【小説】長江俊和『出版禁止』(ネタバレ感想・考察)

小説『出版禁止』の表紙
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作品の概要と感想(ネタバレあり)

タイトル:出版禁止
著者:長江俊和
出版社:新潮社
発売日:2017年3月1日(単行本:2014年8月22日)

著者・長江俊和が手にしたのは、いわくつきの原稿だった。
題名は「カミュの刺客」、執筆者はライターの若橋呉成。
内容は、有名なドキュメンタリー作家と心中し、生き残った新藤七緒への独占インタビューだった。
死の匂いが立ちこめる山荘、心中のすべてを記録したビデオ。
不倫の果ての悲劇なのか。
なぜ女だけが生還したのか──。

いわゆるモキュメンタリー、フェイクドキュメンタリー形式のミステリィ。
いきなり余談ながら、芦沢央『火のないところに煙は』でもモキュメンタリーと書きましたが、軽く調べた感じだとモキュメンタリーは主に映像作品で用いる用語のようですね。
フェイクドキュメンタリーもモキュメンタリーとほぼイコールですし、小説だと何と表現するのが適切なのでしょう。

さておき、SNSなどでも「意外な結末、どんでん返し系」としてよく見かけていた1作。
噂に違わぬ見事な作品でした。
はっきりフィクションと知らずに読み始めていたら、もっと楽しめたのかも。

前半はやや地味で単調なインタビューや調査が続きますが、徐々に真相が明らかになっていく展開や文章の読みやすさで乗り切れます。
そして終盤は、まさかのホラーかつグロ展開
自分好みの展開に歓喜、生首とご対面したときには思わずにこにこでした。
とはいえ、ここも「終盤グロい」的な感想は見かけてしまっていたので、知らずに読みたかったポイントでもあります。

心中がテーマとなっていることもあってか、終始漂う不穏で暗い空気感は、読んでいて鬱々としてきました
そのような空気感の作り方もとても巧み。

全体的には、徐々に真相が明らかになり、最後に意外な展開を繰り広げて締めるシンプルなミステリィとも言えるでしょう。
とはいえ全貌は明かされないので、ああだこうだと妄想が広がります
個人的には、こんなブログをやっていながらも「さぁ考察してください」という考察ありきなスタンスの作品だと逆に冷めてしまう天邪鬼なのですが、そのあたりのバランスも良い着地だったと感じます。

ただ、読者それぞれに解釈があり得る作品で、一つの解答に収束できる作りではないでしょう
真相は若橋呉成の死とともに闇の中、つまりは著者・長江俊和しか解答は知り得ません。

そんなわけで、どういうことだったのかなぁ……をそれぞれが考えるのが本作の醍醐味でもあると思うので、考察しているサイトもすでに多そうですが、自分なりの解釈も残しておきたいと思います。
もちろん、唯一の解答だとは思っておらず、あくまでも自分なりの解釈です。

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考察:結局どういう事件だったのか?(ネタバレあり)

考察の前提:リアリティと演出

まず考察するにあたっては、「結局はフィクションである」という点が、重要です。
それが意味するものは、

①解釈は無限にある
②矛盾がないとは限らない

という2点です。

①については、作品に関する妄想は広げようと思えばいくらでも広げられます。
極端に言えば、「若橋呉成のルポルタージュ「カミュの刺客」の内容はすべてが若橋の妄想である」「実は長江俊和がカミュの刺客であり、ルポの中身を都合よく書き換えている」などなど。

しかし、それらの根底をひっくり返すような可能性まで考え出したらキリがないので、ここでは作中で書かれている前提は基本的に受け入れる形で進めます
具体的には、若橋呉成の「ルポルタージュに不正確な記述はない」という言葉と、長江俊和の「事実関係を確認し、自分なりに裏取り調査も行い、間違いなく“事実”が記されたルポだと確信した」という点を信じます。


また、「②矛盾がないとは限らない」に関しては、フィクションである限り、リアルに書いたつもりでも矛盾が生じ得る、ということです。

たとえば、細かいですが、若橋の逮捕後に関して、「弁護側が精神鑑定を請求し山梨地裁が受け入れた」「責任能力の有無を巡って審理が継続している」「公判中の事件に関する書物の出版は困難」「若橋が自殺してしまったことにより、裁判は開廷されることなく、審理は終了となってしまった」といった記載があります。
これは現実的には矛盾しており、本作には関係ないので詳しくは省略しますが、「起訴前に精神鑑定を求めるのは弁護士ではなく検察」「公判というのは起訴され開廷されてから行われるもの」「責任能力を巡って争うのは公判において」などなど、細かいプロセスに誤認があります。

そのような細かい点の揚げ足を取りたいわけではなく、「著者の意図(フィクションとしての真実)と現実的な検討にはズレが生じるかもしれない」ということです。

上述した司法プロセスは本筋とは関係がありませんが、神湯の配下であり裏の世界の住人らしい、とある政治結社に所属する高橋に若橋は会いに行きましたが、「ここで若橋は高橋に催眠術をかけられたのではないか」という考察を見かけました。
しかし、こんな短時間のやり取りだけで、マインド・コントロールにせよ洗脳にせよ催眠にせよを行って相手を操るというのは、現実的には不可能で、それはもはや超能力でしかありません。
ですが、もしかしたら著者がそのような催眠術が可能だと思い込んでいる、あるいはフィクション的な演出として非現実的ながらそのような設定で書いている、といった可能性もあるのです。
なので、個人的にはこの場面によって高橋が若橋に催眠術などをかけた説はあり得ないのですが、著者がそのように意図して書いていたとしたら、どうしようもありません。


他には、明らかに作品をエンタメとして盛り上げるための演出も見られます
これも例を挙げれば、長江俊和が報道記者に事件時の映像を見せてもらった際、「どういった内容の映像なんですか」「とにかく、ご覧いただければ、分かると思いますので」といったやり取りがあり、その後の映像で突如、新藤七緒の生首が現れるという衝撃的な場面が描かれます。

これ、報道記者、あまりにも意地悪すぎますよね。
普通、「実は切断された頭部だけが見つかったんです。映像もあるんですけど、見ますか?」となるでしょう。
いきなり生首の映像を見せるとか、長江俊和さん、実はこの報道記者に嫌われていたのではないかと心配になってしまいます。

ここはもちろん作品上の演出で、上述したような会話のあとに映像を見るよりも、長江目線で一緒に映像を見ていたらいきなり生首が現れる、という演出の方が盛り上がるのは確実です。
事件を報じる新聞記事も、すべて「女性の遺体が発見された」と書かれていましたが、これも普通は「遺体の一部」と書くでしょう。
やや不自然でも作品の魅力を高める演出が優先されている記述もある、ということです。

そのような意味で厳密な考察は難しくもあるのですが、とりあえずは上述した前提を土台として、あくまでもフィクションであるという前提も踏まえて、以下は考察していきます。

共通認識的な考察

まず、ルポ後の長江俊和による補足や他サイトなどで共通認識となっている考察は、以下の点です。

  • 「わかはしくれなり(若橋呉成)」は「われはしかくなり(我は刺客なり)」のアナグラム
  • 「しんどうななお(新藤七緒)」は「どうなしおんな(胴無し女)」のアナグラム
  • ルポ中の児戯の如き仕掛けというのは、文頭を拾って「私は、七緒をころした」「七尾は生首」
  • 漢字の変換ミスというのは、「視覚の死角」ではなく「刺客の刺客」
  • 若橋の本名「□□さん」というのも「刺客の刺客」を表している

このあたりはもう前提として進めましょう。

ちなみに、仮名でフルネームが出てくるのは、若橋と新藤以外ではプロデューサーの森角啓二(もりかくけいじ)がいました。
一応こちらもアナグラムで考えてみると……?
せいぜい強引に「けいりもじかく」から濁点を外して「経理も刺客」ぐらいでしょうか。
経理といえば、神湯の関連会社から熊切エンタープライズに定期的に入金があった、という証言をしてくれた人がいました。
この人が刺客だとすると、「神湯と熊切親子の仲が実は良好だった」「神湯が金銭的にサポートしていた」という点が少し揺らぐかもしれませんが、「事実関係は確認済み」という長江発言の前提が崩れてしまうので、これはただ強引なこじつけとして放棄しましょう。

7年前の事件

本作では大きく二つの事件が描かれます。
言うまでもなく、7年前の熊切敏と新藤七緒の心中事件と、今回の若橋呉成による新藤七緒殺害事件です。

まず、7年前の心中事件について。
これは作中では、本当の心中ではなく、新藤七緒が心中を描いたドキュメンタリー制作の話を持ちかけ、それを利用して熊切を殺害したもの、として説明されていました。
動機としては、熊切の妻である永津佐和子への恩義のため。
永津は、熊切のDVなどに苦しめられていたようです。

ここで焦点となるのは、熊切殺害は新藤七緒の独断だったのか、永江の指示があったのかということでしょう。
個人的には、これは新藤七緒の独断だったのではないかなぁ……と感じます。
「死んでほしい」ぐらいは新藤七緒に話したかもしれませんが、「殺してくれ」とまで頼むのは、ほとんど直接的には出てこないとはいえ、作中に描かれている限りの永津佐和子像とはあまり一致しない印象があります。
新藤七緒を可愛がっていたのならなおさら。

しかくのしかく

しかし、高橋が若橋呉成に対して「刺客の刺客」と言ったのだとすれば、新藤七緒を熊切殺害の刺客として認識していたことになります。
「永津佐和子の刺客」とまで捉えていたのかはわかりませんが、裏がある、誰かの命令によって殺したのではないかとは睨んでいたのでしょう。

とはいえ、個人的には「刺客の刺客」という言葉は非常に違和感があるんですよね。
若橋に「お前は新藤七緒(刺客)に対する刺客なんだ」ということを伝えたかったのであれば、せめて「刺客への刺客」でしょう。
「刺客の刺客」だと「手下の手下」みたいな感じで、ニュアンスが全然異なる気がします。

そもそも「刺客の刺客」なのだとしても、他の意味なのだとしても、とんでもなくわかりづらい表現です。
個人的には「刺客の死角」「刺客の失格」とかもあり得る気もしますが、「□□さん」も合わせて考えると、やはり「刺客の刺客」なのかなぁ……と思います。
ここは、素直に「刺客の刺客」として、上述した「作品上の演出」が強い部分として捉えた方が良いポイントのようです。

若橋呉成の役割と事件の真相

さて、一番大きな謎である、若橋呉成が起こした新藤七緒殺害の事件。

これについては、長江俊和による文庫版あとがきでは「彼は生還しようとしていたのではないか」と仄めかされていました。
つまり、心中と見せかけてもともと自分だけ生き残る計画だった新藤七緒と同じく、周囲を騙そうとしたのではないか、という考えです。

個人的には、この考えはしっくりきません
「著者の解釈なのだからそうなのでは?」という意見もあると思いますが、あくまでも作品全体がフィクションであり、現実の長江俊和=作中でルポに言及している長江俊和ではありません。

今回の事件における「生還」というのは、睡眠薬で自殺したと見せかけて生き残った上、心神耗弱の利用により罪を免れる、ということでしょう。
現実的に、病気の振りをする、つまり詐病によって精神鑑定を誤魔化すのはほぼほぼ不可能ですが、それはここでは置いておきます。

ここで立ちはだかるのは、上述した「現実とフィクションの壁」です。

若橋呉成が心神耗弱を狙っていたのだとすると、一番おかしいのは児戯の如き仕掛け、つまり「私は、七緒をころした」「七緒は生首」の隠れたメッセージです。
これは明らかにきちんと現実を認識していたことを示す証拠であり、心神耗弱を狙っていたのであれば完全に逆効果と言えるでしょう。

長江解釈では、「若橋も生還しようとしたのではないか」の根拠の一つとして、この児戯の如き仕掛けが挙げられていました。
ここで、現実の著者・長江和俊が「このような悪ふざけも、頭がおかしくなっている人がやることだ」と認識して書いていたのであれば、「生還しようとしていた説」は強くなるでしょう。

しかし、個人的には、この長江解釈は「あえてのミスリード」と考えます。

上述した以外にも、ルポは見事なまでに「七緒がまるで生きているように」書かれていました。
しかし、真相を知ってから読んでも意味が通り、非常に高度な表現です。
これは明らかに緻密に計算されており、狂人を演出しようとしたのであれば、不利に働くこと必至でしょう
他にも、山荘に着いた日の夜には「薪ストーブを点け、暖をとりたい誘惑にかられた。我慢して、もう一枚セーターを着てしのぐことにする」というのも、部屋が暖まると腐敗が進むからであると考えられ、つまりは現実をきちんと認識しているからこその行動であると解釈されます。


これらの点も、どんでん返しのための「作品としての演出」の側面も強いとは思いますが、この考察はあくまでも「ルポに不正確な記述はない」という前提で考えるので、その点を踏まえるとどうなるでしょうか。

個人的な解釈としては、若橋呉成は、新藤七緒とともに死のうとしたのではないかと考えています
それはまさしく、愛ゆえの心中に近いものです。

その場合、新藤七緒を殺害したのは、書かれていた通り、「早く楽にしてあげたかったから」でしょう。
発見された七緒のメモが本物だとすれば、彼女もまた本当に若橋に惹かれていました。
殺してほしかったのかはわかりませんが、七緒を「狂おしいほどに愛してしまった」若橋は、実際に楽にしてあげたくて殺したのだと考えています。

では、その後の凶行はどのような意味があるでしょうか。

若橋は、指紋が残っていなかったことからも、七緒のメモの存在は知らなかったはずです。
つまり、彼は七緒が本当に自分を愛していたのかどうか、わかりませんでした。
そのため、その後の諸々の時間や調査は、それを考え直し、答えを見つけるための時間であったと考えられます。

死後数日は、体調を心配したりお粥を食べさせようとする描写がありました。
これは、意図して殺したというよりは勢いで殺してしまったので、動揺していたのであり、生き返るのではないかと現実逃避していたと解釈しています。
しかし、七緒の死を受け入れた若橋は、「新藤七緒=胴無し女」という仮名を担当編集者に送り、彼女の身体を解体し、食べました。
個人的にはこれは、狂気を示すためではなく、七緒と一体化したい」「自分の中に七緒を取り込みたい」という願望のためであると捉えました。

事実、何も言わず寝ていた七緒との対話が再開したのは、彼女の身体を食べてからです。
彼女の肉体を取り込んだ彼には、主観的な事実として「私の脳裏には、常に七緒の声が聞こえていた」のでしょう
彼は七緒が生きていると信じて遺体と暮らしていたわけではなく、実際に彼の心の中では七緒が生き続けていたのです。
そして、自分の中に存在する七緒との対話を重ねる中で、彼なりに七緒の想いや真実を確立させ、心中へと至りました。
死んだ七緒と真の意味で結ばれるには、自らも死ぬしかありません。


最後のインタビューも、ご丁寧に「(※以下は、彼女とのやりとりをまとめ、再構成したものである)」と注意書きが書かれています。
つまり、リアルタイムで聞き取ったわけではないことを、きちんと示しているのです。
これは、過去に直接七緒から聞いた話と、七緒の死後自分の中に存在した七緒との対話を通してまとめた、「彼なりの真実」であったのだと考えられます。

なので、彼は本当に死のうと思って睡眠薬を飲みました。
しかし、これは本当に予想外に、生還してしまった。
七緒との愛に「堕ちてしまっていた」彼は、生還したまま生きていくことは不可能だと悟り、再び自ら首を吊ったのです。

このように考えると、ルポにおいては基本的に、若橋の主観的にはほぼ「正確な記述」となります。
七緒を殺してしまったこと、首を切断したことも明記しながら、心の中で生きている七緒との対話を続けていたのです。
しかし、やはり七緒への愛から逃れられなかった彼は、七緒からの愛を信じ、自ら命を断つ選択をしたのでした。
まさにシンプルにルポ通り、ということになります。
お互いが急速に惹かれあった理由は第三者からはさっぱりわかりませんが、理屈ではないのでしょう。
純愛だよ。

依頼主の目的は?カミュの刺客とは?

自らが「カミュの刺客」であったことに気がついた若橋。
彼が「依頼主=神湯」の指令や自らの使命をどのように受け取っていたのかはわかりませんが、遺言における「彼女の首を絞めた時、それは使命感からということではなく〜(以下略)」「依頼者の願い通り、責務は果たしたのだが……」という言葉からは、「過去の心中事件の真相を明らかにし、その犯人である七緒を殺害すること」と捉えていたのではないかと思います。

そして、それを七緒と同じように、「殺人事件ではなく心中に見せかけるなど、神湯の指示であるとバレないような工作をしろ」と指示されていたのだと思っていた。
なので、あのようなセンセーショナルな形で神湯の関与も仄めかしながら真相を明らかにしたルポを残した上、自ら命を断つというのは、「刺客としては失格」と考えた。

しかし、依頼者の真の意図はわからないままです
もしかしたら、ただ息子は実は殺されたのだという真相を明らかにしてほしかっただけかもしれません。

取材に圧力がかかったというのは、神湯の圧力と見て良いでしょう。
あまり大騒ぎになって飛び火してほしくない、と考えるのは自然です。

ですが、神湯が依頼主であり、七緒殺害まで意図していたのかどうかは定かではありません


永津佐和子の事故死も謎が残り、事故説と自殺説と他殺説があり得ます。
他殺の場合は、また別のカミュの刺客による殺害ということになるでしょう。
熊切の死の原因になっていたから、と言う理由です。

しかし個人的には、極力自殺に近い事故死であったのではないかと考えます。
自殺の方法として、お酒を飲んだ上で交通事故を起こすというのはやや不自然でしょう。
ですが、自暴自棄になってアルコールを多飲し、そのままどこか遠くに行きたい、死んでもいいや、といった思いから車に乗って、そのまま事故を起こした可能性は考えられます。

自暴自棄となった理由については、やはり真相が明らかになったというのが大きいでしょう
つまり、熊切は心中ではなく、七緒が佐和子のために殺したのだという真相です。
佐和子が指示した場合は、真相が明らかになったことで「もう終わりだ」と思う。
佐和子が指示していなかったにしても、可愛がっていた七緒が自分のために熊切を殺し、さらにその七緒も殺されてしまったことを知る。
どちらのパターンでも、自暴自棄になる理由はあります。

若橋の死も佐和子の死も、神湯の指示によるものという考えもあるでしょう。
しかし個人的には、実はそこまでではないのではないか?と思います。

交通事故死に見せかけるのも、勾留中に自殺させたと見せかけるのも、現実的にはかなり飛躍しています。
警察の内部にもシンパがいたり、あらゆる場所に刺客を放てる神湯なら、可能かもしれません。
ですが実際に、そこまで日本中を掌握することなどできるでしょうか?

以前、何の作品だったか忘れてしまったのですが、同じようにあらゆる敵や困難を排除する権力者が、実はすべて自分が指示して行ったわけではなく、偶然起こった事故や自然死なども、さも自分のコントロール下において起こしたように見せかけていた、というのがありました。
つまり、たとえば敵対していた相手が自然死したとして、それを聞いた権力者が「ふむ……」とさも当然であり知っていたかのようにリアクションする。
すると周囲は「これもこの人の指示による暗殺だったのか……!?」と勝手に勘違いする。

それが積み重なると、運もすべて自分の力によるものと見せかけられます
偶然も必然もすべて、周囲から見ると必然に見えてくるのです。

神湯もまた、同じなのではないかと思います
高橋などは実際に裏仕事を請け負っていたかもしれませんが、実は、カミュの刺客なんて実際はそんなにいないのかもしれない。
本当は若橋は自殺、永津佐和子は事故死なのに、神湯の仕業のように思えてきてしまう。
そんなメカニズムこそが、神湯の本来以上の権力や評価に繋がっているのかもしれません。

本作もまた、読者が勝手に複雑に読み解いているだけで、七緒に惚れしまった若橋はトラウマに苦しむ七緒を楽にしたくて殺してしまい、自らをカミュの刺客と思い込んでいたためにその責任は果たした上で自殺しただけ、永津佐和子も七緒が熊切を殺したという真実を知り責任を感じて自暴自棄になり飲酒運転の末に事故死しただけ、というシンプルな事件だった可能性も、十分あるのではないでしょうか。
そう考えれば、「ルポに不正確な記述はない」という若橋の言葉も、「客観的な事実関係は裏取りをした」という長江の言葉も、両立します。


ただ、若橋が思い込みが激しい人間であることは間違いないでしょう。
そのため、客観的に確認可能な点以外は、ルポのすべてが客観的にも真実とは限りません
もしかすると、そもそも若橋は刺客でも何でもなく、ただ事件の真相を明らかにしたい興味本位のお金持ちがルポ作成の話を持ちかけただけかもしれません。
七緒の「……し……て…………して」「……が、い…………て、…………」も「お願い、殺して」などとは言っておらず、「お願い、許して」「お願い、(首を絞めている手を)放して」と言っていたかもしれません。
七緒の手紙に書かれていた「彼と生き、子を育み、一生を添い遂げたい」という願望からは、その可能性も十分にあるでしょう。

そう考えると、本作における事件は、若橋の思い込みが暴走し生まれた悲劇ということになります。
それが一番、誰も救われない悲劇的な真相かもしれません。

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