【小説】まさきとしか『レッドクローバー』(ネタバレ感想・心理学的考察)

小説『レッドクローバー』の表紙
(C) Gentosha Inc.
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作品の概要と感想(ネタバレあり)

タイトル:レッドクローバー
著者:まさきとしか
出版社:幻冬社
発売日:2022年8月24日

東京のバーベキュー場でヒ素を使った大量殺人が起こった。
記者の勝木は、十数年前に北海道で起こった家族毒殺事件の、ただ一人の生き残りの少女──赤井三葉を思い出す。
あの日、薄汚れたゴミ屋敷で一体何があったのか──。


いやもう、すんごい
初読みの作家さんでしたが、ぐいぐい引き込まれました。
とにかく読後感が悪いというか、何とも言えない気持ちになりました。
後味悪い系は大好きなタイプなのですが、それでも一気に読むと疲労感が。
複雑に絡み合い、そして見事なまでにこれでもかというほどすれ違いまくる人間模様。

いや、決して後味が「悪い」わけではないんですよね。
イヤミスや胸糞というのとも少し違う。
まさにグレーな感じというか、作品全体が灰色がかっているような印象で、もやもやと色々な感情が残る傑作でした
櫛木理宇作品に近い印象を受けますが、さらに煮詰めてどろっどろにした感じ。

時系列も視点も入り乱れるのに、すらすらと読める文章と構成はあまりにも見事でした。
プロットの段階でも大変だったのではないかと思いますが、著者の頭の中には「灰戸町」がしっかりと存在し、登場人物たちが生きているのでしょう。
文章は映像的でイメージしやすく、台詞も「こういう人、いるいる」と思わされる解像度の高さでした

自分が一番リアリティを感じてすごいなと思ったのは、焼死した少女・富恵の母である種田(丹沢)春香の「夏希おばちゃんの家に行くことちゃんと覚えてたんだね。えらいね」という台詞です。
虐待する親も、いつも暴力的・攻撃的なわけではありません。
それは当たり前ですが、フィクションではついつい暴力的な面だけで描かれがちです。
その中で、普通の母親のようなこの台詞はあまりにもリアルで、どんな調子で言っているのかまでイメージでき、すごいなと思いました。


本作の個人的なイメージとしては、「パズルが組み合わさるほどバラバラになっていく」といった感じです。
真相が明らかになるほど虚しさが増していくというか。
それぞれの人物の気持ちを知るほど、すれ違いが大きくなるというか。

視点によって登場人物の印象が変わるというのは、定番の手法です。
よくあるのは、たとえば登場人物Aについて、「Bの視点では悪者だったけれど、Cの視点から見たら実はBを思い遣った行動であったことが明らかになる」みたいなパターン。
あるいは、「A視点で真の気持ちが明らかになる」といったようなパターン。

しかし『レッドクローバー』では、他者あるいは本人の視点から見ると、すれ違いが生じていたことが明らかになるけれど、さらに印象が悪くなる、あるいはさらに何とも言えない気持ちになることが少なくありませんでした
たとえば、望月ちひろとその母・久仁子。
ちひろ視点では、「自己愛が強くネグレクトな母親」という印象で進んでいきます。
そして後半、ついに久仁子視点になったところで、「夫婦の不仲によるストレスで、このままだとちひろを傷つけてしまう」という、いわばちひろのことを考えて塩尻悦子(ちひろの祖母、久仁子の母)に預けたことが明らかになりました。

しかし、ここでよくあるパターンのように「そうか、本当はちひろのためを思って預けたんだな」と鵜呑みにはできません。
ちひろ視点では、たとえば久々に会いにきたときには「ちひろはこの町に住みたいのよね」と一方的に押し付けるなど、明らかに邪魔者扱いしていました。

本作の特徴は、各登場人物の視点がすべて一人称視点であり、全員が「信頼できない語り手」であることです
いや、信頼できないというより、「あまりにも人間らしい語り手」でしょうか。
久仁子自身、後ろめたさがあり、「これはちひろのためなんだ」と自分自身にも言い訳していたのかもしれません。
ちひろ視点の久仁子像も、ちひろの記憶違いやねじ曲げた認識という可能性もあり得ます。

そう、なので読者は「神の視点」で多くの登場人物の気持ちを追うことのできた本作ですが、それでもどこまで真実に迫れているのかはわからないのです。


さらに、それぞれの描写を真実として受け入れたとしても、果たして何が原因だったのかは定かではありません
というより、何か一つの原因に帰属できるものではないでしょう。

とにかく、怒りを中心とした負の感情の連鎖が凄まじい
丸江田逸夫は、ちひろの影響を受けた。
ちひろは、赤井三葉の影響を受けた。
三葉は、家族の影響を受けた。
三葉の母親も、色々事情があった。
何度も心を殺された者たちの、負の連鎖。

こんな社会が悪いとか、地方の閉鎖的なコミュニティは恐ろしいとか、そんな陳腐な言葉でまとめてしまってもいけません。
作中でも語られていましたが、たとえ一つの事件だけを取り上げても、犯人の「動機」など犯人自身ですらはっきりとは理解できないでしょう。
「カッとなってやった」「恨みを晴らした」などわかりやすい動機を求めるのは、「自分たちとは遠い世界の話だ」と安心したい心理に他なりません。

それと同様、本作も安易に問題点を何かわかりやすいものだけに帰属させてはいけないのです
勝木の「みんなあたりまえのことを望んだだけだったのかもしれない」という感覚。
不破栄の「殺すより殺されるほうを選びたいと思っているつもりでも、実際にそのときが来たらあっさり殺す側になるんだろうな、って思いますよ。僕はね」という言葉。

本作の登場人物は、異常者でも閉鎖的な地域社会の犠牲者でもありません。
さすがにヒ素での大量殺人までには至らなくとも、誰の心にも生じ得るものを内包しています。
人それぞれ刺さる部分は違うのではないか、と思うほど、多様な負の感情が渦巻く本作。
「他人事」「フィクション」として自分と距離を置ききれないからこそ、何とも言えない読後感が残るのでしょう


ヒ素による大量殺人といえば、やはり1998年の和歌山毒物カレー事件が想起されます。
この事件は、犯人として林眞須美に死刑判決が確定していますが、今でも冤罪説が根強く残っています。
神戸連続児童殺傷事件(1997年)の酒鬼薔薇聖斗などにも冤罪説があったぐらいなので、重大事件には冤罪説や陰謀論がつきものではありますが、和歌山の事件は直接的な証拠がなく状況証拠のみで、林眞須美も一貫して犯行を否認している点は、荒唐無稽な冤罪説・陰謀論とは少々事情が異なります。

『レッドクローバー』の世界においても、灰戸町一家殺害事件の犯人は赤井三葉である、少なくとも怪しい、と思っている人が大多数だったでしょう。
しかしその実態は、大きく異なるものでした。
林眞須美冤罪説を推したいわけではありませんが、わかりやすい答えに飛びついて「あいつが悪かったんだ、自分とは違うおかしなやつなんだ、はい終わり」と考えることなく処理してしまう恐ろしさも、本作では描かれているように感じました
もはや「本当に闇神神社の呪では」とすら思えてしまうほどですが、呪いなどに原因を求めるのも、同じようにお手軽な答えを求める心理と言えます。

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考察:主要登場人物の心理(ネタバレあり)

さて、そんな「表面的な情報だけで、簡単にわかったつもりになってはいけないよ」と言いながら矛盾している気もしますが、せっかくなので、主要な登場人物の心理について少し検討しておきたいと思います。

丸江田逸夫

豊洲バーベキュー事件の犯人、丸江田逸夫。
彼はなかなかセンセーショナルに登場しましたが、最終的には小物感が否めませんでした。

まず、彼の起こした豊洲バーベキュー事件は、大量殺人事件です
これまでにも櫛木理宇の小説『死刑にいたる病』や映画『アオラレ』の考察でも取り上げましたが、大量殺人を引き起こす要因としてレヴィンとフォックスという犯罪学者たちが挙げている、以下の6要因について検討してみましょう。

  1. 素因:①長期間にわたる欲求不満 
       ②他責的傾向
  2. 促進要因:③破滅的な喪失
         ④外部のきっかけ
  3. 容易にする要因:⑤社会的、心理的な孤立
            ⑥大量破壊のための武器の入手

まず、①の長期間にわたる欲求不満については、幼少期から怒りを溜め込んでいたことからも明らかです。
当初は本当の気持ちを押し殺し、見ない振りをして「何も感じない人生」のように自分でも信じ込んでいましたが、スズキを名乗るちひろとの出会いによって、自分の本当の気持ち(=怒りを溜め込んでいたこと)に気がつきました。

②の他責的傾向も顕著です。
「腹が立ったから。全部に」「みんな。俺に死にたいと思わせたやつらみんなだよ」「勝木さんには僕の言っていることが理解できないでしょうね。それは恵まれた環境にどっぷり浸かっているからですよ」という台詞。
これらからは、確かに不遇な環境で育ったことに同情の余地はありますが、「自分は悪くない」「環境さえ違えば自分はこうはならなかった」と考える傾向が強く窺えます。

③破滅的な喪失は、もともと彼には何もなかったと言っても良いでしょう。
彼が犯行を決心したのは8年前、ちひろと出会ったときです。
そのときの彼は集団自殺をしようとしていたぐらいなので、未練となるものは何も残っていなかったことが推察されます。

④外部のきっかけは、明らかにちひろです。
⑥大量破壊のための武器の入手も絡んできますが、彼女の言葉や存在、そしてヒ素という具体的な殺害手段を手にしたことが、彼を犯行に駆り立てました。
また、外部のきっかけとしてはコピーキャット=参考となる過去の事件などがあることも重要視されています。
丸江田の場合、それもまたちひろによる灰戸町一家殺害事件でした。

⑤社会的、心理的な孤立は言うまでもありません。
ただ、斜に構えた姿勢からは、周囲の人間に恵まれなかったわけではなく、自分から他者を拒絶していた側面もあったはずです。


以上のように、丸江田は6要因すべてに当てはまります。
中でも彼を犯行に駆り立てた大きな要因は「怒り」でしょう
上述した通り、彼は自分の現状に至る過去に対して、「いままでかかわったすべてのやつらに激しく怒っているのだ」という状態でした。

しかし、「みんな、全員」と言いながらも、彼のこだわりは社会的に恵まれた人たちにあったようです
自分の不幸は、これまで関わってきた周りの人のせいだ。
それが違えば、自分も幸せになれた。
だから、苦労せず環境に恵まれて、当たり前のように幸せを享受している連中が許せない。
そのため、彼が被害者に選んだパーティの参加者は「上級国民」ばかりだったのだと考えれます。
世界を憎んでいると言いながらも、結局はコンプレックスに近いものです。

このメカニズムは、2001年の附属池田小学校殺傷事件の犯人、宅間守と近いものがあります。
宅間もまた、自身の不遇を環境のせいにして、特にかつて憧れたエリート路線を生きる者たちを恨み続け、彼の中での「エリートの象徴」である大阪教育大学附属池田小学校を犯行の舞台に選びました。
「死ぬなら憎い連中に一矢報いて道連れにして死ぬ」といったような「拡大自殺」の要素がある点も似ています。

さらに丸江田の場合は、「ちひろに認められたい」という気持ちも強く抱いていました
拡大自殺と同じぐらい、ちひろにまた会いたい、そして褒められたいという欲求が感じられました。
「やっと自分に名前がついて、みんなに名前で呼ばれている感じです」という言葉からは、今までの孤立感が非常に強く窺えます。
彼自身の問題もあったでしょうが、彼が自分の存在を認めてくれていると感じられる人がこれまでいなかったのでしょう。

丸江田は、自分の気持ちを抑え込むことで生きてきました。
それを(良くも悪くも)解放し、生き方の価値観を根底から覆てくれたのがちひろであり、ある意味あの短い出会いで丸江田にとってちひろが教祖のような存在となったとも言えます。
「自分」という主体がないまま生きてきた丸江田。
豊洲バーベキュー事件ですら「ちひろに認められるため」「ちひろの事件を模倣した」わけで、最後まで主体がなかったともいえ、その点が小物感にも繋がってしまっていた要因でしょう。

望月ちひろ

灰戸町一家殺害事件の真犯人だったちひろ。
彼女の犯行もまた4人が死んでおり大量殺人には該当しますが、大勢を殺害しようという意図があったわけではなく、赤井家を狙った、結果として大量殺人になった、と表現するのが正確でしょう。
少なくとも、無差別なわけではありません。

ちひろもまた上述した6要因に当てはまります。
ひたすらにこにこして相手に合わせてきたのは過剰適応とも言えますが、ほぼ虐待的な環境下では仕方ありません。
丸江田同様、根底には不満や怒りを押し殺していました。
相手が悪い、やられる前にやり返せという考え方。
三葉から得た殺害方法と道具(ヒ素)。
親から見捨てられた上、三葉からも必要とされなくなったのではないか、そして三葉が理想とする存在ではなくなってしまったという喪失感や孤独感。


ただ、ちひろの場合は年齢が幼かったので、一概に当てはめて終わりにはできません。
他責傾向含め、価値観の多くは三葉からの影響を大きく受けていました

幼少期は恵まれた環境にあったようですが、自己中心的で傍若無人だった母親(久仁子)からは、本当の意味での愛情を感じたことはなかったのでしょう。
過剰適応的な反応は、親の機嫌を窺っていたことに起因すると考えられます。

さらには両親ともから「邪魔者」扱いされていると感じていたちひろ。
そんなときに出会ったのが三葉でした。

三葉については後述しますが、三葉は三葉で孤独を抱えており、ちひろを思い通りに、支配下に置こうとしていました。
2人だけの世界に閉じ込め、一種のマインド・コントロール状態にあったと言えるでしょう
マインド・コントロールにおいては閉鎖的な環境が重要となってきますが、排他的な灰戸町という町の存在がそもそもそのような環境でした。

ちひろがもともと暴力性や攻撃性が高かったかというと、そうではないでしょう。
むしろ、非常に純粋でした
愛情に飢えていたちひろが、自分を「特別」な存在として認めてくれる対象として出会ったのが三葉であり、三葉の強がりとも言えるような「やられる前にやる」という価値観を、そのまま吸収してしまいました。
それが溜め込んでいた怒りや不満と結びつき、短絡的な行動に走らせます。

ちひろの「三葉に操られていた」という感覚は、嘘ではないでしょう。
ただ、ちひろが勝手に三葉を理想化して、理想化した三葉に支配されていたと考える方が適切です。
その意味では、自分で自分を支配していたとも言えます。

不遇な環境やマインド・コントロール的な状況にあったとはいえ、殺人を犯して良い理由にはなりません。
また、ちひろは赤井家だけではなく、食べ物を買い漁って行った男性も川に突き落として殺害しています。
判断力が未成熟である点を差し引いても、ちひろ自身にも課題点があるのは間違いありません。
まるで罪悪感を感じていないように見える様子からは、むしろ純粋さが恐ろしい方向で現れています

勝手に三葉を理想化し、勝手に裏切られたと感じたちひろは、「三葉のため」という口実のもと、犯行に至ります。
しかしそれは、自分のためでしかありませんでした。
自分の「理想像」を守るため。
裏切った三葉が悪い。
この点、ちひろの他責傾向が強く感じられます。

それはココアの件でも顕著です。
通常であれば「店員がミスしたのか忘れているのだろう」と思うところを、ちひろは「誰のところに運ばれたのだろう」と考え、最終的には「この男がさらっていったのだ」とまでエスカレートします。
被害妄想的ですらありますが、思春期にこの境遇であれば、ある程度影響を受けるのも仕方ないとも思えます。
人間、不幸や不運が重なり余裕がなくなると、客観的で冷静な捉え方ができなくなってしまうものです
ちひろは小学校時代から、自分が臭いのではないか、漏らしてしまったのではないかといったような、神経症的な強迫観念に近いものが見られており、「自分には価値がないのではないか」という考えから、被害的な妄想が膨らみやすかったと考えられます。


ちひろが求めていたのは、「愛情」に帰着するでしょう
親から得られなかった愛情。
愛情どころか自分の存在価値すら不安定になっていた中で出会い、希望を与えてくれた三葉。

しかし三葉もまた、愛情を求める存在でした。
三葉は、「他人から必要とされていない」という苦しみを紛らわす方法として、「自分が他人を必要としていないんだ」と考えを逆転させることで誤魔化していました。
その影響を受けたのがちひろですが、2人とも本当に求めていたのは愛情であり、自分を認めてくれる存在です。

それは「人に好かれる人間になりたい」という想いからも明らかでした。
さらには、娘の名前が「愛」というのは、あまりにもストレート。
しかし、「私の子供たちは無条件で私をいちばん好きになってくれるだろう」という考えは、愛情に飢えている根底が変わっておらず、非常に危ういものです。
おそらくあのまま平和に生活が続いたとしても、子どもが思い通りにならなかったときに虐待的な行動に走ってしまう可能性は非常に高かったでしょう。

愛情を受けた経験が、愛情を与えるための原体験となります。
愛情を感じたことのなかったちひろが、愛し方をわからなかったのはある意味当然です。
無償の愛を向けるべき自分の子どもに対して、むしろ無償の愛を求めていた姿からは、ちひろは最後まで孤独を抱えていた切なさも窺えるのでした

赤井三葉

実際はただの被害者だったのに、「レッドクローバー事件」などと自分の名前を文字った通称までつけられてしまい、ひたすらかわいそうだった三葉。
日頃の生意気な言動の報い、にしてはあまりにも。

序盤、他の登場人物の視点を通して見る限りでは、読者ですらも三葉が犯人なのではないかと思わせるほどの反抗的な言動。
しかし、その内実は非常に脆いものでした。

彼女もまた、ひたすら愛情に飢えていたと言えます
ちひろや丸江田とは違い、弟という比較対象がいたのでなおさらです。

本当は、愛してほしかった。
でも、どうすれば愛してもらえるのかがわからず、その気持ちを素直に見せられないどころか、見せたら負けだと思っていたので、そんな気持ちなどないかのように振る舞う。
彼女の攻撃的な言葉はほとんど、「愛してほしい」の反動や裏返しだったのでしょう

そんな彼女は、言葉でこそ「殺してやる」と言ったような過激な発言を繰り返していましたが、実際の殺人には至っていません。
久仁子に執着していた種田(丹沢)春香は、(ちひろになりすましていた)三葉が突き倒したことで死んでしまいましたが、明確に殺そうと思ってやったものではなく、事故的な側面も強いものでした。

三葉が見つけた道は、本当に反撃することではなく、ファンタジーの世界に逃げ込むことでした
それは、土に埋まった歯(実際は歯ですらなかった可能性が高いでしょう)を見つけたことをきっかけに広がった、「本当の親は他にいる」という空想。
だから今の親に愛されなくても仕方ない、と自分を納得させる。
そして、本当の母親は、この町の住民が町ぐるみで殺害し、隠蔽した。
だから、この町が憎い。
本当のお母さんのために、自分がいつかやり返してやらないといけない。

そうやって怒りや憎しみを原動力に、何とか自分を保っていたのが三葉でした
そう考えると、母親から気まぐれにもらったイルカのぬいぐるみを大切にしていた三葉は、あまりにも切なく見えてきます。
勝木を殴って殺してしまったと勘違いしたあとの様子からは、彼女本来の弱さや脆さが見て取れました。
物語序盤の三葉とちひろのイメージは、本質とは完全に逆でした。

久仁子の顔に整形したのはちょっと強引さもありましたが、愛情を求めていた彼女にとって、理由はどうあれ久仁子から必要とされたことはとても嬉しかったのでしょう。
「赤井三葉」が愛されていたわけではないという虚しさもありますが、ちひろとして過ごしていた数年が、彼女にとって初めての穏やかで幸せな時間だったかもしれません。


しかし三葉は、勝木の来訪による崩壊をきっかけに、再び灰戸町へと戻っていくことを示唆して物語は終わりました。
結局彼女は失踪後どうしたのか?
選択肢は無数にありますが、個人的な解釈としては、三葉は自殺したのではないかと考えています

認めたくない自分の内面を他人に押しつけることを「投影」と言います。
ちひろも丸江田も、認めたくない自分の内面を他者に投影して、それを消し去るために殺害したとも解釈できます。

三葉の場合は、むしろ灰戸町の闇をひたすら投影されていたと言っても過言ではないでしょう
町の中でも、さらには「奥」の地域の中でも階級があるコミュニティの中で、一番奥、つまりは最下層にいた赤井家。
狭いコミュニティでのストレスは、いじめの構造のように弱い者に流れていき、最終的には赤井家への村八分にまで発展しました。
その赤井家の中でさらに迫害されていたのが、三葉です。

「好き」の反対は「嫌い」ではなく「無関心」であると言いますが、三葉は嫌われることで灰戸町、そして赤井家における自分の存在価値を見出していました
いや、世界との接点、と言った方が適切でしょうか。
存在しないもののように扱われることが、一番怖い。
それなら、嫌われている方がマシだ。
恐れられるような存在なら、なお良い。
灰戸町が極小の点であることに気づきながらも離れられなかったのは、もはや三葉の存在価値やアイデンティティが灰戸町と結びついてしまっていたとも考えられます。

12年経った今でも、赤井家や三葉の悪口を言い続ける住民たち。
憎き住民たちを消し去りたいと願ったとき、住民たちの負の感情は、三葉に投影され続けています。
三葉が自殺するということは、住民たちの憎い面を殺すのと同義なのです

少し強引でしょうか。
でも、住民全員を殺害するというのは、現実的ではありません。
様々な証拠から、灰戸町一家殺害事件の犯人はちひろである可能性が広まっています。
そんな中、ひたすら住民たちから犯人と疑われた三葉が、灰戸町で自殺したとなれば、灰戸町へのダメージも大きなものになるはずです。

自殺したのだとしたら、おそらく闇神神社の小屋の中でヒ素を飲んで、でしょう
あの場所は三葉が自身のファンタジーを繰り広げた「自分だけの秘密の空間」であり、町の住民を皆殺しにして山頂から見下ろすというファンタジーを繰り広げるには最適な場所です。
それは決して敗北としての自殺ではなく、丸江田の言うところの「世の中に殺されるんじゃなくて、僕が死を選んだということです」と同じ意味を持ちます。

他にも、三葉の根本的な優しさからは、やはり意図的な殺人に及ぶのは難しいのではないかとも感じます。
ちひろの娘の愛こと風花は、顔色を窺う傾向はありながらも、三葉に懐いていた様子でした。
それは三葉の優しさによるものでしょうし、風花を改めて「大量殺人犯の娘」にしてしまう選択肢が取れるとも思いません。
自殺であるにせよ、風花に対しては無責任の謗りを免れませんが、三葉はやはりあまりにも灰戸町に囚われてしまっていたのだと考えられます。

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