【小説】首藤瓜於『脳男』(ネタバレ感想・心理学的考察)

小説『脳男』の表紙
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作品の概要と感想とちょっとだけ考察(ネタバレあり)

タイトル:脳男
著者:首藤瓜於
出版社:講談社
発売日:2003年9月12日(ノベルス:2000年9月11日)

連続爆弾犯のアジトで見つかった、心を持たない男・鈴木一郎。
逮捕後、新たな爆弾の在処を警察に告げた、この男は共犯者なのか。
男の精神鑑定を担当する医師・鷲谷真梨子は、彼の本性を探ろうとするが……。
そして、男が入院する病院に爆弾が仕掛けられた──。

第46回江戸川乱歩賞受賞作にして、2000年週刊文春ミステリーベスト10で第1位となった作品。
未見ですが、2013年には映画化もされています。

それらの評価だけでも窺い知れますが、さすがとしか言いようのない完成度でした
リアリティ重視というよりは、人間を超越したような最強で天才な男性が出てきたりと、エンタメ性重視。
かといってラノベほどぶっ飛びすぎているわけでもなく、独自の設定は地に足がついた感覚をもたらす、絶妙なバランス。
他の登場人物たちもみんなキャラが立っていて魅力的。
後半は展開のスリル感も増していき、止まらなくなりました。

2000年という、古くなってきていると言って差し支えない作品だと思いますが、古さを感じさせません
もちろん、小道具や知識などは時代の変化を感じます。
公衆電話を探す鷲谷真梨子やメールを知らない茶屋刑事、エアシューターなる装置でドヤ顔している院長はもはや微笑ましい。
出会う人たちが次々と個人情報を教えてくれるところは、当時からしても展開のテンポ重視だったとは思いますが、今となっては大問題になりそうです。

それはさておき、古さを感じさせない要因は「感情」という普遍的なテーマを扱っているからでしょう
現代でさえ、感情というものは明確に解明されていません。

鈴木一郎の状態自体は、もちろん架空のものです。
しかし、その設定がとても面白い。
感情だけを1冊のテーマとして取り扱った専門書が無数にあるほどなので、ここで感情について詳しく述べることは避けますが、感情がなぜ存在するのかというのを超絶大雑把にまとめれば、生きる可能性を高めるものであったからです。
つまり、感情を一番大きく分けると「快」と「不快」になりますが、快を求め、不快を回避することが、個の生存および種の存続の可能性を高めてきました。

感情は、行動や判断を促す動機づけも伴います。
つまり、恐怖を感じるような場面では、戦ったり逃げたりすることが必要になります。
そのために、脈拍が速くなったりするのです。

そのため、感情がないということは、行動への動機づけが失われてしまいます
なので、鈴木一郎(入陶大威)に自分の意思というものが存在しなかったのは、当然と言えるでしょう。

鈴木一郎ほどではなくても、感情が乏しくなるというのはあり得ます。
似ている、というより近い状態としては「アパシー」というものがあり、これは通常であれば感情が動かされる刺激対象に対して関心がわかない状態であり、興味や意欲の障害と位置付けられます。
「アパシー」自体は病名ではなく、色々な病気に伴って現れる状態を指しますが、感情が乏しくなると同時に、自発性や意欲の低下として現れます

他にも「アレキシサイミア(失感情症)」というものもありますが、これは感情の欠落ではなく、自分の感情が読み取れなくなってしまうという症状です。
なので、実際は感情があるため、気がつかないうちにストレスなどがどんどん溜まってしまい、心身の症状や病気として現れやすくなります。

なので、アパシーの先天的かつ極端なバージョンというのが、鈴木一郎に一番近いイメージかもしれません

それらを踏まえて、「オリジナルの自我のようなメカニズムを作った」というのはとても面白い設定でした。
自我とは?
心とは?
自分とは?
というのはまた壮大すぎるテーマなのでここでは置いておきますが、それによって鈴木一郎は、自分の意思を持ち始めたのでした。

夢というのも、いまだに謎が多い現象です。
ただ、現代で明らかになってきているのは、記憶の整理などに伴う現象でもあるので、擬似自我を作り上げた=無意識が生まれたから夢を見るようになった、というのは、今読むと少し古い設定に見えてしまいます(それでも面白い発想ですが)。


しかし、本作が古さを感じさせないのは、普遍的なテーマであると同時に、現代ではまた違った形で本作で取り上げられていたテーマが浮上してきているからでしょう。
それは、そう、AIです。

『脳男』というタイトルの意味はわかりきっていませんが、脳と身体が分離していたような印象を持つのが鈴木一郎でした。
脳の指示によって身体が動くわけですが、感情がなければ、上述した通り目的がなくなるので、身体を動かす必要性が生まれません。
つまり、以前の鈴木一郎は人間というより、「培養液に浸かった脳」のイメージに近かったとすら言えるでしょう。

そして、コンピュータと脳は切っても切り離せない関係性で発展してきましたが、その関わりが大きくクローズアップされているのがAIです。
果たしてAIは、感情を持ち得るのでしょうか。
「感情のようなもの」「感情に見えるもの」は演出できるでしょうが、本当の意味での感情を持ち得るのでしょうか。

そして、それを発展させたものが、もはや空想的なSFというより近い未来を想像させるアンドロイドのような存在です。
鈴木一郎は、今読むとまさにアンドロイドのような印象を受けました

AIやアンドロイドが感情を持つのかどうか。
それは到底ここでは考えきれませんし、未来を待つしかないとも言えます。
個人的に好きなものでは、森博嗣の作品でも扱われているテーマの一つであり、特にWWシリーズで顕著です。
また、ゲームでは『DETROIT: BECOME HUMAN』という名作がまさにそのようなテーマを扱っています。
『脳男』そのものからは逸れてしまいますが、ご興味のある方はぜひ。

話が広がってしまいましたが、現代、そして未来にまで通ずるテーマを包含していた『脳男』
思った以上に続編がありそうなラストでしたが、知らなかったですがしっかりと続編(『指し手の顔 脳男II』)があるようです。
と言いながら調べていたら、何と今年(2023年)に15年以上振りとなる3作目(『ブックキーパー 脳男』)まで発売されていました。
方向性も気になるので、このシリーズも今後読んでいきたいところ。
と、どんどんと読みたい作品が溜まっていくのでした。

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