【映画】グラウンド・デス(ネタバレ感想)

映画『グラウンド・デス』
(C)Beo Starling 2018
スポンサーリンク

 

作品の概要と感想(ネタバレあり)

コペンハーゲン地下鉄の一大プロジェクトのPRコーディネーターであるリーは、トンネル工事の圧気作業の取材に訪れていた。
リーは、ベテラン作業員のイーヴォと、国に妻子を残して出稼ぎに来ているバランに案内され、地下20メートルもの深さにある気圧作業室へと入る。
リーが取材を進める中、トンネル内で火災事故が発生し、彼女たちは作業室に閉じ込められてしまう。
火災の影響で作業室の気温は急上昇するが、外に出ることは出来ない。
そして、室内に残された酸素呼吸器は、リーたち3人に対し一つしかなかった──。

2018年製作、デンマークの作品。
原題は『Cutterhead』。
カッターヘッドとは、掘削機の回転する切断ホイール部を指すそうです。
『グラウンド・デス』は、カッターヘッド手前の作業室が舞台となっていました。

地中で巻き込まれた事故からのサバイバルを描いたシチュエーション・スリラー
棺に閉じ込められ生き埋めにされる『[リミット]』から、地上600mのテレビ塔の頂上に取り残される『FALL/フォール』を経て、再び地中に帰ってきました(?)。
高所も地下も、やっぱりどっちも嫌です。

全然コンセプトは違いますが、「地下」「閉所」というシチュエーションが似ている『[リミット]』とあえて比較すると、サスペンス要素も強かった『[リミット]』と比べて、『グラウンド・デス』は事故そのもののリアルな怖さと、極限状況における人間の本性に焦点が当てられていた印象です。
そのため、考察ポイントはほとんどありません。

POVではありませんが、あえてガクガク揺れているカメラワークは、ドキュメンタリーのような緊迫感がありました。
派手だったり意表を突く展開はそれほどなく、ひたすら地中に閉じ込められた不安と恐怖がリアルに描かれていました。
普段まったく縁のない地中の掘削現場という舞台では、機械類も行われている作業も何が何だかわからず、何が起こっているのかもわからない不安は、観客とリーの気持ちがオーバーラップします。

そのリアル感が個人的には好きで、留まるべきか動くべきか、先の見えない不安感が強く漂っていました。
ただ、ジャケットの写真はだいぶ詐欺で、中盤はしばらく作業室での変化に乏しいシーンが続くため、そのあたりが合わない人は飽きてしまうかもしれません。


また、棺の中だけで孤独に戦う『[リミット]』に対して、『グラウンド・デス』は生存者が3人。
そのため、『[リミット]』と比較すると人間模様も強く描かれていました。
それも、ドロドロな人間模様が

しかしとにかく、人間性に難があったのは主人公のリーであり、本作を観た人のほとんどはリーにイライラしたのではないかと思います
強引に押しかけてきたわけではなく、普通に取材をしていて事故に巻き込まれたのでかわいそうではありますが、プロの言うことを聞かず文句ばかり言い、果ては他の2人を出し抜いて呼吸器を奪おうとする姿は、あまりにも自己中心性が際立ちます。

ただ、それもまた綺麗事ではないリアルさを生み出していました。
ベテランで頼りになり、ユーモアも溢れるイーヴォ。
若いながら苦労を背負い、リーを気にかけてくれるバラン。
善人として描かれる彼らと自己中心性が目立つリーの対比は、意図的なものであったと感じます。

事故や災害に巻き込まれたような危機的状況においては、人間の本性が現れるものであり、自分だけ助かろうとする人間も少なくありません。
災害モノにはそういう登場人物はつきものですが、主人公がそういうタイプというのは珍しかったような。
自分だけ助かればいいタイプにはなりたくありませんが、「いざ自分が事故や災害に巻き込まれたら、リーのようにはならないか」と問われると、100%ならないとも断言できないものがあります。
そんな思いもあるからこそ、さらにリーにイライラするのです。

とはいえ、リーの場合、閉所に追い込まれたためパニック状態になり仕方ない側面もあったとはいえ、そもそも事故前、コーヒーの入った容器をポイ捨てしていたところなどからは、もともとの人間性に難はありそう
作業室でバランからパンを分けてもらったとき、笑顔は見せつつも「ありがとう」の一言もなかったのはいかがかと思います。
関係ありませんが、水の飲み方も何だかえらいワイルドでした。


高温になった作業室から逃げ出して掘削現場に移動してからは、まさにサバイバル。
ベテランのイーヴォが死に、泥まみれになりながらリーとバランが一つの呼吸器を分かち合い、そして奪い合うようになっていくシーンは、観ている側もとても息苦しくなってきます
『[リミット]』では酸素不足の息苦しさはあまり描かれていませんでしたが、『グラウンド・デス』は暑さや息苦しさを感じるシーンが、あえて長い時間を取って描かれていました。

ただ、このシーンでのリーの言動も、いまいちよくわかりません。
バランの借金を自分が払うと言っていたのも、本気だったのか、バランを味方につけたりうまく言うことを聞かせるためだったのか。
完全に自己中で感情移入度ゼロだったリーが、意識が朦朧としているバランに呼吸器を咥えさせる姿は若干見直す面もありましたが、だからこそまさかの逆にバランに殺されそうになるシーンは衝撃でもありました。


しかしとにかく、この作品はラストシーンが最高ですね
終始、自己中心性が目立ったリー。
しかし、最後の最後でその構図が逆転し、意識は朦朧としていたかもしれませんが、リーを殺してまで自分が助かろうとしたバラン。

2人とも助かった安堵感があるべきラストシーンは、「これ以上気まずいことある?」と思うほど気まずい
むしろ、泥まみれで必死に呼吸器を貪っていたときよりも、よほど息苦しい。
お互いの生存を確認して「あっ……ども……」と思っているような表情は、何とも言えません。

しかも、映画を観ている側も気まずい
序盤からリーへの苛立ちを感じつつ、終盤ではバランに呼吸器を分け与えるシーンでは、上述した通り少し見直す側面も。
一方、苦労人で純粋っぽかったバランが、終盤では黒い一面を見せてきます。
リーを殺してまで助かろうとするシーンでは、正直これまでの苛立ちが解消されるカタルシスが生じる部分があるのと同時に、せっかく見直したリーをバランが裏切る姿を見て、リーがかわいそうでバランにも共感できなくなるような、何とも言えない気持ちになります。

その上で訪れる、ラストシーン。
リーとバランは当然気まずいし、それを観ている観客も気まずい
この構成、見事としか言いようがありません。
やや極端なまでのリーの自己中心性は、このラストシーンのためだけの伏線だったのではないかとすら感じました。

特にリーとかはあんなに重傷そうなのに、何で。
何で、よりによってあのタイミングで医療スタッフが1人もいないんですか。

地味ではありますが、ラストシーンも含め、個人的には好きな作品でした。

コメント

タイトルとURLをコピーしました