【映画】アルカディア(ネタバレ感想・心理学的考察)

映画『アルカディア』のポスター
(C)2017 Arcadian Film
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作品の概要と感想(ネタバレあり)

映画『アルカディア』のシーン
(C)2017 Arcadian Film

10年前、自給自足の村「キャンプ・アルカディア」を「カルト教団」と糾弾し、ジャスティンは弟アーロンを引き連れて脱退した。
アルカディアから送られてきたビデオテープをきっかけに、兄弟は10年振りに村を訪れる。
そこにはほとんど年を取っていない住人がおり、兄弟は超常現象を目撃し始める──。

2017年製作、アメリカの作品。

個人的に興味が強く、今後さらに深めていきたいと思っている「カルト」という存在。
近年でいえば『ミッドサマー』を筆頭に、映画の題材となることも少なくありません。
ただ、『アルカディア』の方向性は少し予想とは異なっていました。

さて、難解ですね。
そもそもほとんど説明はされていないので、何が起きていたのか?という物理的・科学的な考察を求めるべきものではないでしょう。
冒頭、「人間の感じる最たる恐怖は未知なるものへの恐怖である」というラヴクラフト(怪奇・幻想小説の先駆者)の言葉が引用されていましたが、つまり、この映画で描かれている恐怖の対象は、人智の及ばない存在であり、未知なのです。
それ以上でも、それ以下でもない。

そのため、解釈・考察の余地は多分にありますが、合理的な説明を求める映画ではありません。
では、何を描きたかったのでしょうか。

ひとつは、上記のような「未知の存在に支配されたら」という恐怖です。
そういった存在が「あるもの」として本作を体験してみると、それに支配されている彼らの恐怖や絶望は凄まじいものでしょう。
よくわかりませんが、リセットの瞬間の殺戮は、自殺した方がマシと思う者も多いほどの体験のようです。
自殺を繰り返すしかない世界
そのスパンは人(ループ空間)それぞれのようですが、しっかりと記憶も維持される様子。
カール(首吊り男)のように3時間ほどでループしていたら、たぶんすぐに発狂するでしょう

もうひとつの軸は、これもラヴクラフトの言葉と一緒に冒頭で示唆されていた通り、兄弟の理解と和解です。
兄のジャスティンは、集団自殺の話を聞きつけて、弟のアーロンを連れてアルカディアを脱退したとのことでした。
しかし、閉鎖的な空間で育った彼らは、社会の中でうまく適応できていない様子。
特にアーロンは、自分の意思で脱退したわけではなかったことから、教団生活の思い出を美化し、そこから引き離した兄に不満を抱いているようでした
他にも、兄の支配的な態度にも不満を抱きつつ、それを口にしたことはないと脱退カウンセリングで話していました。

ジャスティンの支配的な性格は本当のようで、アルカディアのキャンプでも、現在の教団の中心的人物・ハルに同様の指摘をされます。
しかし、ジャスティンはジャスティンで、両親を事故で失った体験から、何とかアーロンを守り、保護者代わりであろうと必死に頑張っていたのでしょう
厳し過ぎたために空回っていたようですが、決してアーロンをコントロールしたかったわけではなく、自分も両親を失って辛い中でも、何とかアーロンのことを考えていたように見えます。

支配が目的でなかったことは、教団内においても同様です。
事故という「コントロール不能な要因」によって両親を失ったジャスティンが、その反動として、できる限り自分で物事をコントロールできるように力を尽くし、道を切り開いていこうと考えていたとしても不思議ではありません。

そんなジャスティンに対して、アーロンはわがままで幼稚な印象を受けます
思えば、そもそもアルカディアを再訪することになったのも、アーロンが言い出したことですが、やや威圧的な態度ながら、ジャスティンは「お前が少しでも元気になるなら行ってやってもいい」と理解を示していました。
守ってもらいながら、うまくいかないところは兄の厳しく勝手な部分のせいにして、自ら努力しようという姿勢があまり見られなかったアーロン。
終盤のシーンは、和解というよりも、アーロンがようやく少し成長した程度のものに感じられました。

ただ、物心ついてからずっと教団にいたアーロンが、外の世界でうまく適応できなかったのも無理はありません。
ジャスティンも、自立を促すというよりは自分でコントロールしようという側面が強くなっていたであろうことは事実なので、その意味では、今後はより良好な兄弟関係に繋がっていきそうなラストでした。
ちなみに、兄弟を演じたのは、本作の監督2人だったようです。

また、本作は『キャビン・イン・ザ・ウッズ』という2012年製作の作品とセットのようで、そちらを観るとまた理解の仕方が変わるかもしれません。
と思いつつも、ざっとレビューなどを見る限り、少なくとも謎が解明されるといったような方向性ではなさそうですが……。


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考察:カルトに対する皮肉(ネタバレあり)

映画『アルカディア』のシーン
(C)2017 Arcadian Film

さて、本作で登場するキャンプ・アルカディア。
アルカディアは果たして、カルトなのでしょうか?

個人的には、そうは思えませんでした
もともとがどうであったかはわからず、ジャスティンがマイク(薬物依存の友人の回復を手伝う優しいやつ)に布教しているような映像の頃はそうであった可能性もありますが、少なくとも今回ジャスティンとアーロンが訪れたときの様子では、あまりそういった気配は窺えません。

そもそも、ジャスティンがループを知らなかったことからも、ループが始まったのはジャスティンとアーロンが脱退したあとだと思われます。
それ以降、方向性が変わった部分はあるかもしれません。
ただ、ジャスティンの様子からは、以前と比べて極端にがらっと変わったということはなさそうです。
もしかすると集団自殺したことでループ空間になった可能性もあるかもしれませんが、そもそも集団自殺の話の真偽も含めて、そのあたりは情報が乏し過ぎます。

序盤は「カルトっぽさ」が強調されています。
モデルとなっているのは、作中の台詞にも出てくる「ヘヴンズ・ゲート(Heaven’s Gate)」という実在したカルト集団で間違いないでしょう。
「ヘヴンズ・ゲート」はUFOを信仰する宗教団体であり、1997年、ヘール・ポップ彗星が地球に接近することをきっかけに、彗星の写真に謎の物体が映り込んでいたことから、「我々が引き上げられる時が来た」「UFOに魂を乗せる」といったようなトンデモプロジェクトを発動し、39人が集団自殺をして実質消滅したカルトです。

「ヘヴンズ・ゲート」の教義や特徴としては、

  • 地球は間もなく「リセット」されるので、地球から脱出する必要がある
  • そのためには、UFOの迎えに応じて宇宙へと旅立つことが必要
  • 人間の身体は、「旅」のための乗り物に過ぎない
  • 物質的な執着を手放し、みなで共有する
  • 禁欲が求められ、去勢した男性信者もいた
  • 薬入りのカクテルの使用
  • ウェブサイト構築の技術で収入を得ていた

といったものが挙げられます。
「共同体」「薬物」「収入源」「集団自殺」といったものは多くのカルトに見られますが、「リセット」といったSF的な観点など、「ループ」するアルカディアと一致する部分がより多く見られます。
ジャスティンが、マスコミに対してわざわざ「去勢」についての嘘をついたのも、「ヘヴンズ・ゲート」を意識してのことでしょうか。
それにより、「ヘヴンズ・ゲートの一派と見られた」とヘルが苦言を呈していました。

しかし、実際の、少なくとも現在のアルカディアは、決して「ヘヴンズ・ゲート」のようなカルト集団ではありませんでした。
それは、なぜか。
本当に「リセット」が起きていたからです

カルトを含め、宗教の主たる役割は、「死の恐怖に対する救済」「安らぎの提供」です。
宗教観について語ってロクなことはないので最低限に留めますが、基本的に表現は異なれど、「魂」といった存在に重きが置かれます。
つまり、「今生きているこの世界で死んでも、この肉体を失っても、自分という存在が終わるわけではない」というのが、ほとんどの宗教に共通しているポイントです。

それに意味があるのは、死んだらどうなるかわからないから。
そんな不安に対して、真理を知る者が解答や道筋を示してくれるのです。
「死」こそが、人間にとって一番身近であり未知なものであることは、異論はないはずです。

その救済を説くのが宗教であり、その不安を煽って支配するのがカルトといえます。

永遠の命。
輪廻転生。
表現は様々ですが、多くの宗教に見られる考え方です。
過激で異端たるカルト宗教においては、終末の予言、そしてそれからの唯一の回避方法が示されます。

では、カルトが不安を煽るために用いる「世界の終末」。
実際に、その人智を超えた現象が起こったらどうなるか。
それが『アルカディア』です

『アルカディア』では、実際にそれが起こりました。
ループする世界、それは永遠の命そのものです。
しかし、その実態はどうでしょうか。
神に虐殺されるか、自分で死ぬか
その2択しかないのです。

若さ。
永遠の命。
穏やかな暮らし。
共同体という家族。
キャンプ・アルカディアは、まさに「Arcadia=理想郷、桃源郷」の要素を兼ね備えています。

しかし、そこに救いはありません。
誰一人抜け出すことができず、彼らは儀式を行って死を受け入れる、あるいはそれに反発し、自ら死ぬことしかできないのです
あの記憶が残るループを繰り返せば、上述した通り、いずれ発狂します。
そのとき、きっと魂も消滅していくでしょう。
あるいは、それすらもできない永遠の地獄かもしれません。

そう考えると、アルカディアももともとはカルトであったかもしれないにせよ、今はその信仰心も失われているのではないかと思います。
地獄の中での唯一の希望は、共同体の絆だけ
そう考えると、ループ後のアルカディアのメンバーが、脱出したジャスティンとアーロンに向ける視線、そしてハルの優しそうな笑顔は、切ないものがあります。

ただ、彼ら、特に数式を書いて研究していたハルは、まだ脱出を諦めてはいなかったのでしょう。
また、ジャスティンとアーロンを監禁して巻き込むこともできたのに、「楽になりたければアーロンとここに住め」とは言いながらも、決断は神の導き(ブイの下にあるもの)に、そして彼らの選択に任せたのです。

終末を予言し、それを回避する手段としてのカルト教義。
しかし、実際に終末が起きたとき、そのようなものは何の意味もありませんでした。
受け入れるか、反発するか。
いずれにせよ死を迎える中で、人間にできる選択はせいぜいその程度

「死と再生」は、創造性の象徴として描かれます。
しかし、『アルカディア』のループする世界において、そこには何も創造されない、いや、絶望しか生まれませんでした。

永遠の命。
ループ。
思い出したのは、手塚治虫の漫画『火の鳥』です。
幼少期に読んだので特に印象に残っているのもあると思いますが、永遠に生きることの恐怖や孤独が強烈に描かれていました。
『アルカディア』も、根底に流れる恐怖や絶望は、似たものが描かれているように感じます。

ちなみに、『アルカディア』は邦題で、原題は『The Endless』です。
まさに、終わりのない永遠の地獄
死は恐ろしい。
けれど、永遠の命が幸せなのか
「終末」が訪れたとき、人間ごときにはどうしようもない。
そのような問いかけや、カルトへの強烈な皮肉やカウンターを感じた作品でした。

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