【映画】ビースト(ネタバレ感想・心理学的考察)

映画『ビースト』のポスター
(C)2022 UNIVERSAL STUDIOS. All Rights Reserved.
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作品の概要と感想(ネタバレあり)

映画『ビースト』のシーン
(C)2022 UNIVERSAL STUDIOS. All Rights Reserved.

妻を亡くして間もない医師のネイト・サミュエルズは、ふたりの娘たちを連れ、妻と出会った思い出の地である南アフリカへ長期旅行へ出かける。
現地で狩猟禁止保護区を管理する旧友の生物学者マーティンと再会し、広大なサバンナに出かけたネイトたちだったが、そこには密猟者の魔の手から生き延び、人間に憎悪を抱くようになった凶暴なライオンが潜んでいた。
ライオンに遭遇したネイトは、愛する娘たちを守るために牙をむく野獣に立ち向かっていく──。

2022年製作、アメリカの作品。
原題も『Beast』。

ホントにホントにホントにホントにライオンだぁ〜♪

というわけで、広大なサバンナを舞台に描かれるライオンパニックサバイバルアクション。
大自然の中では人間などちっぽけな存在で、「近すぎちゃってどうしよう」とか歌っていたら速攻で殺されてしまいます。

個人的には、丁寧な作りでとても楽しめた作品でした。
あまりにも美しいサバンナの景色。
リアルなライオンによる緊迫感。
王道すぎる展開とストーリー。
エンタメ感溢れるラスト。
びっくするほど斬新さや新鮮さはありませんが、「これでいいんだ」と思える作品です。


実際にアフリカに出向いて撮影されただけあり、雄大な景色や動物たちは見ているだけでも圧倒されます
夜明けのシーンなんて、それだけでも芸術的。
比較的ライオンがすぐに登場するのでそもそものテンポ自体良いですが、それまでも景色を見ているだけでも楽しめました。
池?沼?ではしれっとワニも登場していたので襲ってくるかと思いましたが、「今回の主役は僕じゃない」としっかりと立場をわきまえて泳ぎ去っていく空気の読めるワニでした。

ライオンはとてもCGとは思えない迫力で、さすがユニバーサル・スタジオでしょうか。
百獣の王の名に恥じぬ、実に絶望的な恐ろしさを見せつけてくれましたが、ネコ科だけあって(?)可愛さも顔を出していました
特に冒頭、育ての親であるマーティンにじゃれつく2頭が可愛すぎます。
ビーストと化したライオンも、車と一緒に落下した際には一瞬気を失っていたのか、ハッとした感じで起き上がるところとか、ちょいちょい可愛さが滲み出てしまっていました。
お口の周りが血だらけだったのも可愛い(ここは意見は分かれるかもですが)。

全体の印象として連想されるのは、『ジュラシック・パーク』らしさでした。
動物パニックもののパターンは限られるというのもあるでしょうが、「これでもかというほど襲われては逃げては襲われては逃げる」「密猟者という悪人たち」「車の中に閉じ込められる」といった演出は、『ジュラシック・パーク』『ロスト・ワールド/ジュラシック・パーク』を彷彿とさせます。

特に感じたのは、終盤に建物の中にライオンが入ってきて、メアとノラの姉妹2人が隠れながら逃げるシーンでした(『ジュラシック・パーク』では姉弟でしたが)。
サバンナに着いてすぐ、荷物を整理しているメアが着ていたシャツには『ジュラシック・パーク』のロゴデザインがプリントされていましたが、単純に「ユニバーサルの動物パニックものだから」以上に、オマージュやリスペクトされていた部分があったのだろうと思います。

音楽もアフリカンなサウンドで合っていましたし、ストーリーもわかりやすくシンプルでした。
メアとノラも含めてみんな演技も上手く、CGライオンのリアルさも相まって没入感が高まります。
「ライオンパニック映画」の代表作になるのではないでしょうか。

ストーリーは安直ながら、ネイトが医師であるという設定がこの上なく活かされていましたし、ラストの「ネイト vs. ライオン」という突然のトンデモ展開は、エンタメとして楽しませてくれました
まさかポスターの直接対決の構図が詐欺じゃなかったなんて。
その後のライオン vs. ライオンの戦いは、もはや『ライオン・キング』でした。


細かく見れば、ビーストライオンさん、こんな広大なサバンナなのにどれだけピンポイントかつ執拗に追ってくるのかとか、まさかのあの爆発でちょっと焦げただけでほぼノーダメージだったんだとか、銃を持った密猟者軍団も軽々と殲滅していたのにネイトには苦戦しまくりとか、気になるポイントもありますが、そのあたりもひっくるめて、個人的にはリアルさとエンタメのバランスが絶妙に感じられました

ビーストライオンの倒し方も、木の下で写真を撮る終わり方も、かなり早い段階で予想がつき、その予想をまったく裏切ることのない展開でしたが、これはこれで良かったと思います。
マーティンはとてもいい人でしたが、マーティンとネイト一家だけという主要登場人物の構成的にどう考えても死亡フラグしか立っておらず、とっても素直にフラグ回収されてしまってちょっと残念でした。
とはいえ彼も、どうやら反密猟者として密猟者を殺害していたようで、シビアな裏の一面も持ち合わせていたようです。
出番は少なかったですが、ライオンの群れを監視・観察していた(&最後に助けてくれたらしい)バンジー、何かかっこ良くて好き。

すごくどうでも良い感想としては、黒人というか肌の色が濃いと夜の闇に紛れて隠れやすそうですね(念のため、差別的なニュアンスでは一切ないです)。
しかし、ライオンは嗅覚にも優れていたはずなので、現実であの状況になったら見つかってしまうかもしれません。
口の周りについていた血の匂いによって嗅覚が鈍くなっていた、とは解釈できるかもしれません。

あとは、慣れないネイトたちはともかく、自然や動物の恐ろしさが重々わかっているはずのマーティンや密猟者たちが1人でフラフラ進んでいくのはあまりに無防備すぎましたが、それもまた動物パニックもののお約束なのでした。

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考察:家族というテーマ(ネタバレあり)

映画『ビースト』のシーン
(C)2022 UNIVERSAL STUDIOS. All Rights Reserved.

ネイトの家族の再生物語

『ビースト』は、心理学的な視点を持ち出すまでもなく、「家族」がテーマになっているのは誰が観ても明らかでしょう。

医師として優秀そうなネイトでしたが、夫として、父親としてはほとんど機能できていなかったようです
結果、別居となり、妻アマーレの癌に気がつくことができませんでした。
娘たちからの信頼も完全に失っていたようでした。

本作では、そんなネイトが家族を取り戻すプロセスが描かれていました。
家族の再生というのは、他にもありとあらゆる作品で描かれてきた普遍的なテーマでもあります。

「家族を顧みなかった男性が危機に陥り、それを乗り越えたのを転機として家族の絆を取り戻す」というモチーフの作品は枚挙にいとまがありません。
しかし、ネイトに特徴的だったのは、親としてはまったく完全に機能していなかったらしい点でした。
それは「仕事にのめり込んでいた」「家族と向かい合うのを避けていた」というだけのレベルではなさそうで、何があったのか気になってしまうところです。

父性も母性も、親としての機能が完全に欠如していたネイト
医師としては、知識も迅速な判断力(=父性)も持ち合わせているのは、本作で描かれている様子だけからも明らかです。
しかし家族に対しては、まったく父性のカケラも見受けられません。
娘たちを連れてサバンナを訪れたのも、アマーレの故郷という理由が大きかったと考えられ、それはそれで自分の判断というよりも、いなくなってもなおアマーレに頼っていたとも言えます。

父性すら欠如していたことを象徴するのが、車で無線でマーティンと話しているときの「俺はどうすればいいんだ。どうすればいいかわからない」というセリフでした。
もちろん、慣れない土地での未曾有の危機という状況ではありましたが、家族が危機に直面しているにもかかわらず、彼は何をすればいいのかまったくわからなくなってしまうのでした。
そんな彼が、徐々に自分で判断して子どもたちを導き、信頼を取り戻していくプロセスは、まさに家族の中での父性を取り戻していくプロセスでした。

また、アマーレ亡きあと、ネイト家族には母性も不在だった様子が窺えます。
本作のような家族構成の場合、姉(長女)が母性的な役割を引き継いでいることが多いですが、メアは決してノラを守る母性的な存在としては描かれず、けっこう自分勝手に動き回っていました。


一方、本作で圧倒的な母性を放っていたのは、母なる大地であるサバンナの大自然でした。
その強烈な母性に呑み込まれ、ネイトはまったく判断がつかない状態に陥っていたとも言えます。

ネイトの夢に、たびたびアマーレが出てきました。
そこには、他にも原住民らしい見知らぬ女性たちが出てきます。
あのアマーレは、妻としてのアマーレというよりも、もう少し普遍的な存在であったと考えられます。
家族のために命を懸けてビーストライオンを打ち倒したあと、夢の中でネイトがアマーレにたどり着き、「やっと見つけた」と口にしたことからは、これまで父性も母性も含めてアマーレが一身に背負っていた親としての機能を、ネイトが取り戻した(というよりようやく獲得した)ことが示唆されます。

夢の中のアマーレの「もう心配いらない」というセリフの後半は、メアの声に引き継がれました。
これはメアに母性が引き継がれたとも考えられますが、おそらく、ネイトの家族全体が正常な機能を取り戻したと解釈した方がより適切でしょう。
ネイト個人だけの問題ではなく、アマーレとともに失われた家族としての機能が、本作を通して再生されたのでした。


その視点で考えると、本作において一番わかりづらいシーンの一つと思われる、車の中にアマーレが現れた夢の意味もわかりやすくなります。

あの夜が、ネイトにとっての転機でした。
「どうすればいいかわからない」という言葉。
尻込みするネイトを置いてマーティンを助けに行ったメア。
そして、「お父さんは嘘つきだ」と言われた夜。

ネイトもネイトなりに悩み、医師として妻の病気に気づけず失ってしまったことは、当然ながら強い自責の念や後悔に苛まれていたでしょう。
娘たちにも合わせる顔がありません。
上述した通りアマーレ頼みではありましたが、アマーレの故郷に3人で向かったのは、ネイトなりにアマーレの死や娘たちにきちんと向き合いたい気持ちもあったと考えられます。

しかし、ライオンに襲われてからも、頼りないネイトは娘たちをも命の危険に晒してしまいます。
そこで見た夢が、メアとノラがライオンに襲われるシーン、そしてアマーレを追いかけ「お前が必要なんだ」とうなされるネイトを優しく撫でながら「大丈夫?」と問いかけるアマーレでした。
「ネイトがそんな調子では、娘たちが犠牲になる」ということを暗示するかのような夢です。

あれは果たして、「このままではいけない」と覚悟を決めたネイトの無意識によるものなのか、あるいは「私はここにいるし、あなたが子どもたちを守るのよ」というアマーレの想いの現れだったのか。
それは観る人それぞれの解釈で良いかもしれません。
いずれにせよ、娘たちと本音をぶつけ合い、その後にこの夢を見た夜から、ネイトは変わっていきました。

ライオンの家族

また、ライオン側にも家族というテーマが強く現れていたのも本作の特徴でしょう。

そもそもライオンは群れで行動する動物でもあります。
あのビースト化したライオンは、なぜあれだけ獰猛になったかといえば、人間によって家族を奪われたためでした。
彼も彼で、家族のために戦っていたと言えるでしょう。

ここまで、タイトルにも合わせてあえて「ビースト化」という表現も使ってきましたが、彼が人間に対して獰猛になったのは、人間のせいでしかありません
特に悪かったのは密猟者たちで、ネイト一家なんかはとばっちりにもほどがあったとは言えますが、ビーストライオン(と、わかりやすいので呼びますが)にとってそんなのは関係ないことです。
マーティンたちも現地の人たちも、ライオンたちのためにあそこで暮らしていたわけではありません。

そのため、日本版ポスターの「モンスターライオン」という表現は、個人的には非常に違和感があります。
「モンスター」に見えるのは、人間側の勝手な解釈に過ぎません
「Beast」はそもそも「(野生)動物」という意味でもあり、ビーストライオンは昔も今もただあそこで自然に生きていただけでした。

野獣性という意味では、ラストでライオンと戦ったネイトの中にも見出すことができます。
あの戦いは、どちらもただ大切なもの(家族)を守るための戦いでした。
ネイトの作戦通り、あそこを縄張りにしていたライオンたちがビーストライオンを襲ったのも、あれもあれで自分たちの家族を守るためでした。

人間も動物も関係なく(というより人間もただの動物ですが)、家族を失えば悲しみ、家族を守るためには脅威に対して攻撃的にもなる
そんな自然の摂理が描かれているのが『ビースト』でした。

ただ、別に人間のエゴに対するメッセージ性が強い作品というわけでもありません。
他の動物パニックものも、大抵は「人間のせい」です。
本作のビーストライオンの背景も、あくまでもライオンが人間を襲う合理的な設定として描かれていただけであり、メインはエンタメとしてのサバイバルアクションです。

それでも、ビーストライオンはただあそこで生きていただけなので、かわいそうであるのは間違いありません。
本作ではビーストライオンがただ恐ろしいだけの存在ではなく、かわいそうだったり可愛かったりするのが印象的でした。

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