『ソウ ザ・ファイナル 3D』の概要と感想(ネタバレあり)
ジグソウの元妻・ジルは、ホフマン刑事の報復を恐れて、警察に保護を願い出る。
その頃、ジグソウのゲームを生き残ったボビーは、テレビ番組に出演するなどして話題になり、世間からもてはやされていた。
しかし、実はボビーにはある重大な秘密があった──。
2010年、アメリカの作品。
原題は『SAW 3D』。
本記事には、前6作『ソウ』〜『ソウ6』のネタバレも含まれるのでご注意ください。
前作『ソウ6』については、以下の記事をご参照ください。
シリーズ再履修マラソンを続けてきましたが、ついに一旦の最終作。
まずはとにかく、2004年の『ソウ』から毎年1作、一定のクオリティで作り続け完結させてくれたことに感謝です。
『SAW VII』ならぬ『SAW 3D』とシンプルな英題とは異なり、「ザ・ファイナル」が冠されている邦題。
これについては、日本の配給側がシリーズプロデューサーに「本作が完結編となり、続編・外伝さらにビギニングも製作はしない」と確認を取った上での命名であったようです。
さすがに、かわいそう。
いやでも、そんな、プロデューサーとはいえ本来確実な未来なんて保証できませんからね。
しかもこれだけのビッグタイトルですし、邦題側の判断が甘かった点も否めません。
7年(『ジグソウ:ソウ・レガシー』が2017年)でこの判断は覆ってしまうわけですが、それは長かったのか短いのか。
それはさておき、その後もやや外伝的になりながらもシリーズが続いてしまうわけですが、当時は『ソウ ザ・ファイナル 3D』が完結を意図して製作されたのは間違いありません。
そんな本作を自分なりに一言で表すと「終わり良ければすべて良し」です。
とにかくもう、個人的には完璧な終わり方に感謝。
「終わり良ければすべて良し」なので、あえて感想もマイナス面から触れていきましょう。
まずはとにかく、3D作品であったこと。
おそらく当時、3D技術の作品製作が流行ったのだと思いますが、シリーズ最終作がこの波に呑み込まれてしまったのは残念でなりません。
もちろん3D作品自体は別に良いのですが、やはり3Dを意識したであろう演出が目立ってしまいまっていました。
目を貫くトラップがこちらに迫ってきたり、肉片が派手に飛び散ったりと、3Dのための演出だな、というシーンが散見されます。
きちんと内容に組み込まれてはいるのですが、果たして3D作品として作っていなかったら、こんなゲームになっていたかな?こんな演出になっていたかな?とは思ってしまいます。
特に感じたのが、ジルがホフマンに殺される夢。
必要性もありませんでしたし、そもそもあんな夢オチ、だいぶ『ソウ』シリーズっぽくありません。
突っ込んでくる殺戮兵器も、飛び散る内臓や肉片も、3Dのためとしか思えませんでした。
余談ですが、目と口を貫かれた弁護士のスーザン、最後まで目を見開いていました。
とんでもなく根性ありましたね。
次に気になったのが、血の色です。
明らかに安っぽい、ピンクがかった血糊。
ピューピュー吹き出す様も、過去作に比べてチープさが目立ってしました。
これはどうなのでしょう、3Dであることが関係しているのですかね。
3D映像製作に予算がかかったので、血糊の予算が減ったのか。
3D映像としてはあの色の方が観やすかったりするのか。
内臓が飛び出す演出も多かったので、少しでもゴア表現の過激さを下げるためなのか(レイティング対策?)。
あるいは、単純に全体の予算が減ったり、スタッフ変更の都合などかもしれませんが。
いずれにせよ、公開当時3Dで映画館で観たのですが、3Dでもピンクっぽいな、というのは気になってしまいました。
内容に関しては、ジグソウのゲームの生き残りたちが登場し、さらには嘘の生還体験談で儲けていたボビーの設定は面白かったです。
『ソウ6』で助けてもらえたのかどうか心配していたアディが無事に生存者の会に参加していたので、安心しました(『ソウ6』の感想をご参照ください)。
しかし、『ソウ5』あたりと同じくですが、ゲームと本編がさほど絡み合わないところが少し残念。
ゲームはゲームでおまけのように独立してしまっていた上、3D演出もあってかゲーム内容も雑に感じてしまいました。
ボビーが進んでいき、捕えられた悪い仲間たちを助けられるか否かというゲーム進行は『ソウ6』とほぼ同じ構図でした。
『ソウ6』でも思ったのですが、最初のゲーム(ウィリアムの場合は呼吸を止めるゲーム、ボビーの場合は鳥籠からの脱出)でそれぞれウィリアムとボビーが失敗して死んでしまっていたら、どうなっていたのでしょうかね。
せっかくあんなに準備したのに。
というのは、考えてはいけません。
冒頭の街中でのゲームも、これまでの数々のゲーム以上に「どうやって設置したんだろう」感が漂います。
雰囲気的に渋谷みたいな、夜中でも人通りが多そうな街の印象でしたが。
そもそも被害者たちも、犯罪にも手を染めてしまったらしい者たちではありましたが、ついにジグソウは痴話喧嘩にまで介入するようになったのか、とかも思っちゃったり。
メインのゲームも含めて、やはりゲームの大雑把さは気になってしまいました。
あまり印象的なゲームもなかったですが、最後がボビー自身がでっち上げた「胸筋にフック刺してのぼるゲーム」だったのはなかなかに皮肉が効いていて良かったです。
脇腹を刺されたり歯を抜いたりとかなりの怪我を負っていたのに、普通に喋って何事もなかったかのようにのぼっていくボビーはかなりタフでした。
愛する妻を前にしての馬鹿力でしょうか。
あとこれは指摘されて気づいたのですが、ボビー、最後放置されていましたけれど、助かったのかな。
しかし、何も知らなかった奥さんのジョイスが一番壮絶な殺され方をしてしまったのは、ちょっとかわいそう。
ジョイスが燃やされた装置は『ソウ2』でオビが死んだゲームと似ていましたが、直火で焼かれたオビに対して、ジョイスは熱せられた装置内で炙り焼きにされたので、さらに残酷。
拷問とか処刑とか少しでも好きな方ならすぐ思い浮かぶと思いますが、あれは有名な処刑器具である「ファラリスの雄牛」とまったく一緒の構造でした。
あの装置が牛の形をしていたら、ホフマンもちょっと遊び心のある一面を見せられたかもしれません(作ったのはジョンかもですが)。
ジョンとの絡みで言うと、時系列が謎ではありました。
ボビーのサイン会に来たジョンはけっこう元気そうだったので、『ソウ2』よりも前に見えます。
まぁちょっとそこは深く考えない方が良さそうです。
しかしとにかく、すべてを覆してくれたのは、ローレンス・ゴードン。
ゴードン先生が再登場してくれただけで、そして彼があの場所で「ゲームオーバー」を言ってくれただけで、もう感無量です。
『ソウ ザ・ファイナル 3D』公開前は、ネット上ではたくさんの考察が溢れていました。
その中で多かったのが、ゴードン生存&黒幕説です。
アダムの死は確定していましたが、ゴードンの死は確定していなかったこと。
『ソウ6』でジルが封筒を届けたのが病院であったこと。
そして、医療の知識や技術がなければ難しそうなゲームが多かったこと(ここは後付けでしょうが)。
しかし、元のソースを見たわけではありませんが「シリーズ製作過程において、何度かゴードン役のケイリー・エルウィスに交渉したけれど、うまく交渉成立に至らなかった」といった情報も流れており、半ば無理なんだろうな、といった空気も流れていました。
そんなリアルタイムの過程も味わっていただけに、ゴードン再登場は非常に熱いものがあったのです。
贅沢を言えば、序盤から姿を現してしまったのは、少しもったいないようにも感じてしまいました。
最初に出てきた時点で、最後に「ゲームオーバー」を言う可能性はかなりイメージできてしまったので、最後の最後で満を持して登場してくれたら、個人的にはさらに盛り上がったはずです。
ただ、ちょっっっぴりふくよかにはなられていたので、最後にいきなり登場していたら「あっ、えっ、ゴー……ドン!?だよね!?」みたいになってしまっていた可能性も否めません。
とはいえ、ラスト、「Hello Zepp」が流れ始めてからは、個人的にはもう完璧。
『ソウ』シリーズを象徴する「Hello Zepp」のイントロに乗せて、始まりの場所と、『ソウ』や『ソウ2』と同じアングルで点灯されていく天井のライト。
ノコギリを取り上げたゴードンの「I don’t think so.」というセリフは、格好よくて痺れました。
そんなわけで、始まりの場所で始まりの人物が終わらせるという、あまりにも綺麗な終わり方。
ゴードンがジョン側についたのはちょっと不思議だったり、ゴードンを手伝っていた豚マスクの2人の正体は完全に不明だったりと、残された謎も多々ありますが、毎年1作ペースで7年作り続けた完結編として、これ以上ない十分満足な終わり方でした。
なので、これ以降のシリーズはやはり少々外伝的に捉えてしまっています。
もちろん、製作側もそれを理解しているために『ジグソウ:ソウ・レガシー(原題はJIGSAW)』『スパイラル:ソウ オールリセット(原題はSpiral: From the Book of Saw)』と素直なナンバリングではないのでしょう。
一方、これを書いている現時点ではこれから日本公開予定の『ソウX』ではナンバリングに戻り、トビン・ベル(ジョン)も登場するので、どうなるのか楽しみです。
最後にその他、いくつか『ソウ ザ・ファイナル 3D』の細かい点について。
ホフマン無双は前作以上に大爆発。
もはやちょっと人間を超越してしまっており、ホフマン好きとしては半ば笑っちゃう暴れっぷりでしたが、シリーズの世界観としてはぎりぎりのラインだったと言わざるを得ません(どちらかというとぎりぎりアウトかも)。
その分、警察側の無能さも一層際立ってしまいました。
『ソウ』の登場人物は全員、退路の確保が下手ですね。
ジルは、どうも走り方がちょっと気になってしまうのですが、自分だけでしょうか。
個人的には、どうしても最後まで好きになれないキャラでした。
まぁジルもジルで、ジョンと結婚したことで人生が狂ってしまったとも言えますが。
逆トラバサミでの死亡は、まさに因縁。
ボビーを演じていたショーン・パトリック・フラナリーは、1999年の映画『処刑人』でノーマン・リーダスと双子役を演じていました。
ノーマン・リーダスは、ドラマ『ウォーキング・デッド』のダリル役が有名ですが、大好きです。
え?あ、はい、ノーマン・リーダスが好きなので言及しただけです。
車のゲームはもはや派手すぎてお祭りのようでしたが、運転席に座っていた男性エヴァンを演じていたのは、アメリカの超有名ロックバンドであるリンキン・パークのボーカルの1人であるチェスター・ベニントンでした。
彼は残念ながら2017年に、41歳の若さで亡くなっています。
リンキン・パークもかなり好きなので、改めて本作を観ると何とも言えない気持ちも浮かんできてしまうのでした。
追記
『ジグソウ:ソウ・レガシー』(2024/08/23)
次作『ジグソウ:ソウ・レガシー』の感想をアップしました。
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