作品の概要と感想とちょっとだけ考察(ネタバレあり)
タイトル:ジャッジメント
著者:小林由香
出版社:双葉社
発売日:2018年8月8日(単行本:2016年6月23日)
大切な人を殺された者は言う。
「犯罪者に復讐してやりたい」と。
凶悪な事件が起きると人々は言う。
「被害者と同じ目に遭わせてやりたい」と。
20××年、凶悪な犯罪が増加する一方の日本で、新しい法律が生まれた。
それが「復讐法」だ。
目には目を歯には歯を。
この法律は果たして被害者たちを救えるのだろうか──。
初読み著者さんのデビュー作。
目には目を、歯には歯を。
ハンムラビ法典を地でいくような「復讐法」。
誰もが考えたことはあっても現実的に検討したことはないような設定に、そして正解のない難問に、真正面から挑んだような作品。
復讐や私的制裁については、このブログでも櫛木理宇『世界が赫に染まる日に』、真下みこと『舞璃花の鬼ごっこ』などで扱ってきているので、興味のある方はそちらもご参照ください。
本作『ジャッジメント』の大きな特色は、復讐が私的なものではなく、法的に整備された世界であるという点でしょう。
本作における設定は、当然ながらと言うか現実的にはだいぶ無茶であり、制度上の穴も目立ちます。
しかし、それらは承知の上での、あくまでも「そのような法律のある世界だったらどうなるか?」という半ばSFめいた思考実験的な作品であるのは間違いないので、復讐法の妥当性や不備をメインに議論するのはなるべく避けます。
これまで、上述した作品の感想でも書いてきましたが、復讐は何も生みません。
しかし、いざ自分が復讐したくなるような立場に置かれたら?と考えると、そのような理想論で納得できる自信もありません。
私的制裁はまず違法になりますが、もし復讐を合法的に行えたらどうなるのか。
本作を読んで、やはり爽快感はあるな、という気持ちを抱いたのは否定できません。
憎い相手、しかもそれがロクに反省などもしていないようであれば、やっちゃえやっちゃえ、と思ってしまいます。
一方で、やはりその一瞬の爽快感のあとに残るのは、変わらない悲しみとさらなる絶望なのでしょう。
復讐したとて、大切な人が帰ってくるわけでもありません。
主人公の鳥谷文乃のもとに届いた手紙のように「復讐法のおかげで救われた。復讐法がなかったら差し違えるつもりで復讐していただろう」という気持ちも十分わかりますが、ではその人はハッピーになったのだろうか?というと、救われた部分はあるけれども幸せとは言えないだろうと思えてなりません。
復讐のお陰で区切りをつけて前を向けるようになった、それによって新たな幸せに繋がる、というのはあり得るかもしれません。
しかし、自ら人を殺したという事実は、真面目な人ほど重くのしかかり続けるでしょう。
あと、本作の制度上だと応報執行者が隙だらけになってしまうので、復讐の連鎖が止まらなくなりそう。
それがしっかり守られればとは思いますが、被害者が明らかになっている以上、ある程度は応報執行者が誰かも絞られてしまうので、そこも現実的に困難なポイント。
そもそも刑罰の歴史を見てみると、もともとは「同一の違反に対しては同一の刑罰を」という思想に基づく客観主義刑法理論が主流でした。
犯罪の行為だけから刑罰を決めるというもので、犯罪の責任はすべて行為者が引き受けるべき、という考え方です。
それが徐々に、「犯罪の結果だけを見るのではなく、その過程や環境要因も見る必要がある」という主張が登場しました。
そして、背景なども踏まえて刑罰や量刑を決めるのが現状の司法制度で、主観主義刑法理論と呼ばれます。
基本的に加害者が悪いのは間違いありませんが、加害者をただ責めて罰を与えるだけで終わらせるのではなく、より広い視点で、犯罪の要因を探り社会全体を安全にしていくための考え方です。
本作における「復讐法」は、ある種そのハイブリッドと言えるでしょう。
通常の裁判における刑罰を決めつつ、復讐法の適用が妥当と判断したケースについては選択できる。
ただ、本作に登場した限りのケースで見ればいずれも殺人事件だったので、応報執行者は加害者を殺害することになります。
つまり、ほぼほぼ復讐は死刑と同義です。
一方、従来法による刑罰は懲役刑がほとんどでした。
これはちょっとバランスが悪く、応報執行者の負担はとんでもなく大きくなってしまいます。
復讐とはいえ、自分が人殺しをすることへの葛藤。
一方で懲役刑を選べば、いずれは加害者は社会復帰します。
万が一その人が再犯すれば、復讐を選ばなかったことへの責任を感じてしまうことは不可避でしょう。
なのでせめて「死刑か復讐か」ぐらいのケースでの適用でないと、多くの応報執行者の精神が保たないとは思います。
現行の死刑執行においても、複数の執行人、かつ誰が執行ボタンを押したかわからないように工夫されていますし、それでも精神を病んでしまう刑務官は少なくありません。
大きな事件の裁判員裁判の裁判員に選ばれたことで病んでしまう人もいるぐらいなので、自分が相手の生死を選択するというのは、復讐心があったとしても並大抵の負担ではないでしょう。
ただ、社会の価値観も大きく影響してくるはずなので、復讐法が浸透して「復讐するのが当たり前」といったような価値観がメジャーになれば、また応報執行者の気持ちや負担も変わってくるでしょう。
といったように、さらに想像を広げていくのも楽しい。
正義とは何か?
それを正面から問いかけてくるのが本作です。
復讐法そのものより、復讐法が当たり前にある世界における人々の心理や葛藤が重々しい作品でした。
復讐法の設定や展開はだいぶ粗かったり都合が良かったりもしますが、あくまでも心理描写がメインなのだろうと感じます。
特に復讐法はただ殺すだけではなく受刑者と応報執行者の間にやり取りがあるので、そこで明かされる真実によって何が正しいのかわからなくなる展開は、ミステリィとしても楽しめました。
やり取りできるシステムは、さらに応報執行者の負担を大きく増してしまうとは思いますが。
答えはない問題ですが、一人一人が考えていくべきテーマでしょう。
ああでもないこうでもないといくらでもだらだら書いてしまうタイプなので一旦このあたりで切り上げて、以下、各エピソードの感想を簡単に。
第一章 サイレン
最初のエピソードだけあって、世界観や復讐法の説明的な側面も強く感じられました。
展開もスタンダードな印象で、それが逆に一番リアリティがあり印象にも残りました。
子どもを失った悲しみと、父親らしいことができていなかったことの後悔。
復讐をしないと自分を保てない義明の苦しみが重く漂っていました。
剣也に対する言葉の一部は、自分に向けたものでもあったのでしょう。
一方で、不遇な過去や環境も明かされたとはいえ同情しがたい剣也への復讐は、爽快感も感じてしまいました。
さすがにどんな理由があったとしても、朝陽を4日間監禁して暴行の末殺害したというのは、フォローのしようもありません。
その後のエピソードを読み進めるほどに強く感じますが、応報執行者や応報監察官への保護やケアがなさすぎて、その点はさすがにもうちょっとどうにかしてほしいと思ってしまいました。
いくら義明が自ら教えたとはいえ、最初に剣也の母親が義明の前に登場した時点で、かなり危険な状況ですからね。
応報監察官もほぼほぼ孤立無援なのでかわいそう。
あと細かい点ですが、復讐法の執行が中止になった場合、従来の判決が適用されるということでしたが、今回のように4日間ほどある場合、3日目まで暴行を加えまくったあとに気が変わって中止したとしても、そのまま懲役刑となるのでしょうか。
それはそれで受刑者も若干かわいそうなような、命が助かって良かったねというか。
でも自分だったら、再起不能なぐらいのダメージを与えてから中止して、懲役刑に送って生き地獄を味わってもらうのもありかも、と思ってしまいました(性格悪い)。
第二章 ボーダー
明らかに隠れた事情がある事件だと思いましたが、カルト?マルチ?+母娘の問題(しかも何世代にもわたる)と、思った以上に闇深い地獄絵図でした。
湊かなえ『母性』や今村夏子『星の子』も連想。
洗脳されているので仕方ないとはいえ、京子が民子から洗脳される過程の描写がだいぶ安直なので、ついつい京子に苛立ちを感じてしまいました。
娘のエレナはひたすらかわいそう。
友達の富永菜月は素敵な子でした。
洗脳下とはいえエレナを殺そうとして、ラストでは現実逃避で退行し、エレナに民子を見ていた京子。
エレナ、とんでもなく不遇すぎます。
「親じゃなくても、母じゃなくてもいいんです。私は、あの人が大好きだから」という台詞は、一見美しく見えるかもしれまんせが、かなりアダルトチルドレンに近い印象。
エレナの将来が心配でなりません。
鳥谷は「境界線のない世界。そこには、親子を超越した愛情があるのかもしれない」と述懐していましたが、それは逆でしょう。
自他の境界線がしっかりしていなければ、自分も相手も尊重できません。
境界線がなく極端に一体化した母子密着になっていたからこそ、民子は京子を支配しようとして、京子は民子なしでは生きられなくなっていたのです。
確かに境界線がなければ親子を超越した愛情があると言えるのかもしれませんが、それはおそらく共依存です。
第三章 アンカー
被害者が複数の場合どうなるんだろう、という疑問に答えてくれた本章。
復讐自体はほとんど描かれず、復讐法に対するそれぞれの価値観や社会の問題に焦点が当てられており、違ったアプローチで世界観が掘り下げられていました。
ただでさえ選択に葛藤がありますが、他にも被害者遺族がいたり、社会からの声が大きい場合は相当辛いですね。
しかも、殺害された被害者の遺族だけが応報執行者であり、怪我で済んだ人たちは応報執行者にならないというのも、なかなかに応報執行者へのプレッシャーを高めるでしょう。
さらに、「無罪か死刑か」を決めるという選択にほぼ等しかったので、さすがにこれはしんどい。
個人で背負える範疇を明らかに超えています。
ちょっと揚げ足取りのようになってしまうかもしれませんが、本章における司法のプロセスは、現実に則して見るとだいぶめちゃくちゃでした。
「心神喪失」など責任能力については、起訴されて精神鑑定なども行われた上で総合的に裁判官が判断し、最終的な判決を下します。
起訴されないと裁判が行われず、裁判が行われなければ判決が出るということはあり得ません。
なので「心神喪失のため不起訴の判決」というのは矛盾しています。
それはさておき、心神喪失というのは「精神障害のせいで善悪を全く判断できないか、または判断したとおりに行動することが全くできない状態にあった」という判断です。
なので、その人に責任を帰する復讐とは真逆の判断。
「病気により責任がなかったと判断するか、それでも犯人が悪いと判断して復讐するか」というのは、ある意味本作の世界の中で一番重い選択を問われていたと言えるでしょう。
応報執行者同士の言い合いや誹謗中傷は明らかに二次被害なので、その点はやはり整備が必須です。
第四章 フェイク
ちょっと異色で、ミステリィ要素が強めでした。
霊能力者が登場しますが章タイトルが「フェイク」なので偽者なのかなと想像できてしまい、結果ほぼほぼその通りだったので若干肩透かし。
いや、事件の犯人当てとかは確かに不思議な力がないと説明がつかないとも考えられるので、一応本当に霊能力があったかどうかは読者の判断に委ねられているんですかね?
とにもかくにも神宮寺蒔絵が嫌な奴な胸糞エピソードでした。
佐和子はともかく、鳥谷も監察官本部も翻弄されまくりなのは何とも言い難い。
こういった大きな事件こそ応報執行者を守らないといけないと思いますが、襲われたり脅迫されても保護せず普通に生活させているのは、改善の余地ありでした。
第三章と第四章を合わせて思ったのは、オウム真理教の地下鉄サリン事件のような、加害者も被害者も大量にいる場合はどうするのでしょう。
爆弾テロとかの場合も、復讐の実行や場所の確保がなかなか大変そうです。
銃乱射による無差別大量殺人の場合は、応報執行者が銃を持って加害者を取り囲み、誕生日のクラッカーのように一斉に撃つのかな。
ハンムラビ法典は、復讐の推奨ではなく「やられたこと以上のことはやり返すな」という意味であるとの解釈もあります。
しかし「そのままやり返す」復讐には、シンプルに「できない」状況があり得ます。
たとえば、歯が全部ない人に歯を折られた場合など。
復讐法においても、そのままやり返すのであれば再現できない状況もあるでしょうし、本章で出てきたように「子どもを殺されたんだから、相手の子どもを殺す」ことこそが復讐に感じられますが、当然別の問題が生じます。
難しい。
第五章 ジャッジメント
重い!
ひたすら重い!
虐待された子どもの復讐劇。
それでも親を赦し、妹を助けられなかった責任を背負い込んで自分を責めながら死んでいく姿は、あまりにも悲しい。
やはり隼人が欲しかったのは、陳腐な表現になりますが愛情なのでしょう。
話としてはとても印象に残りますが、いやさすがに、小学生に応報執行者の権限を与えるのはどうなんですかね。
たとえば現行の少年法では、14歳未満の少年には刑事責任は問われません。
16歳未満との性交渉は、たとえ合意があっても不同意性交罪となります。
これらはいずれも、子どもはまだ十分な判断力を備えていないから、というのが大きな理由の一つです。
それを踏まえると、応報執行者の年齢もある程度は揃える必要があるでしょう。
復讐のために相手を殺害するという体験がその後の成長に大きな影響を与えるであろうことは、作中で言及されていた通り言うまでもありません。
せめて執行者は代理にしてあげた方が。
しかもしかも、まさかの隼人くん助からないんですかー!?
さすがにこれはいかがでしょう。
痛ましさしかありません。
自殺しようとしているという報告を聞いて「良い事例だ」で片付ける五十嵐部長も、相当にやばい。
何かしら複雑な過去がありそうで色々な思わせ振りな五十嵐部長でしたが、今のところは続編もなさそう?ですし、本作では特に何も明かされなかったので、ただただパワハラ気質のやばい上司でしかありませんでした。
と、ついつい色々と周辺が気になってしまいましたが、様々な問題を投げかける作品として、表題作になっているだけの重みがある最終章でした。
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