出すことが目的であり、そのためには何らかの目標を達成する必要があることがほとんどで、『ハッピー・デス・デイ』もその基本構造を踏襲しています。

ループものにおけるループは、タイムマシンなどを使って行われることもありますが、タイムリミットが訪れると強制的に発動したり、主人公が眠りに就いたり死ぬことで生じることも多々あります。
そう考えると、広く捉えればループものは「死と再生」をモチーフとした作品の1ジャンルと言えます。

「死と再生」のモチーフは、古来、様々な世界における昔話や御伽噺、神話でも多く見られる、普遍的なモチーフです。
心理学的には主にユングが取り扱っていた領域になりますが、革新的な変化が生じる際には、死の危機に瀕するような、あるいは(象徴的な意味も含めて)これまでの自分は死んだと感じるほどの体験がきっかけとなります。
その後に生じる変化は、基本的には創造的でポジティブなものです。

それゆえ、ループものに多く見られる特徴は、登場人物の変化、それも主にポジティブな変化、つまり成長です。
繰り返される悲劇や困難を打破するために立ち向かうだけではなく、これまでの自分を顧みて、心理的な成長を遂げていく。
むしろその成長がループから抜け出す要因となります
これらの作品は、諦めずに運命に立ち向かい続けて乗り越えていく姿が、読者や観客に勇気を与えるものとして受け入れられることも多くあります。

『ハッピー・デス・デイ』でも、そのような構造が描かれました。
自由奔放に遊びまくっていたツリーですが、実は3年前に母親を亡くし、それをきっかけに父親とも向き合えなくなっていったという背景が徐々に明らかになります。
ツリーが自分でも言っていた通り、誕生日に殺されるループを体験しながら、これまでの、そして現在の自分を振り返り見つめ直す
カーターとのやり取りなども通しながら、徐々に母親の死や父親に直面する勇気が生じてきます。

なぜ、ツリーがこのような苦難のループに取り込まれたのか。
タイムループが起こる理由はどうやら続編で描かれるようなので一旦置いておきますが、少し心理学的に考えてみると、「親が目を背けていることが子供に影響を与えるあるいは引き継がれるという視点から見ることも可能です。

本来、ツリーの母親の死を受け止めて、娘であるツリーとしっかり向き合うべきであったのは、ツリーの父親です。
しかし、ツリーの父親は、あえてその話題を避ける態度を取り、表面的な世間話に逃げていました。
目を背けても、事実が変わるわけでもなくなるわけでもありません。
そのために、ツリーが死という現実に直面することになった、と象徴的に見ることも可能です。

誕生日も同じで、1本の蝋燭で一緒に誕生日を祝っていた母親とツリーは、通常の母娘以上に、お互いをお互いの一部のように感じていた部分もあったはずです。
父親が直面を避けたことにより、母親の死に直面する役目がツリーに押しつけられ、母親と同一的な存在である自分の死を繰り返し体験することによって、母親の死にも向き合うことができるようになっていく

だからこそ、ループのたびに避けていた父親との会食に顔を出し、母親の死に対する正直な気持ちをぶつけたシーンには感動が生じます(父親は不甲斐ないですが)。
そのツリーの成長プロセスで大きかったのが、カーターの存在です。

他者から理不尽な死を与えられるというループの中で自分を見つめ直し、成長してきたツリー。
ツリーの非現実的な話を理解しようとして、唯一寄り添う姿勢を見せたのが、カーターです。
自己中心的で刹那的な生き方に逃げていたツリーが、初めて自分で自分を殺したのは、カーターのためでした。
カーターが殺されてしまったため、このままループを終わらせられたとしても、カーターは死んだままになってしまう。
与えられる死ではなく、他者のために自ら死を選んだのです。
ついにつかむことのできた、ループを終わらせられるチャンスを逃してまで。

ツリーの成長による現実への直面や、他者への思い遣り。
これまでのすべての歪みを修正して、最後には父親と相対する。
それによって、カーターとの今後を予感させるようなハッピーエンドを迎える……。

……と思わせて終わらなかったところが、個人的に好きなところです。
結局、ハッピーエンドと見せかけたあとに食べた毒入りケーキで死んだらしいツリーは、再びループ。
最終的に真犯人だったロリと対決しますが、ここはもう成長もへったくれもなく、取っ組み合い、逆に毒入りケーキを食べさせた上、蹴り飛ばしてロリを窓から落下死させるという力技で解決します。

ループの有無にかかわらず、「過酷な運命に立ち向かい、成長して打ち破り、乗り越えていく」というプロセスは、人間の強さや美しさを感じさせ、勇気や希望を与えられるため、普遍的で人気のテーマです。
しかし、現実はそう甘くはありません
どれだけ努力をしても、どれだけ成長しても、過酷な運命を前に為す術もなく立ち尽くすしかないということが、いくらでもあるのです。

『ハッピー・デス・デイ』は、そんな絶望的な現実を突きつけると同時に、希望も与えてくれます。
どれだけ頑張っても、結局駄目だった。
でも、何か、最後に勢いで解決しちゃった
そんなことがあるのもまた、現実なのです。


追記(2022/04/14)

続編の『ハッピー・デス・デイ 2U』も観ました。
こちらも完成度が高く最高な作品ですが、だいぶホラーからは離れてしまったので、ここでの考察等はひとまず行いません。
こちらでも書いた「理由があってツリーがループしていたのでは」という考察を逆手に取った脚本もたまりません。
3部作らしいので、最終作にも期待したいと思います(そこでまた書くかも)。

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