【小説】飴村行『爛れた闇』(ネタバレ感想・考察)

小説『爛れた闇』の表紙
(C) KADOKAWA CORPORATION.
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作品の概要と感想とちょっとだけ考察(ネタバレあり)

タイトル:爛れた闇
著者:飴村行
出版社:KADOKAWA
発売日:2013年3月23日(単行本:2011年1月27日)

学校の不良と母親が付き合い出し、家に入り浸るようになったため、生きる希望を失った高校生の正矢。
記憶を失い、独房に監禁されたうえに、拷問を繰り返される謎の兵士。
二人の意識がリンクした時、凄絶な運命の幕が開く──。

『粘膜人間』から始まる粘膜シリーズで有名な飴村行の、粘膜シリーズ以外では初の長編。
単行本刊行時のタイトルは『爛れた闇の帝国』で、文庫化にあたり『爛れた闇』に改題されたようです。

さて、エログロ狂気で独自の世界を展開する飴村行
粘膜シリーズはまだ2作目の『粘膜蜥蜴』までしか読めていないのですが、2作だけでも大好きです。
初めて『粘膜人間』を読んだときには、河童などが出てくるトンデモ世界観にもかかわらず、圧倒的な描写力によってまるで現実のような説得力を感じ、特に「髑髏」の発想と筆力には衝撃を受けました。

『爛れた闇』もまた、独特の薄暗いようなジメジメとした空気感が終始漂っている作品で、楽しめました
これを楽しんだと言うのも憚れる内容ではあるのですが、いやでも、やっぱりどんどん読み進めてしまうリーダビリティ、凄まじいものがあります。
序盤の親友3人組の青春パートですら、「どうせ鬼畜に崩れるんだろうなぁ」という予感が漂い絶望感が溢れてしまうは、さすがの一言。


拷問を受ける記憶喪失の兵士と、普通の高校生・正矢の視点を行き来する本作。
章によって視点が変わるのは飴村作品ではお馴染みですが、粘膜シリーズでは基本的に時間軸としては第二次世界大戦頃と思しき戦時中を描いているものばかりだったので、現代(と言っても1989年頃ですが)が舞台というのが新鮮でした。

本作について、インタビューでは以下のように述べられていました。

元版では、原因不明の病にかかった男とそれを治そうとするお医者さんの話だったんです。
で、もう1つのパートは夏休みに入った高校生が中学時代に好きだった女の子と再会して、恋愛してエッチをするという。
これ誰が買うの?犬も読まねえわ!っていうどうしようもない小説だったんですよ。
それを430枚書いちゃって、結局完成しなかったんですよ。
で、これはイカンということで編集さんと相談して、2週間でプロットを考え直しました。

https://www.excite.co.jp/news/article/E1297180484007/

元版の時点では、まったく平和そうな?話ですね。
もっとも、いざ読んだらこの時点でもドロドロしているのでしょうが。
いずれにせよ、そもそもが粘膜シリーズとはまったく別物として書き始められていたことが窺えます。
しかし、「どうしようもない小説」を勢いで430枚も書くのもすごいですし、それから考え直して本作を作り上げたというのも恐ろしい。

レビューなどでは、「粘膜シリーズと比べるとインパクトが弱い」といった感想も散見されました。
それは確かにそうで、強烈な世界観やキャラクタが登場する粘膜シリーズと比較してしまうとインパクトには欠けますが、そもそもコンセプトが違う作品なのだと思います

個人的には、より現実的な路線で、ミステリィ要素に重きを置いた作品であるように感じました。
あとは、タイトルにもなっている通り、直接的なグロさではなく、人間の闇のおぞましさに強く焦点が当たっていた印象です
それでいて、拷問による肉体的な痛みも表現しているところは容赦ありません。
粘膜シリーズでも人間のおぞましさは描かれますが、本作ではこれ以上ないほど、人間不信になりかねないほど登場人物たちがエグい。

ミステリィ要素もかなり大きかったように感じます。
『粘膜蜥蜴』もミステリィ要素が組み込まれていましたが、本作はそれ以上。
二つの視点が繋がっていくのだろうというのは当然予想がつく、というより作品紹介で書かれているレベルですが、まさかどちらも同じ時間軸で並行している話であるとは、まったく予想できませんでした

これは、粘膜シリーズ好きほど引っかかりやすいのではないかと思います。
戦時中が得意な飴村作品なので、むしろ現代が新鮮に感じ、兵士のシーンは当然ながら戦時中の話だと思い込んでしまいがちでしょう。
上述したインタビューからすると、もともと粘膜シリーズの特性を利用しようとしていたわけではないのでしょうが、見事に粘膜シリーズがミスリードさせる要因にもなっていました。

などと言ってみましたが、まぁそんなの抜きにしても、こんなの誰も予想できませんよね
どちらの視点も粘膜シリーズに比べてよりリアルな世界観で展開させているのかと思いきや、まさかのアカメチスイコウモリなるオリジナル生物によって不老不死(正確には再生力が高いだけでさすがに死にはするようでしたが)の吸血鬼もどきになった尚人を、兄の慧爾が人間の血を飲んで若返りながら何十年も拷問し続けていたなんて。
終盤はしっかりと飴村ワールドが展開されていました。


しかしまぁ、誰しも心に闇を隠しているとは言っても、あまりにも爛れすぎではないでしょうか
上述した通り、現代が舞台、しかも高校生の青春ものとしても描けそうな親友3人組が出てきたにもかかわらず、爽やかに終わるわけがないとは覚悟していましたが、ここまでやりますか。
さすがに晃一はキャラが豹変しすぎだった気もします。

先ほどのインタビューによれば、飴村行の高校時代は非常に鬱屈とした3年間だったようで、その鬱憤のようなものがぶつけられている側面もあるのでしょう。
友人が同級生の母親と付き合っていた、というのは実話のようです。
絶大なるネガティブなエネルギーが飴村作品の原動力および魅力になっているように勝手に感じているのですが、誤解を恐れずかなり雑なことを言えば、世界観や作風は全然違いますが、漫画界における押見修造のような拗らせたエネルギーを感じます。
ちなみに念のため、自分としてはそれは批判しているのではなく褒め言葉であり、そのような作品は好きです。


展開については、後半はファンタジー的というかぶっ飛びますし、その枠組みの中で何が起こっていたのかはかなり丁寧に説明されるので、考察というほど考察する点はないのですが、一点ややわかりづらかったのが、慧爾についてでした。

慧爾は、35歳のときに吸血鬼尚人に噛み付かれたことによって、人の血を飲むと一時的に35歳まで若返る、とのことでした。
「一時的に」と書きましたが、これは作中では説明されていなかったように思います。
ただ、直人も「神」になれるのは人間の血を飲んで6時間ぐらいと言っていたので、慧爾が若返るのも同じぐらい、あるいはそれ以下ぐらいと考えるのが自然でしょう

つまり、美代子の堕胎オペをして正矢の前に現れたときは老人の姿だった、ということですね。
当たり前というか、さすがにどれだけやつれていても、35歳の肉体が73歳には見えないでしょう。
時系列的には、オペをして正矢たちと話してから、血を飲んで拷問しに行った、そして尚人に真相を明かしつつも吐血して血を飲ませてしまった、ということだと考えられます。
視点が切り替わっているだけで、だいたい時系列通りにストーリーは進行していたことになります。

慧慈の吐血はタイミングが良い、かつ唐突でしたが、これは別に尚人の力によるものではなく、単純に胃がんの影響によるものだと考えられます
晃一が「1週間前の朝にも血を吐いた」と言っていたので、それが伏線でしょう。
肉体は若返っても、病までは消えないようでした。

仏壇に置かれていた円錐形の物体というのは、アカメチスイコウモリの牙でしょうか。
正矢が指を刺したのは、結局特に意味はなかったようです。
もしかすると正矢も感染(?)していて、ラストシーンのあとには壮絶な尚人 vs. 正矢のバトルが繰り広げられた可能性もなくはありませんが、そうだとしたら正矢の目も変わっていたはずですし、そうであれば尚人が気づいたでしょう。
さすがに生きたアカメチスイコウモリに噛まれないと感染はしないのでしょう。

余談ですが、人間の思考というのは、言葉で喋るように明確な言語で一つのことだけを考えているわけではありません。
同時に色々考えたり、言語ではなく映像的なイメージで思考している人も少なくないでしょう。
「心が読める」「思考が伝わる」といった設定のとき、そういった点の都合の良さは、いつも少し気になってしまうポイントです。

これ以上ないほど多くの登場人物の爛れた心の闇が露呈され、何とも後味の悪い終わり方でしたが、唯一純粋そうだったエミリーこと絵美子だけは強く生きてほしいですね。
あのあと尚人に殺されるかもしれないですし、生き残ったとしても壮絶なトラウマ待ったなしでしょうが。
ギャグ要素かつ癒し要員だったカミソリの水さんこと水原さんも悪い人ではなさそうだったので、残念。
崎山兄弟がのうのうと何も制裁を受けていないのは歯がゆいですが、現実はそんなものでもあります。
ただ、あのまま尚人が解き放たれたら、人類全滅エンドもあり得そうなのでした。

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