【映画】キャラクター(ネタバレ感想・心理学的考察)

映画『キャラクター』のポスター
(C)2021映画「キャラクター」製作委員会
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作品の概要と感想(ネタバレあり)

映画『キャラクター』のポスター
(C)2021映画「キャラクター」製作委員会

漫画家として売れることを夢見て、アシスタント生活を送る山城圭吾。
ある日、一家殺人事件とその犯人を目撃してしまった山城は、警察の取り調べに「犯人の顔は見ていない」と嘘をつき、自分だけが知っている犯人をキャラクターにサスペンス漫画「34」を描き始める。
山城は一躍売れっ子漫画家の道を歩んでいく中、「34」で描かれた物語を模した事件が次々と発生する──。

2021年、日本の作品。

観たかったのですが映画館では逃してしまい、ようやく観られましたが、予想と違わず、個人的にはかなり大好きな一作となりました。
セカオワ好き、Fukase好きなので、それで若干加点されている部分もあるかもしれませんが、シンプルに面白いと思います。
最近の邦画でジャンルの近い(方向性は全然違うけれど)『死刑にいたる病』も好きですが、『キャラクター』の方が好きかも。

感覚としては、それこそ漫画を読んでいるような感覚に近かったです。
と思っていたら、『20世紀少年』など数多くの浦沢直樹作品にストーリー共同制作者として携わってきた長崎尚志の脚本ということで、なるほど。
カメラワークも序盤でゲームみたいな一人称視点になったりして面白く、音楽も合っていました。


ストーリーや展開は、ご都合主義的だったり強引な部分がかなりあり、突っ込みを入れようと思えば穴だらけです(そこが気になってしまった人は合わないかと)。
伏線などはヒントが多めで、意表を突いた展開はなく、だいたい予想できる方が多かったのではないでしょうか。
が、それが気にならないぐらい楽しかったのは、主人公の漫画家・山城圭吾と謎の殺人鬼・両角の関係というしっかりした軸となる部分に重きを置いている(取捨選択がはっきりしている)のと、素早くテンポ良く飽きさせない展開、そして俳優陣たちの演技によるものだと思いました。

菅田将暉、高畑充希、小栗旬、中村獅童あたりはやっぱり上手いんだなぁと感嘆。
Fukaseも、演技が上手いのかはわかりませんが、少なくともこの厨二感を詰め込んだような殺人鬼役は抜群に合っていました。
明らかに棒読みな人が1人でもいたりすると一気に冷めてしまいがちですが、本作は脇役も含めてみんな安定していた。


演技などは素人目線すぎるのでさておいて、意外と死体などがはっきり映り、グロさもそれなりにありました。
個人的にポイントの高かったところが、小栗旬演じる清田刑事がしっかりと死んだ(?)ことです。
一方、ラストが予定調和的だったのは少し残念で、あそこで山城と両角が共に死んでいたら、さらに評価が高かったかもしれません(収集つかないか)。

和気藹々としながら「しょうがないなぁ」と囮役を引き受ける山城家は、若干ホラー

エンドロールは、そこはSEKAI NO OWARI feat. 菅田将暉じゃないんか!と思いましたが、色々事情もあるのでしょう。

取捨選択がはっきりしているので、考察するには全然情報がない部分もありますが、一般的な考察も含めて、後半では振り返ってみたいと思います。

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考察:登場人物の心理や関係性と、九條村の実態(ネタバレあり)

映画『キャラクター』のシーン
(C)2021映画「キャラクター」製作委員会

両角は何者だったのか

謎の殺人鬼・両角
その「両角修一」という名も本名ではありませんでしたが、ややこしいのでここではそのまま「両角」と呼んでおきます。

彼は、後半で出てきた九條村という村にあったコミュニティの出身者
そのコミュニティは、「4人家族を幸せの一単位とする」という宗教じみた価値観に基づいていました。
清田刑事は、4人家族を狙った両角の犯行について、「4人家族を引き裂かれた恨みかもしれないな」と推理していますが、真実はわかりません。

出生届も提出されていなかったとのことで、もしかすると両角は3人目の子どもだったのでは?
つまり、それでは5人家族になってしまうから出生届も提出されずに捨てられたのでは?
とも考えたのですが、新聞記事を見る限り「多くが無戸籍児か」と書かれていたので、そうとも限らないようでした

ただ、「5人目として捨てられたことによって、4人家族に恨みを抱くようになった」という方が、4人家族を殺害するには説得力が増すようには思います。
「コミュニティでは4人家族で幸せだった → それを引き裂かれてしまった → 自分が失った幸せな4人家族という存在を妬ましく思い殺害する」というのは、わかるようでいまいちしっくりこないような、論理の飛躍があるように感じます。

いずれにせよ、コミュニティ崩壊後の両角の環境は、一切謎に包まれたままです。
何らかの保護がなかったのか、どうやって本物の両角の戸籍を買ったのかなどは、まったく触れずに省略された部分なので、想像するしかありません。

最後の最後、法廷での「逆にお尋ねします。僕は、誰なんだ?」が、彼の本質です。
本当の戸籍がないということは、社会的には存在していないことと同義
名前も、生年月日も、戸籍も言えない。
「自分」というアイデンティティのない存在です。

そんな彼が、山城の漫画「34(さんじゅうし)」をなぞったのは、アイデンティティがなかったからこそです。
最初の事件、船越一家殺害事件の動機は謎ですが、幸せそうな4人家族を見て、妬ましくなったのかもしれません。
あるいは、以前からやり取りがあったのだとすれば、辺見から影響を受けた可能性も高そうです。

しかし、両角は、4人家族へのこだわりはありましたが、いわゆるシリアルキラーらしいこだわりは他には見られません
他人の筋書きに沿って殺人を行うというのは、典型的なシリアルキラー像からかけ離れたものです。
また、ダガーが単に自分に似ているから共感したというだけではなく、山城が自分に似ている、あるいは何かしら導いてくれるのではないかと思い、共作の先に得られる「自分」を求めていた側面もあったのかもしれません。

山城が九條村を扱ったのは偶然?

「34」における2つめの事件は、山道において車内で一家4人が殺害されたものです。
この山道が、九條村へと繋がる道
両角はそれをなぞって、原一家4人を殺害しました。

両角の出生地である九條村へと繋がる道。
だから原一家の車に乗せてもらった両角は、「へぇ、今は民宿なんだ」と呟きます。
九條村コミュニティでの記憶があるかはわかりませんが、そこが出生地であることは自覚しているようです。
だからこそ、九條村へ続く山道であることを漫画から読み取れて、そこまで再現したのでしょう。

山城が九條村へ続く山道を事件現場として扱ったのは、結論としては偶然と考えるのが自然です。
この偶然があったからこそ、両角はさらに共感したのかもしれません。

偶然にもほどがある、ご都合主義すぎとも捉えられますが、「34」でも「4人家族殺害」を描いていたわけなので、過去の事件資料を集めていた山城が「4人家族」をキーワードとする九條村の存在に思い至ったのは、不自然とまでは言えません。

両角と辺見の関係

両角の「アシスタント」であった辺見敦。
50歳の彼は、16歳のときに一家4人を殺害し、12年間を医療少年院で過ごしました。

医療少年院は、心身に著しい故障が見られる12歳以上26歳未満の者を収容する少年院です。
心身のに著しい故障が見られるというのは、身体的・精神的なケガや病気だけでなく、身体障害や知的障害、および精神的な情緒不安定なども含まれます。

刑罰ではなく矯正教育を理念とする少年事件において、少年院に12年間というのは、かなりの長さです。
神戸連続児童殺傷事件の酒鬼薔薇聖斗こと少年Aですら7年ほどで、ずっと医療少年院にいたわけではありません。
このあたりは現実的な観点から検討すべきではないとして、いずれにせよ、当時の事件もはっきりとは覚えていないと述べていた辺見。
何かしらの精神疾患があり、それゆえに自我が弱く、周囲の影響を受けやすい、ぐらいが考察できる限度です。

辺見と両角の関係は、もともと両角が辺見のファンになってやり取りが始まり、その後辺見が両角のファンになったとのことでした。

仮説①辺見が殺害した一家4人は、両角のもともとの家族なのではないか?
両角の年齢は、履歴書では「28歳」と書かれていましたが、これは本物の両角修一の年齢であると考えられ、実際は生年月日すら定かではないのではっきりしません。
Fukaseの実年齢35歳(映画公開の2021年当時)を考えると、辺見の事件が34年前なので、ぎりぎりあり得なくはありません
もしこれが通れば、両角が辺見のファンになったのも理解できますし、両角が「5人目の子どもだった」説も有力になります。

そうでなければ、両角は単純に「4人家族を殺害した犯人だから」という理由だけで辺見のファンになったということになります。
その場合は、おそらく辺見も4人家族の殺害に何かしら思い入れがあり、やり取りの中で両角は辺見に自身と通ずるものを感じたのかもしれません。
だからこそ、同じ「4人家族の殺害」を行う両角に、辺見も共感してファンになったということです。
ただその場合は、自我が弱いという辺見の仮説と矛盾が生じます。

仮説②辺見が本当の両角修一ではないか?
本物の両角の母は、息子の修一は脚が悪かったと証言。
清田刑事を殺害して逃走する際、足を引きずって逃げていたことからそうも思いましたが、最初の逮捕劇の際、けっこうがっつりダッシュしていたので、否定されます

仮説③辺見は16歳のときの事件も記憶が曖昧なので、それも冤罪なのではないか?
その可能性は否定はできませんが、現実的な観点を持ち込むと、さすがに少年事件で証拠もなく12年間少年院送りになるとは思いたくありません。
それを除いても、そんな利用されただけの偽物の殺人鬼なのであれば、両角が陶酔したとも思いづらい。
なので、16歳の事件は実際に辺見の犯行であり、ただ、何かしら精神疾患を抱えていたため現実感は乏しく記憶は曖昧で、医療少年院送りになったのだと考えられます。
新聞には「性的サディズムと鑑定」されたとも書いてありました。

現実的にはそんな都合の良い幻聴もないのですが、「4人家族を殺せ」という幻聴があったとすると、統合失調症で医療少年院送りになったという流れも、辛うじて成り立ちます。
その場合、「4人家族を殺せという神のお告げ」を受けて実行した存在として、両角が惹かれたとの解釈も可能です。

いずれにせよ、辺見は16年前に実際に4人家族を殺害し、それがたまたま両角と共鳴し合ったのだと考えられます。

辺見の役割

辺見の役割は、まさに両角の「アシスタント」でした。
最初の船越一家殺害事件では、両角の罪を辺見がかぶりました。
2件目の原一家殺害事件の車の中から船越一家殺害事件の凶器であったナイフが出てくるという発想は、山城と両角のやり取りの中で偶然生まれたものなので、冤罪が判明して保釈されるところまで最初から計画されていたとは思えません。
辺見は上述した通り、自我が弱く影響を受けやすかったものと考えられます。

一方、清田刑事を刺し殺したのは、辺見でした。
これは、辺見の意思ではなく、両角の指示です。
これについて両角は「僕のやることではないから。作品を創るには、アシスタントが必要でしょ」と法廷で述べます。

作品というのはもちろん、4人家族の殺害であり、「34」の再現です。
漫画と現実が連動して「34」の世界を創り上げていくという、山城と共同で制作している作品
清田刑事の排除は、その作品創りの本筋とは関係がありません。
そのため、ファンであり「アシスタント」であった辺見を利用したに過ぎません。

この事件からも、辺見はやはり、自身が逮捕される可能性については無頓着です。

清田刑事と眞壁刑事の関係

親しげにタメ語で話す、清田刑事と真壁刑事(中村獅童)。

この2人の仲は劇中で説明されていた通りで、暴走族でやんちゃしていた少年時代の清田を担当していたのが、所轄の少年課だった真壁刑事でした。
なぜ暴走族上がりという経歴が秘密になっているかといえば、それが明らかになっていたら警察官になれていなかったかもしれないから、ということであると推察されます。

ただ、補導歴や逮捕歴があったとしても、警察官になるために明示されている欠格自由には該当しません。
ある程度、身辺調査などもあるとのことなので、そのあたりで引っかかる可能性もありますが。

冒頭で、真壁刑事が「(清田が)族上がりって本当か?」と質問されていましたが、そうであっても、何か問題があるわけではなく、もちろん刑事をクビになるわけでもありません。
ただ「暴走族上がりの刑事」を抱えていることがリスクになり得る、何か問題を起こしたらつつかれるかもしれない、といったような心配からの保身のための質問でしょう。

山城圭吾の心理

「キャラが弱い」と言われまくり苦悩していた漫画家・山城圭吾。
彼は両角による最初の事件、船越一家殺人事件の第一発見者となり、両角を目撃しましたが、取り調べでは咄嗟にその事実を隠しました。

この時点で漫画にしようとまで考えていたは定かではありませんが、わざわざ目撃したことを隠すのも不自然なので、「これは使えるかもしれない」ぐらいは思い描いていたのだと考えられます。
「キャラが弱い」「いい人」というのをこれでもかというほど言われていたので、今回の凶悪な事件に何かしら刺激されるものがあったのでしょう。

殺害現場から犯人の見た目まで、完全再現レベルで模倣したのは、デッサンの技術はすごいけれども、やっぱり創造性はいまいちなのかもしれない……と思わざるを得ません。
たとえ警察官が誰も漫画を読んでいなくてバレなくても、犯人が逮捕されたら炎上しそう。
編集者の大村は「あんな異常な体験をしたら、作品の素材にしたくなるのは当たり前じゃないですか」とフォローしており、それはその通りですが、丸パクリではさすがに創作に昇華されてるとは言えません

これは、殺人現場を見てなお、山城は悪を創造できなかったことを意味します
自分で創れないから、すでにあるものを借りた(というより、無断使用した)のです。

ただ、その後は売れっ子漫画家になるほどの大ヒット。
第2の事件は、自分の発想で創り上げました。
この時点で、やはり何かしらの刺激を受けていたことが窺えます。

しかしその後、自動車の天井裏に隠したナイフの取り扱いなど、姿を現した両角のアドバイス通りに漫画も描いてしまいます。
やはり、自力では詰めきれない
そこを両角が補うことでようやく、山城の悪の表現が完成していく。
これは確かに、共同制作と言われても仕方ありません

ラスト近くのシーン、襲いかかってきた両角に反撃した山城は、両角に馬乗りになり、まるで楽しむかのような形相でとどめを刺そうとしました。

撃つんかーい!

と思ってしまいましたが、真壁刑事の発砲によって阻まれ、漫画とは逆の体勢で山城が両角の上に倒れ込みました。

序盤では、「両角は、山城の多重人格の一つではないか?」とミスリードさせようとしているのかな?というシーンもありましたが、山城と両角を重ね合わせて見せる演出が目立ちます。
山城と両角は同族であり、最後のシーンは、山城が秘めていた悪が目覚めたのでしょうか?

個人的には、そうは思えません。
山城が「いい人」だったのかはさておいて、キャラが書けない、自分で創造できないところからは、やや空っぽな印象を受けます。
山城からは、あまり「自分」というものが感じられません。
つまり、おそらく山城の漫画の登場人物のように、山城自身のキャラも弱いのです。

空っぽな存在である山城。
だから、そこに両角の「殺人鬼というキャラクター」が入り込んでいたというのが、あの両角にとどめを刺そうとしているシーンの意味だったのではないかと思います。
秘めていた暴力衝動が喚起されたぐらいはあり得るかもしれませんが、あれだけ空っぽだった山城が、とても殺人の快楽に目覚めたとまでは思えません

両角を実際は目撃していたことを清田刑事に白状したとき、山城は「あいつと目が合って、あいつが俺ん中に入って、俺があいつに入って、生まれて初めて、すごいキャラクターが浮かんだ」と話していました。
これは、お互いが影響を受け合っていることを示唆します。

しかし、これは山城の見解でしかありません。
実際は、空っぽな自分の中に、両角という強烈なキャラクターが飛び込んできただけです。
事件そのまま、両角の外見そのままを再現しているところからは、そう考えるのが自然です。
両角が入り込んできたのではありません。
あのとき目撃した、両角の「殺人鬼というキャラクター」に影響を受けただけ

ただ、その視点で言えば、両角も「自分がない」空っぽな存在です。
両角も、山城の作品がなければ、連続殺人には至っていなかったかもしれない。
その意味では、山城と両角は同族というより、相補的な存在です。

そもそも最初に4人家族を殺害した船越一家殺害事件も、辺見の影響を受けていた可能性もあります。
しかしその辺見も自我が弱いので、何かに影響を受けて16歳のときに事件を起こしたのかもしれない。
空っぽな人たちの中に、「4人家族殺害」が連鎖しているとも考えられます。

もちろん山城の場合は、「4人家族殺害」を再現したのは現実ではなく漫画の中です。
しかし、最初の事件は別としても、漫画の中での2件目の事件も4人家族を対象にしたのは、山城の選択です。
それがなければ、もしかしたら両角は続けて犯行を行っていなかったかもしれません

ラストシーンの意味

ラストシーンでは、無事に双子を出産したらしい山城の妻・夏美が、視線を感じたように振り返り、カメラがその第三者と思われる視点に移動します。

これはおそらく辺見視点
自分の判断なのか両角の指示なのかわかりませんが、逃亡している辺見と逮捕された両角が連絡を取り合う機会もなかったはずなので、辺見の独断と思われます。

ただ、上述した通り、辺見にはほとんど自分の意思が感じられません。
積極的に判断したというよりは、両角の計画を引き継いで実行しなきゃ、ぐらいの思いでしょう。

エンドロール後、シャキーン、シャキーンと、刃物の音が2回響きます。
あれが、双子を殺害した音と捉えるのは、穿った見方でしょうか。

いずれにせよ、全体的にけっこう頼りない本作の警察ですが、いまだに辺見を捕まえられていなかったというのは、痛恨の極みです。

ちなみに、山城圭吾と夏美夫妻の子どもが双子であることは、少し一応伏線がありました。
夏美の職場?に山城が来て、夏美が「これ取り置きしてもらったんだけど、いいかな」というシーン。山城が来る直前、夏美が友達と話していたときに指を2本立てており、友達が驚き、夏美が「しーっ」というジェスチャーをしていました。
「子どもは双子だけど、まだ(山城には)内緒ね」という話をしていたのだと思われます。

九條村はカルトだったのか

九條村に存在していた、4人家族を幸せの一単位とするコミュニティ
新聞には「宗教かコミュニティか?」といった見出しが踊っていましたが、これについては深掘りされていません。
しかし、劇中で映る新聞(雑誌?)記事から、その実態がある程度浮かび上がってきます。

記事を丁寧に見ていくと、以下の内容が読み取れました。

  • 突如、20組の4人家族が移住してきて集落を結成した
  • 集落内で教育し、子どもの通学を拒否
  • 徐々に隣人同士の喧嘩やトラブルが増えた
  • 孤立した家族には、深夜にコミュニティのメンバーが訪れ、女・子ども関係なく暴力を振るった
  • もともとは「4人家族を幸せの一単位」と考えていたが、その面影はなくなっていった

これらののち、

  • 代表者がコミュニティ内で大量殺人を犯した
  • 代表者は無理心中を図り自殺しようとしていたが、自殺前に逮捕された
  • 事件の3ヶ月前に代表者は妻と別居しており、それ以降住人との争いが増えていた
  • 保護された子どもたちの大半が十分な教育を受けておらず、トイレの流し方も手洗いの使い方もわからなかった
  • 多くの子どもが出生届が未提出の無戸籍児だった

といった事件があったようです。

これらを考えると、九條村のコミュニティは、排他的で閉鎖された環境で独自の価値観によるコミュニティを形成して、徐々に暴力が支配するようになっており、破壊的カルトの要素を満たしています

破壊的カルトのトップは、最初こそカリスマ性がありますが、だんだんとその化けの皮が剥がれることによりコミュニティ内の不満が高まります。
それらをどうにかしようと、トップは無茶をし始め、閉鎖的な環境なのでそれが暴走する。
最終的には、世間的に大きな事件を起こすか、集団自殺のような形で自滅していきます
九條村のコミュニティも、まさに代表者の暴走によって自滅していったのでした。



以上、思いついた点を考察してみましたが、もし他にも気になる点がありましたらお教えください。

それぞれ展開とエンディングが異なるノベライズ版、コミカライズ版もあるようなので、こちらも追って読んでみたいと思います。

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