作品の概要と感想(ネタバレあり)
酒とドラッグにまみれたパーティーを楽しむ若者たち。
退屈しのぎに部屋の片隅に埋もれていたレトロな見た事も無いボードゲームを始める。
ルールは簡単、制限時間内に表示された数だけの人を殺せばクリア、殺せなければ死ぬのはプレイヤー。
カウンターが0になるか、プレイヤーが全員死ぬまで終わらない死のゲーム。
大量殺戮にてこのゲームを終わらす為に彼らが向かった先とは──。
2017年製作、フランス・カナダ・アメリカの合作作品。
原題も『Game of Death』。
マナティの生態を描いたドキュメンタリー作品。
合間合間で、人間の頭が吹き飛びます。
というわけで(どういうわけで?)、謎の死のゲームに巻き込まれた若者たちを描いた、超シンプルなスプラッタホラー。
24人殺すか、自分(たち)が死ぬか。
冒頭で流れるゲームのオープニングのような映像が、ゲーム好きにはたまらないレトロなクオリティ。
途中で挟まれるゲーム画面風な映像も、少ないながらバラエティに富んでいました。
音楽もゲームっぽさがあり印象的。
頭空っぽにして楽しめる良質スプラッタでしたが、シンプルなように見せかけて意外と細部にこだわりが感じられました。
また観たいかと言われると別にもう観なくて良いですが、観ている間は楽しめた。
こういうので良いんです。
73分という長さも気軽で気楽。
無駄なスローモーションや、何の伏線でもなかった変態おじいちゃん、個性の強すぎる森林保護官(forest ranger)の女性、必要以上に長いキスシーンなど、なるべく同じパターンは使わずに何とか時間を引き延ばそうとする工夫が感じられました。
一方で、最初の犠牲者はほとんど前触れなく唐突に顔が腫れて爆発するなど、意表を突いてくる展開も。
ただただ引き延ばしているわけではなく、観客を楽しませようとする姿勢がしっかりと感じられました。
ホラーコメディになりそうな設定ですが、極力真面目にやっていたのも好印象。
森林保護官の歌が上手かったのはずるい。
ゴア描写は、チープながらしっかり映してくれるので、満足。
こういう作品でのゴア描写は、だいたい映すのが一瞬だったり、揺れたり解像度の低い画面で何となく誤魔化すことも多いですが、本作ではこれでもかと言わんばかりにしっかりと見せてくれます。
特に、車の後部座席で頭が爆発したメアリー=アンなんて、執拗なほどに見せつけてくれていました。
内臓などもずるずる引きずられ、まさに血祭り、出血大サービスな出血量でしたが、上述した通りチープさもあるので、ゴア表現に慣れていない人でもそこそこ観やすいのではないかと思います。
爆発に向かって膨らんでいく顔は、妙に気合いが入っていた印象。
タイラー(ドラッグを運んできたピザ屋?)の顔が腫れていった際、アシュリー(最後まで生き残った女性)が森林保護官を殺害すると、スッと何事もなかったかのように元に戻っていたのはちょっと笑ってしまいました。
謎のゲーム機の背景が一切まったくこれっぽっちも描かれなかったのも、潔かったです。
「そんなに出血してないでしょ」な感じでしたが、指から流された血が真ん中に集まっていく演出も面白かったですし、24人殺すべしというなかなか容赦のない人数が設定される凶悪さも良い。
ルール説明も、なかなかに理不尽で雑。
「制限時間内に誰も殺さなかった場合はプレイヤーが死ぬ」というのがありましたが、カウントしているっぽい音は流れていつつも、制限時間の表示はなし。
しかも、みんな同時にスタートしたのに、プレイヤーが死ぬ(頭が爆発する)順番はランダムなようでした。
登場人物たちもけっこう個性がありましたが、魅力はあまりなく、誰が死んで誰が生き残っても良いので、気軽に観ていられます。
いきなり大勢登場したので、関係性を把握しきっていないまま観進めてしまいましたが、特に支障はなし。
オープニング映像後の冒頭の10分は、飛ばしても問題なさそう。
しかしアシュリーが生き残ったのは、意外と言えば意外でした。
「死ぬ運命でも2人を止めなきゃ」とか言ったり、最後も浅いのか深いのかよくわからないけれど妙な説得力のある思想を展開させながら、タイラーを撃ち殺して自分が生き残るなど、なかなかの冷酷キャラでした。
もしかしたら、タイラーを「ボーナスレベル(=死)」に送ってあげる優しさだったのかもしれませんが。
それはそれでなかなかカルト宗教みたいな思想です。
アシュリーは銃撃の腕前も相当なもので、1発でベスの眉間を撃ち抜いたのは見事としか言いようがありません。
銃弾がスローモーションになるのは、特にアクション映画ではよく使われており珍しくはありませんが、あそこまで遅いスローモーションは初めて見ました。
ちなみに、銃創はあんなトンネルみたいに入口と出口の大きさが同じということはなく、出口の方が大きくなるはず。
ついでに言えば、ベスが撃っていたハンドガンはまったくリロードしていませんでしたが、そのあたりの雑さも好き。
そんなこんなでひたすらゴアゴアスプラッタを楽しむ映画でしたが、意外と深い問いかけもあったように思います。
気のせいかもしれませんが。
まずは、ホラー映画では呪われたボードゲームみたいなのはよくありますが、こういったテレビゲーム的な演出がなされたものは、あまり見かけません。
テレビゲームでは、それこそ銃を撃ったり人を殺すゲームがたくさんあります。
そのようなゲームをしながら、罪悪感を抱く人はほとんどいないはず。
本作の設定も、まさにゲーム的でもありました。
実際にゲームであれば、24人を殺すのなんて楽々でしょう。
しかし、いざそれが現実となると、どうなるか。
かといって別にゲームが残酷だとかゲーム脳みたいな主張性はまったくなく、純粋にそのような思考実験を問いかけられているような気がしました。
緩和ケアセンター内でベスたちが殺戮を繰り返していた場面では、リアルな殺戮とドットのゲーム画面での殺戮の描写が入り乱れていましたが、明らかに後者の方がポップで、死の重みは軽く感じられます。
そもそも緩和ケアセンターを選んだところも、命の価値に差はあるのか?という点において、なかなかに考えさせられる部分があります。
寿命という観点でもそうですし、実際に痛くて苦しくてむしろ死にたいと思っていて救われた人もいたかもしれません。
かといってそれが殺して良い理由にもなりませんし、一方では安楽死が認められないことの問題などもあるでしょう。
子どもであるサマンサをすぐに殺すのは躊躇っていましたが、それを当たり前と見るのか、無意識に命の重さを選別していると見るのか。
自分を犠牲にするか、その他大勢を犠牲にするかというのも、こういったデスゲームものではよく見られるテーマです。
そういった作品で自己保身に走るキャラは冷たい目で見られがちですが、あえて実際に現実や自分に置き換えて考えてみると、綺麗事だけでは済みません。
その場合、通常は映画というフィクションを通して考えることになりますが、本作は映画の中でのゲーム画面という二重構造になっており、映画のキャラが現実とフィクションの狭間に位置しているような印象もあり、意外と死の重さを感じる部分もありました。
だからこそ、通常のホラー映画以上に爛れた刹那的快楽ライフを送るパリピな若者たちとして描かれていたのかもしれません。
なんて真面目に考えるような作品では、たぶんありません。
森林保護官と病院に来た警察官たちが、みんな銃の構え方がド下手だったところが微笑ましくて好きでした。
ラスト近くでは、警察官が5人ぐらいアシュリーに向かってきましたが、誰も後ろを警戒せず全員前を向いて銃を構えながら進んでくるところはさすがに間抜けすぎました。
「ゲームはまだまだ終わらないぜ」なラストもザ・定番でしたが、証拠品として保管されていたものをクリスマスプレゼントとして渡しているっぽいという「え?何?どういうこと?」な訳のわからなさを残して終わるところも、最後までオリジナリティを発揮していました。
エンドロール後にもマナティの映像が流れるので、見逃さないようにご注意(?)です。
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