作品の概要と感想(ネタバレあり)
田舎町で広大な敷地の牧場を経営し、生計を立てているヘイウッド家。
ある日、長男OJが家業をサボって町に繰り出す妹エメラルドにうんざりしていたところ、突然空から異物が降り注いできて、父親が死んでしまう。
OJとエメラレルドは、その飛行物体の存在を収めた動画を撮影しようと飛行物体の撮影に挑むが、そんな彼らに想像を絶する事態が待ち受けていた──。
2022年製作、アメリカの作品。
もはや説明するまでもないですが、『ゲット・アウト』『アス』に続く、今をときめくジョーダン・ピール監督の作品です。
『NOPE/ノープ』は、これら2作に比べると、社会的なメッセージ性は少し鳴りを潜めています。
また、不穏さは本作でも健在ですが、前2作のようなホラーテイストを期待すると、少々肩透かしかもしれません。
ただ、これまで以上に圧倒的な独自の世界観を展開させたのは、ジョーダン・ピール監督にとって大きな一歩だったのではないかと感じました。
ジャンルはもはや分類不可能。
「ジョーダン・ピール」というジャンルです。
メイキング映像で監督自身が「僕の映画はいつも私的だが、本作はこれまでの作品と違い、より大きな冒険を描こうとした」述べていましたが、まさにエンタテインメント性が増しています。
特に映像の壮大さは凄まじく、IMAXで観たのですが、この綺麗な空と迫力はIMAXで正解でした。
また、インタビューでは、日本のアニメからの影響にも言及されていました。
終盤、エメラルドが、もはや廃パークのようになったテーマパークにバイクで逃げ込み、急ブレーキをかけてターンしながら停車するシーンは、『AKIRA』をオマージュしたものであると公認されています。
他にも、「オールタイム・ベスト作品の1本」とまで表現する『新世紀エヴァンゲリオン』が『NOPE/ノープ』の飛行物体に影響しているとも述べており、なるほど、終盤の変形はまさに使徒そのもの。
個人的には、『ゲット・アウト』や『アス』のようなホラーテイストを期待していたので、少し残念さもありました。
ただ、同じようなものを作り続けても、それもまたマンネリと批判されてしまいがちです。
前2作の高評価によるプレッシャーは何よりジョーダン・ピール監督が感じていたはずで、そこで大きく舵を切った『NOPE/ノープ』は監督にとっても冒険的な1作だったのでしょう。
そう考えると、前2作との比較や勝手な期待による批判は的外れです。
気が早いですが、チャレンジングな本作を経て、次回作でどう転ぶのかが楽しみ。
エンドロールでは、「Covid Compliance Supervisor」や「Covid Manager」といった肩書きの人たちの名前が流れました。
あぁ、今の時代はそりゃあそういうのも必要ですよね。
そういった制限があったり大変な環境の中で、これだけ壮大な映像を作り出してくれたんだなと思うと、感謝の念が増します。
そしてとにかく、本筋からは逸れてしまいますが、個人的に熱かったのはジューブ役のスティーブン・ユァンです。
スティーブン・ユァンが好きであれば、全員が「グレン!」と叫んだことでしょう。
きっと、飛行物体の体内でも過酷に生き延びているはず(爆発しちゃいましたが)。
馬たちも、めっちゃいい子。
タイトルの「Nope」は否定のスラングで、「No」の代わりに使われます。
近年では、恐怖や嫌悪を感じる対象に対して、それを強調する意味合いとしても使われるようです。
宗教的な観点や、文化的・社会的な観点からの考察は、知識に乏しいので他に譲ります。
後半では、少し心理学的な観点も絡めながら考察していきたいと思います。
考察:「見て」「撮る」ということや、チンパンジーの意味(ネタバレあり)
人間の恐怖や不安と好奇心
『NOPE/ノープ』では、「見る」ということが一つの大きなテーマになっています。
動物たちの目がアップになるシーンも多く見られました。
人間は、未知のものに対して恐怖や不安といった感情を覚えます。
小野不由美の小説『残穢』に始まり、これまでいくつかの作品の考察で触れてきましたが、「わからない」という状態は、人間をとても不安定な状態させるのです。
それを知りたい、理解することによって安心したいと思うことは、自然な流れ。
そして、人間の五感による知覚の80%以上は視覚によるものとされており、「見て観察する」ことが、対象を見極め、理解することに繋がる主要な方法です。
恐ろしいもの、不可解なもの、見慣れないものが身近にあれば、人間はついつい見てしまうものです。
本作における登場人物、OJとエメラルド兄妹も、目撃した謎の飛行物体を見極めようとします。
しかし、『NOPE/ノープ』における飛行物体に対しては、「見る」ということが致命的な行動でした。
深淵を覗き込むとき、深淵もまたこちらを覗いているのです。
もはやどこに目があるのかわかりませんが、「目が合う」ことで飛行物体に捕食されてしまうのでした。
さて、OJたちは見極めようとする中で、「何かいる」という状態から「謎の飛行物体が飛んでいる」ということを理解する状態へと変化します。
これは、少しだけ理解が進み、未知への不安が一歩和らいだ状態です。
差し迫った危険を脱すると、人間には好奇心が生まれてきます。
その対象をもっと知りたい、という欲求です。
さらにOJとエメラルドは、牧場経営の危機にも直面していました。
飛行物体を撮影して一儲けしようと、カメラを設置し、カメラマンのホルストにまで協力を依頼します。
色々言いながら協力してくれる電気屋(?)のエンジェルも、結局来てくれるホルストも、ツンデレでめっちゃ優しい。
しかし、ここまで来ると、もはや人間のエゴの領域です。
「JUPITER’S CLAIM」なるテーマパークを経営し、飛行物体との邂逅をショー化しようとしたジュープもまた、その1人。
それが命取りとなり、多くの人間が捕食されてしまいました。
科学の発達した現代では、以前よりも未知が大幅に減ったように錯覚してしまいます。
多かれ少なかれ現実とバーチャルの境目が曖昧になっている人も、少なくありません。
もちろん他にも要因は多々ありますが、それらも相まって、事故現場などでひたすらスマホを向けて撮影する野次馬たちや、無理矢理にでも衝撃的な動画を撮ろうとするYouTuberたちが生まれました。
OJとエメラルド、それにエンジェルとホルストを加えた4人も、結局は自分たちのエゴのために撮影を試みます。
終盤、自らを犠牲にエメラルドを守ろうとするOJの姿は一見かっこいいですが、状況を俯瞰して見れば、無茶をして命を落とす動画撮影者たちと何ら変わりありません。
『NOPE/ノープ』は前2作よりもジョーダン・ピール監督の主張は弱く見えますが、この点、痛烈な皮肉が込められているように感じます。
しかし、それだけでは終わらないのが面白いところ。
そのさらに先に、「それでも撮りたい」というジョーダン・ピール監督の映画監督魂が見えるようにも感じました。
「不可能を撮る」的なことを口にして、1人で飛び出していったホルスト。
無駄死ににもほどがあるような死を遂げますが、彼は最後までカメラを手放さず、撮影を止めません。
そこには、お金やアクセス数だけを求める動画撮影者とはまた違う、未知なるものを撮影せずにはいられないプロ魂を見ました。
ちなみに、さらに「見る」ということで言えば、幼少期、ようやく馬を調教させてもらえるはずだったのに、映画出演の話が入りその予定が変更になったエメラルド。
彼女は、家の中から馬を調教する父親と兄(OJ)の様子を眺めていました。
そこには、羨ましさだけでなく、父親は自分を全然見てくれないという悲しさ、寂しさを感じていたことも語られています。
しかし、窓から見ているエメラルドに気がついたOJは、中指と人差し指を自分の目に当て、エメラルドに向ける「お前を見ているぞ」というハンドサインを送り、エメラルドはそれに嬉しさを感じました。
OJの優しさが垣間見えるシーンです。
そして時は流れ、本編のラストシーン。
自らを犠牲にしてでも妹を守ろうとするOJと、命を賭けてでも目的をやり遂げようとするエメラルドは、互いに上記のハンドサインを送り合います。
「見る」ということが時に致命的な状況を招きつつも、やはり人間はお互いを見つめ合うことで、安心を感じ、信頼し合うことができるという、ポジティブな側面を描いている重要なシーンでした。
チンパンジーの意味と、ジュープはなぜ助かったのか
暴走チンパンジーのゴーディくん。
彼(たぶん)は、ホラー要素の減った『NOPE/ノープ』において、その役割を一身に担おうと怪演を繰り広げてくれました。
ホラー好きとしては、もっとゴーディくんの狂喜乱舞が見たかった。
さて、意味のあるようなないような、若干よくわからないように見えるこの過去のシーン。
しかし、冒頭、このシーンの音声で始まったことからも、意味がないわけがありません。
むしろ、重要なシーンであるはずです。
このシーンは、ジョーダン・ピール監督らしい、社会派なメッセージが強く込められていると受け取りました。
一つはそのまま、動物をエンタテインメントに利用するということ。
そしてもう一つは、やはりジョーダン・ピールらしく、黒人やアジア人など、人種差別的なニュアンスです。
見せ物にして、馬鹿にして笑い物にする。
調教し、コントロールしようとする。
白人たちにとって、チンパンジーのゴーディはそのような存在でした。
女性の靴が垂直に立っていたことから、ゴーディの暴走は超常現象の影響を受けていたことが推察されます。
いずれにせよ、反旗を翻したゴーディは、白人たちを虐殺しました。
隠れていた子ども時代のジュープも見つかりますが、ゴーディはジュープに襲いかかろうとはせず、拳を突き出します。
これはゴーディがジュープを仲間として見ていることを示唆しており、その理由の一つは子どもであることから支配される側として認識していること、また、もう一つはジュープの外見がアジア系であったことが影響しているのではないかと推察されます。
そう考えると、韓国系アメリカ人であるスティーブン・ユァンがジュープ役として抜擢されたことも、必然的であったと考えられます。
飛行物体の意味
飛行物体はまた、電子機器の機能を停止させていました。
「わたしはあなたに汚物をかけ、あなたをはずかしめ、あなたを見せものとする」という聖書からの引用がありましたが、飛行物体が排出する人工物は、吸収できないものであり、排泄物的なものなのでしょう(それがヒットして死んでしまったOJの父親は、まさに「最悪の奇跡」でした)。
ゴーディの暴走も飛行物体の影響と考えれば、その意味合いは、人間の驕りに対する天罰のようなものです。
目の前で惨劇を目撃してしまったジュープも、彼なりにトラウマを乗り越えようとしたのでしょう。
自ら体験した悲劇が飛行物体の影響と知ってか知らずか、それをショー化して支配する側に回ろうとしてしまいました。
無惨な顔になった「初恋の」女性である女優(たぶん、ゴーディにガンガン殴られてたけど生きていた)を呼んでいたことからも、ずっとあの事件にとらわれていた様子が窺えます。
飛行物体は、メタ的には、あらゆるものを支配しようとする人間を支配する、上位の存在として描かれていると考えられます。
あるいは、自然の象徴かもしれません。
人間が、動物を支配しようとしているように。
そう考えると、上述した聖書の一節にも一致します。
ゴーディが人間を襲ったように、OJたちが飛行物体に立ち向かったことからは、人間が自然に立ち向かうこともまた可能なのかもしれません。
しかし、それが何を生み出したのか?といえば、結局は人間のエゴだけということになってしまうでしょうか。
父性の喪失とOJの成長
また、本作はOJの成長物語として見ることも可能です。
OJの父親はそれなりにやり手な様子で、映画撮影に自分の馬を出演させる契約を勝ち取るなどしていました。
映画関係者の様子からは、父親は信頼を得ていたことが窺えます。
しかし、彼が事故死してからは、OJが引き継ぎますが、内気なOJはうまく喋ることができず、馬をコントロールしきれなかったトラブルもあって、契約解除となってしまいます。
それからは、父親の馬を売って何とか維持する生活。
そんな中で飛行物体騒動が起こり、OJは妹や仲間(?)たちとともに一念発起します。
馬といえば西部劇を彷彿とさせますが、西部劇は父性の物語です。
厳格なルールがあり、導いてくれる師がいる。
道を示し導いてくれる師=父親を失ったOJは、家族や仲間の協力を得て、ついに自ら道を切り拓く決意をしました。
エゴエゴ言いましたが、OJにとって飛行物体は、父親の仇でもあり、生活や土地を脅かす脅威でもあります。
バズって一儲けしようぜ!はあくまでもエメラルド主導であり、OJはそれに乗りつつも、あくまでも平和な日常を取り戻すために戦ったと考えられます。
そんな彼に感化され、エメラルドも奮闘。
最後には彼女が機転を利かせてとどめを刺します。
振り返れば2人は、性格も真逆に見え、常に相補的な関係にありました。
OJ1人では、そしてもちろんエメラルド1人でも乗り越えられなかった壁を、兄妹で乗り越えた瞬間です。
バズる映像に全身全霊を傾けていたエメラルドですが、それはそれで彼女なりに牧場の経営難についても考えていたのでしょう。
使徒 vs. ジュープ風船という、「どんな画やねん」な最終シーンですが、あれはあれで、ジュープの最後の執念だったのかもしれません。
伏線まで回収しながら、ちゃっかりと井戸カメラで撮影するエメラルドもさすがなのでした。
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