【小説】二宮敦人『!(ビックリマーク)』(ネタバレ感想)

【小説】二宮敦人『!(ビックリマーク)』(ネタバレ感想)
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作品の概要と感想(ネタバレあり)

タイトル:!(ビックリマーク)
著者:二宮敦人
出版社:アルファポリス
発売日:2011年7月(単行本:2009年4月)

拾った携帯電話のデータフォルダには、友人の死体映像が残されていた──「クラスメイト」。
ふとした拍子で部屋の壁に穴があいた。その穴は殺人鬼の部屋とつながっており──「穴」。
目を覚ますと、全裸で真っ白な部屋に閉じ込められていた女子高生。脱出する方法はあるのか──「全裸部屋」。

『殺人鬼狩り』以来、おそらく読むのは2作目の二宮敦人作品。
昔から「名前はよく聞くな」と思っていましたが、思った以上に作品はたくさん出ていました。

『殺人鬼狩り』と本作『!(ビックリマーク)』の2作だけで作風がわかると言っても過言ではないように思いますが、間違いなく個人的には好きです。
本作は「不条理ホラー」と銘打たれていますが、細かい点は気にせずに、突飛なワンアイデアを膨らませた理不尽な世界を描くのが得意な印象
山田悠介に近いものも感じます。

一時期流行ったデスゲーム系の漫画やラノベも彷彿とさせますが、二宮敦人もまさに携帯小説からデビューでしているようなので、まさにその潮流を作り上げたお一人でしょうか。
というか本作『!(ビックリマーク)』がデビュー作なんですね。

イメージとしては、よりライトに、より突飛に、よりティーンエイジャー向けに、そしてより漫画寄りになった乙一といった感じも。
ネガティブな意味合いではなく、さすがにいい年になってから読むと粗さが目立ったり厨二病感が恥ずかしくもありますが、とても好きなのは間違いありません。

本作に収録されている個々の感想はのちほど述べますが、全体を通して少々気になってしまったのは言葉遣いでした。
若干文章がこなれていない感じがあるのはデビュー作ですし携帯小説発ですし問題ないとして、女性の言葉遣いがいちいち「〜だわ」「〜かしら」という、いまどき(2009年であっても)珍しいような古典的テンプレのような語尾で、最後まで慣れずに引っかかってしまいました。
それはそれで良いにしても、「穴」ではその言葉遣いをミスリードに利用している感じもあったのが、巧みなような、ちょっとずるいような。

何にせよ、深みを求めるのではなく、B級ホラーやスリラー映画のように勢いで楽しむ作品でしょう(念のためこれも、自分はそういう作品が好きなので褒め言葉です)。
以下、簡単にそれぞれの感想を。

「クラスメイト」

この作品に限らずすべてガラケーなのが時代を感じさせるのはさておいて、設定がとても面白かった作品。

スマホが主流となった今となっては、スマホこそ個人情報の塊で、それこそ情報量でいえば自分の存在にもっとも近く、スマホの中身をすべて見ればその人の多くを知ることができるでしょう。
しかし、携帯電話が登場してからかなりの時間が流れ、今やスマホは誰もが当たり前に持つものになっているので、普段そこまで意識することはほとんどありません。

ガラケー時代の方が大きな進化や変化を感じられたので、自分の分身のような特別な存在という感覚は、むしろガラケーの頃の方が強かったかもしれません
自分も中学生頃に初めて持った携帯がガラケーだったので空気感がわかり、そのあたりも重ねて本作を楽しめました。
スマホのデザインはだいたいみんな同じ感じですが、ガラケーは形も色も種類豊富だったので、そのあたりも自分だけの特別感があった記憶。

そんな携帯電話を拾ってみたら、クラスメイトの死体写真。
その設定だけで面白いですが、広げていき方も面白く、先がまったく読めないのでどんどん読み進めてしまいました。
デスゲーム系やこういった不条理ホラー系はとにかく終わらせ方が難しいものですが、そこも独自の思想に狂った犯人を持ってきて強引ながらまとめ上げているところは、個人的には好きです。

ナツコが犯人だった点については、一人称視点での叙述トリックとしては、ぎりぎりアンフェアだった気も。
それでも、あとから加藤くんの死体発見シーンを読み返してみると、極限まで工夫していたのは窺えます。

細かいところに突っ込んではいけないのはもはや自明の理ですが、携帯を拾って、クラスメイトの死体写真を見つけて、なぜ警察に届けないのか!?だけはどうしても突っ込まざるを得ず。
何か理由があるのか、何かの伏線なのかとまで思ってしまいましたが、まったくそんなこともありませんでした。

「のうみそをこえたそんざい」がちゃんと伏線回収されたところも見逃せません。

まさかまさかの悲しきすれ違いの物語。

穴の向こうに死体を発見したときにはだいぶホラー感がありましたが、とんでもなく適応力の高い主人公リョウコの対応によって、まさかの純愛物語に
ゴミ袋越しでも尋常でなかったであろう腐敗臭は、コーヒーの香りによって相殺されていたのでしょう。
あるいはリョウコももうおかしくなってしまっていたのでしょう。

リョウコもおかしくなっていた、というのは意外と見逃せない視点で、誰一人理解者もおらず孤独で追い詰められた状況というのは、誰であってもおかしくなってしまってもおかしくないでしょう(日本語がおかしいな)。
何かに救いを求める気持ち。
そのような状況下で、同じような悩みを抱える者と出会えるのは、とても運命的なものに感じられるはずです。

穴によって繋がった明るく白い部屋と暗く黒い部屋は、表裏一体であることを示唆します
光の部分と影の部分。
リョウコの影の部分がミカ。
ミカに対する強い苛立ちは、憧れの裏返しでもあります。
ひたすら自分の気持ちを押し殺し我慢して生きてきたリョウコにとって、素直で欲に忠実で自由奔放に見えるミカは、羨ましい存在でもあったのでしょう。

しかしミカも、実は孤独と苦しみを抱え、救いを求めていました。
それに気づかず、ミカを殺してしまったリョウコ。
それは自分自身を殺すことに他なりません。

自分の嫌な部分を相手に投げ込んで攻撃したりすることを、心理学では投影と呼びます。
リョウコを例に見れば、自由奔放なミカを攻撃することによって、自由奔放さは悪いものであると自分に言い聞かせていた側面もあったと考えられます

好き勝手するのは、他人に迷惑をかけるから良くない。
刹那的な自由奔放さは、身の破滅を招くだけ。
我慢して頑張ってこそ報われる。

本当にそう思っていればミカを見下す程度で済んでいたでしょうが、わざわざ強い怒りや苛立ちを感じて攻撃するのは、自分にそのような気持ちがないことを自分に言い訳するためでもあります。
本当は、自分も好き勝手したいのです。
このような構図は、大量殺人事件などでもよく見られます。

本来は自分の中にもある気持ちを持った相手なので、自分の理解者であることは必然です。
しかりリョウコはそれを殺してしまいました。
ミカは理解者を得て救済された気持ちで死んでいったかもしれませんが、この構図を考えると、リョウコの未来が明るいものであるとはとても思えないのでした。

ミスリード役(?)の高宮くん、終盤は完全に空気どころかまったく登場なし。

全裸部屋

大好きなソリッド・シチュエーション・スリラー……かと思いきや、まさに不条理で、そして哲学的な1作でした
「どんなタイトルやねん」からは想像もつかないような展開。
このエピソードでもなぜか全裸なのに携帯電話だけは出てきましたが、もともと携帯小説である点と、時代性もあるのでしょう。

とにかくとにかく、じわじわと壁や天井が迫ってくるというのは恐怖以外の何ものでもありません。
大好きな映画『ソウ』シリーズの中にも壁にぺっちゃんこにされるシーンがありますが、それが可愛く思えてくるほど、じりじりと潰されていくというのはあまりにも地獄。
この主人公はかなり冷静で、普通だったら発狂しかねません。

終盤、何の容赦もなく潰されていく展開は好きでしたが、そこに哲学的な思考がまぶされているのがポイント。
人間の寿命や死と重ね合わせるのはちょっと偏った視点ではありますが、炎上などで追い込まれていく構図と似ているというのは面白いな、と思いました。

寿命や死に関しても、壁が迫ってきたり圧死の感覚とは違うかもしれませんが、「今は見えていないだけ」というのはどんな表現であっても同じでしょう。
死ぬ瞬間は、当然ながら誰にでも訪れます。
でも、病気などでなければ、それが今日、明日、訪れるとは誰も思っていません。
壁が見えていないのか、あるいは見ないようにしているのか。

徐々に身体の自由がなくなっていくのは、喪失体験であることは間違いありません。
しかし、人間らしさとは何かといえば思考することであり、その自由度は無限です
ホーキング博士のように、身体にどれだけ制限があろうとも、思考の翼は宇宙まで広げることができるのです。

最期の瞬間を、圧死のような消滅と感じるのか、無限の拡散と感じるのか。
その瞬間までの生き方が問われるのだろうな、と思いました。

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