『ベニー・ラブズ・ユー』の概要と感想(ネタバレあり)
おもちゃデザイナーとして働く実家暮らしの男性ジャックは、35歳の誕生日に事故で両親を亡くしてしまう。
仕事でも失敗してお金に困った彼は、家を売ることを決意。
部屋に溢れる思い出の品を処分していく中で、幼い頃に大切にしていたぬいぐるみのベニーを捨てようとするが──。
2019年製作、イギリスの作品。
原題も『Benny Loves You』。
やんちゃなぬいぐるみが大暴れ!
な、ドタバタホラーコメディ。
ぬいぐるみなどを含めた人形系ホラーは、古くはチャッキーから新しくはミーガンまで色々とありますが、それらに埋もれることなく個性を放っていた作品でした。
本作が初長編となるカール・ホルト監督が脚本も務め、さらには主演として主人公ジャックまで演じていました。
子ども部屋おじさんジャックことカール・ホルト監督、何だかすごく誰かに似ているなとずーっと思いながら観ていたのですが、どうしても思い出せません。
どなたか、心当たりがありましたら教えてください。
本作は、エルモ似のぬいぐるみベニーがとにかく可愛い。
上述した通り、「殺人鬼」ではなく「やんちゃ」な感じなのがポイントでした。
常に笑っているのも、恐ろしさや狂気を感じさせなくもないですが、どちらかというと可愛いし子どものよう。
遺体の一部を持って見せにくるところとか、子どもや猫みたいな可愛さがありました(見せにくるところが、ですよ。遺体の一部を見せにくるところが、じゃありませんよ)。
コメディのノリも、ひたすら寒いギャグを連発、というわけはなく、ホラーコメディとしてバランスが程よかったと思います。
エミリーの人形(フランス人形)とか、リチャードの作ったロスコとか、意外(失礼)と伏線もしっかりとしており、ストーリーもこういった作品にしてはしっかりとあった上、うまくまとまっていました。
ホラーで言えばエミリーが一番怖かったですね。
捨てられたぬいぐるみの復讐劇とも捉えられますが、単純に恨んで復讐というわけではありませんし、価値観の押しつけがましさがあるわけではないのも好印象。
冒頭のわがまま少女はともかく、ベニーはジャックを恨んでいたわけではなく、ただ遊んでほしかっただけ感がありました。
というより、愛されたい、自分だけを見てほしい、といった気持ちかな。
そこはある意味切なさも感じますが、そういった感情を抱かせつつも、しんみりさせない勢いも良いバランス。
その意味では、人形系ホラーというよりはホラー版『トイ・ストーリー』に近い印象でしょうか。
何だかんだ、ベニーをかばってジャックが追い詰められていくところも面白いです。
まぁ、ぬいぐるみがやったんだと言っても信じてもらえないというのが大きいでしょうが、それでも、特に終盤はジャックのベニーに対する愛が感じられました。
警察官のキャラも何だかんだ良かったですし、登場人物全員、憎めないのも良い。
そして特筆すべきは、容赦ないグロ描写でしょう。
低予算だったことが推察されますが、「グロいけれどチープ」ではなく「チープだからこそのグロさ」であったことが、本作の魅力と個性を強めていました。
この違いはたぶん大きいのではないかと思います。
あえて低予算のチープさを逆手に取って、リアルに描いたらだいぶエグいことになる殺し方のオンパレード。
特に最後の、お腹を割いて内臓を掃除機(?)で吸引するところなんか、発想の勝利としか言えません。
映画『サプライズ』のとある殺し方と並ぶインパクトで、記憶に刻まれました。
チープだからとばかりに倫理観を振り切って、犬猫も容赦なく殺害。
ここはあからさまなぬいぐるみ犬を使用しているとはいえ評価は大きく割れそうですが、個人的には攻めていて評価したい。
「命ある犬の死」「命なきぬいぐるみを捨てる」という対比への感じ方の差は、一考の価値があるような。
とはいえ、ドライヤーで乾かしてどうにかしようとしているところなんか、全体のコメディ感によって何となく誤魔化されていますが、かなりのブラック度合いでしょう。
それらを含めて、『ソウ』などとはまた違った意味で、低予算なりの演出が優れていました。
冒頭、恐怖の悲鳴かと思いきや、超わがまま娘の癇癪金切り声。
ドライアイスです!感が抜群ながらも、ライトの当て方やカメラワークによる雰囲気の良さ。
両親の死に様も、「そうはならんやろ!」なコント的事故死ながらも、しっかりと個性あるグロさ。
スローモーションを駆使した無駄にかっこいいおもちゃ同士のバトル。
ペレットガンで撃たれているだけなのになぜか漂う悲痛感。
人形やぬいぐるみ系ホラーは多数ある中で、「見たことあるな」感を抱く演出が少なかったのは、なかなかすごいことだと思います。
決してそのような作品群をたくさん観ているわけないので、単なる自分の知識不足の可能性もなきにしもあらずですが、しっかりと監督がこだわりを持って作ったというのがひしひしと伝わってきました。
エンドロール後には短い映像もあり、見逃し注意。
屋根裏の女性、ラストバトルのあたりではすっかり忘れていました。
しかし、以降は内容からは少し逸れますが、人形やぬいぐるみが襲ってくる作品というのは、古今東西存在します。
日本も、日本人形に呪われたりするのは言わずもがな。
これって、なかなかに面白い心理だな、と思います。
すでに色々な人が考えていそうなテーマではありますが、おもちゃの中でも、人形やぬいぐるみは命や自我を見出しやすい特別な存在です。
それは当然ながら、人間や生物の形をしていることに起因するのでしょう。
そもそも藁人形とかだって、ただ頭部と胴体、手足があるだけで人間の代わりと見做されているわけです。
遊ばなくなったゲーム機が襲ってきた、とか、捨てようとしたドールハウスの中に閉じ込められた、とか、そういったホラーは知る限りありません(面白そうだな)。
人形やぬいぐるみは、ペットや友達のように、つまりはイマジナリーフレンドのように扱われる存在です。
なので、そこに命や自我が宿るという考え方なのでしょう。
無機物としては、『キラー・ジーンズ』など邦題では「キラー・◯◯」で翻訳されがちな一連のジャンルがありますが、あれも背景には人間の想いが関係していることが少なくありません。
そうでない場合でも、襲ってくるときには口がついたりと生物的な造形になりがちです。
恐怖というのがそもそも人間の主観ではありますが、人形やぬいぐるみ系のホラーというのは、だいぶ人間の価値観による影響が大きいな、とは感じます。
つまり、人間が勝手に擬似的な命を見出しているために、恐怖心や罪悪感を抱きやすいことによって生まれるホラーということです。
同じぐらい大事にしていたとしても、生命を宿す形をしていないものは、特別な事情がない限り恐怖の対象にはなりづらいでしょう。
恐怖の対象に限らず、『トイ・ストーリー』も生物の形をしていないキャラはいなかったような。
このあたりも興味深く、いずれ考えてみたいテーマです。
しかし、本作のような設定の場合、いらなくなった人形やぬいぐるみはどうすれば良いのでしょうかね。
さすがにぬいぐるみや人形を全部取っておくというのも難しいような、いやでも一度愛したからには責任を持つべきなのか……?
「いらないポイッ」じゃなくて愛情と感謝を込めて捨てれば大丈夫なのか……?
日本では人形供養がありますが、海外はそういうのがなさそうなので、どうするのかも気になるところ。
『アナベル』とか観る限り、捨ててみてやばかったらお祓いするしかないのでしょうか。
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