作品の概要と感想(ネタバレあり)
妻の死体の世話をする男、ヘルゲイ。
ヘルゲイのもとに突如現れた、二人の男性。
目覚めた場所は、夢か現実か、あるいは地獄か──。
考えるんじゃない、感じるんだ。
その一言(二言?)に尽きる映画です。
概要も、感想も、考察も、何とも述べにくい作品。
基本的には終始、見ていて痛くなるゴアシーンが続きます。
かといって、グロさの勢いだけで押し通そうとしているわけではなく、異様に完成度の高いクリーチャーの造形や、それなりに練られたストーリーと構成。
ただ、細かい部分や思わせぶりな台詞は矛盾も目立つので、ストーリーの整合性を求めるものではありません。
冒頭のオープニング映像から、その鬱々とした不気味な暗さやグロさが、これでもかというほど全開。
ぽっちゃり男性ヘルゲイが謎の空間で目覚めたシーンに続いて、ヘルゲイが妻の死体の世話をしているシーンがいきなり始まります。
バックに流れるは、ベートーヴェンのピアノソナタ「月光」の美しくも暗い旋律。
開始数分で、尋常でない作品であることが嫌というほどわかります。
その後、時間軸を遡りながら、登場人物たちの関係性が描かれていきますが、むしろそこは枝葉。
まともな登場人物は現れず、次々とゴアシーンが続いていきます。
しかし、個人的に一番の見所は、クリーチャーの造形。
これが上にも書いた通り、異様に完成度が高いのです。
彼らを見ているだけで、不思議な高揚感に包まれます(危)。
ゲーム『サイレントヒル』と『サイコブレイク』を組み合わせたような世界観。
オカルト色も強めです。
そういう世界観や痛々しいシーンが好きな人は、「考えるんじゃなくて感じる」姿勢で観れば、けっこう楽しめるはず。
それ以外の人には、グロいし意味わかんないし、で終わってしまうかもしれません。
オープニング映像だけで判断しても、たぶん間違いではない。
個人的には、嫌いじゃないです。
むしろ、好き。
そしてこの作品、音楽がとても綺麗です。
冒頭の「月光」もそうですが、グロいシーンになるほど、綺麗な音楽や讃美歌のような歌が流れる。
正と負のバランスを取っているようで、負のインパクトを際立たせる効果になっており、秀逸だなと感じました。
内容はなかなか考察しようがないので(特に心理学で太刀打ちできる相手じゃない)、後半の考察ではタイトルの意味と大きな疑問点について考えてみたいと思います。
考察:タイトルの意味といくつかの疑問点(ネタバレあり)
入り乱れるタイトル
まず、この作品の原題は『Necromentia(ネクロメンティア)』です。
この記事冒頭の画像が、おそらく正しいポスター画像。
しかし、日本では色々なタイトルで入り乱れています。
まず、こちら。
いやもう完全に別物やん!
内容を見ていなければ、そう叫ぶのが正しい反応です。
この豚さん(ミスター・スキニー。けっこうお気に入りです)は作品内に出てくるので、わからなくはない。
けれど、この写真は作品の雰囲気とはまるで違います。
この画像を見て、連想するのは『ソウ』シリーズ完結編の7作目、『SAW 3D』(日本では『ソウ ザ・ファイナル 3D』)のポスター。
似すぎ。
タイトルも、『ネクロメンティア』から『SAW レイザー』へと、「何があったんだ」という改編がなされています。
その「何があったんだ」への答えは、こちらの画像。
元々のポスターに近いですが、なぜかタイトルに『レイザー』が残っています。
注目するべきは左上。
「ソウ」×「ヘルレイザー」
つまり、ホラーに良くある、「ヒット作に便乗して、勘違いで手に取らせよう!」という流れで出てきた日本のタイトルなのでしょう。
主に、サブスクがまだなく、レンタルが主流だった頃の戦法ですね。
それを踏まえて『SAW レイザー』の画像を見ると、そんな思惑がひしひしと伝わってきます。
『SAW』に関しては特に、他にもタイトルやジャケット、コンセプトが似た映画が、大量に溢れ出てきていました。
『ネクロメンティア』は、確かに『ソウ』と『ヘルレイザー』っぽい要素もありましたが、果たして本当にそれが意識して作られたのかはわかりません。
おそらくそれらの名残で、現在Prime Videoでの画像は、以下のもの。
全部をとりあえず混ぜ合わせたような、ぐっちゃぐちゃな集大成。
いずれにせよ、この作品の正しいタイトルは『ネクロメンティア』なのです。
「Necromentia」の意味
「Necromentia」は調べてもこの作品が出てくるだけなので、おそらく造語です。
では、どのような意図でつけられたのでしょう。
「Necro(ネクロ)」は、「死」や「死体」を意味する接頭語。
「ネクロマンサー(死霊魔術師)」や「ネクロフィリア(死体性愛)」が有名です。
一方の、「mentia(メンティア)」は、単体では出てきません。
ヒントになるのは「dementia」。
日本語で「認知症」です。
「de」は「necro」と同じく接頭語で、否定を表します。
そして、ラテン語の「mens」が「心、知性、思考力」など表し、「ia」は抽象名詞を表す。
つまり、「知性から離れること」が「dementia(認知症)」の語源です。
ちなみに、「メンタル(mental)」も同じ語源。
これらを総合して考えると、「ネクロメンティア」は「心や知性が死んでいること」といったニュアンスになるでしょうか。
魂を呼び戻す黒魔術もキーになっているので、「心の死」と「身体の死」を別々に捉え、死後の精神世界を描いている。
作中の「地獄」は、全人類が訪れる地獄というより、死んだエリザベスの子(ガスマスクっぽいのつけてるやつ)が展開した精神世界のようです(モービウスを父と呼び、モービウスと一緒にエリザベスの苦しみを祝うために作った異世界、みたいなニュアンスでしたが)。
あとは、死ぬ前から、登場人物はみな多かれ少なかれだいたい狂っています。
その意味でも、死ぬ前からすでに心は死んでいたのかもしれません。
冒頭を筆頭に死体もけっこう出てきました。
さらに、観る側も、終始暗く不安定な展開に、心を削られます。
そのあたり、総合的に含めて「ネクロメンティア」でしょうか。
身体を傷つけるシーンが目立ちますが、あくまで心や魂について描いたのが、『ネクロメンティア』なのだと感じました。
結局、どんな話だったのか
大まかなストーリーとしては、物語を逆に辿れば理解はできます。
ヘルゲイと結婚し、モービウスとも浮気をしていたエリザベス。
ヘルゲイを唆してモービウスを殺害させようとするが、エリザベスも死亡。
「地獄」で目覚めたモービウスは、モービウスを「父さん」と呼ぶガスマスク(エリザベスが妊娠していた子?)と契約し、クリーチャー化。
トラヴィスを利用して、ヘルゲイに黒魔術を施し、「地獄」に連れてこさせる。
そして、クリーチャー化したモービウスがヘルゲイに復讐を果たす。
細かい整合性を考察するべき作品ではないと思うので、最後に、大きめな疑問点をいくつかだけ考えてみます。
①なぜトラヴィスが選ばれたのか?
これは、モービウスが生前バーテンダーをしていたお店に客として来ており、面識があったからでしょうか。
その絡みで、裏の顔(拷問SMプレイの仕事や薬物使用)や弱み(トーマス)を知ったから、利用できると考えたのかもしれません。
そうだとすれば、トラヴィスはただただ不運。
②ミスター・スキニーは何者か?
子供番組のノリで自殺を煽る豚マスク、ミスター・スキニー。
このクリーチャーだけ、正体が不明です。
トラヴィスの弟、トーマス(車椅子生活の理由はわかりませんが、たぶん自閉症スペクトラム障害もあり、嫌がるところとかすごく演技上手かった)の妄想と捉えられなくもありません。
ただ、トーマスを死に追い込んでいることからも、モービウスと無関係ではないはず。
トーマスの死が、トラヴィスにヘルゲイを探させる動機になっているからです。
シッターを殺させたのも、モービウスが現実世界で動くための身体を手に入れたかったからでしょう。
そのため、ミスター・スキニーは、トラヴィスを利用するために、モービウスが送り込んだ(?)クリーチャーではないかと思います。
③エリザベスは?
すべての元凶、悪女エリザベス。
彼女は死後、「地獄」では登場していません。
オープニング映像ではクリーチャー化したような姿で出てきますが、本編には登場せず。
ヘルゲイが「地獄」に送り込まれた際には、エリザベスの話しかけるような声が聞こえますが、ヘルゲイの幻聴か、ガスマスク少年の演出の可能性もあります。
最後のシーンでは、ガスマスク少年が「エリザベスは亡者の餌食になった」と言っていました。
喋りながらずっと腹部(エリザベスの子供が死んだ場所)をいじっていた死体が、もしかしてエリザベス?
エリザベスの苦しみを、ガスマスク少年とモービウスが祝うためだけに作られた「地獄」。
あの死体がエリザベスにせよ、別のところで亡者の餌食になっているにせよ、永遠に苦しむ空間に閉じ込められたエリザベスが、一番自業自得で悲劇的。
しかし、結局モービウスは、ヘルゲイへの復讐心を捨てられません。
そのためにクリーチャーに堕ち、ガスマスク少年の手駒になる契約を結んでしまいました。
復讐は果たせましたが、あのあとも永遠にクリーチャーとして生きていくのでしょう。
見事に誰も救われないラストです。
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