【小説】黒田研二『ワゴンに乗ったら、みんな死にました』(ネタバレ感想・考察)

小説『ワゴンに乗ったら、みんな死にました』の表紙
(C)TO BOOKS, Inc.
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作品の概要と感想とちょっと考察(ネタバレあり)

タイトル:ワゴンに乗ったら、みんな死にました
著者:黒田研二
出版社:TOブックス
発売日:2022年2月1日

目が覚めると、そこはワゴン車の中だった。
そこにいたのは、同じく拉致された、互いに見知らぬ男女6人。
タブレット型のモニターで、仮面の男からゲームの開始が告げられる──。

2022年発売。
ですが、2014年に発売された『ドライブ』という作品を改題・加筆・修正した新装版のようです。
重複買いに注意なやつですね。

一時期を境に急激に増えた、突如デスゲームに巻き込まれるノンストップ・スリラーもの。
ノンストップ・デス・ドライブ!
というわけで、閉じ込められるのがワゴン車の中、というシチュエーションが斬新でした。

存じなかったですが、著者は2000年の『ウェディング・ドレス』という作品で、第16回メフィスト賞を受賞。
その後、ゲーム『逆転裁判』のノベライズや、『真かまいたちの夜 11人目の訪問者』のメインシナリオなど、ゲーム関連の仕事も多く手がけられているようです。
ちなみに、初代『かまいたちの夜』のシナリオは、『殺戮にいたる病』が有名な我孫子武丸。

そんなこともあってか、なるほど、ゲームっぽいテンポや雰囲気もありながら話が進んでいきます(こういう系は全部ゲームか漫画っぽいかもしれませんが)。
特に感じたのは、登場人物たち。
彼ら彼女らは、

  • 主人公である若い男性(犬塚拓磨)
  • ヒロインポジションの若い女性(遠藤ほのか)
  • 素直で場を和ませる少年(矢口ジュン)
  • ヒステリックに場をかき乱すが実は繊細な女性(西園寺晴佳)
  • テキパキと場をまとめてくれる中年女性(神田暢子)
  • パワータイプで頼りになる中年男性(長谷部緑郎)

と、見事にタイプや役割が分かれています。
ユングの元型論をもとにキャラの特徴をタイプ分けした『Remember11』というゲームを思い出しました(マイナなんでほとんど知らなさそう)。
それぞれの特徴を分け、それをやや大袈裟に増長させることで、役割やキャラが明確になり、話が進みやすくなります

登場人物がみんな良い人たちなのも、読みやすかったです。
西園寺晴佳は最初は微妙でしたが、あまりにも足を引っ張ったり、自分勝手に愚かな行動を取るキャラがいると、イライラさせられがちです。
こういった作品では、話やトラップを展開させるためにそういった行動を取るキャラも少なくありませんが、本作ではみんなそんなことがなかったので、イライラするようなポイントもほとんどなく読めました。

ただ、そのようにみんな他者を思い遣れる人たちだからこそ、「運転手さん」「看護師さん」「学生さん」みたいな呼び方に若干違和感がありました。
これは個人的な捉え方かもしれませんが、何となく個人を尊重していない呼び方に聞こえてしまいます。

ただこの点は、6人が入り乱れて会話をするシーンが多いので、いちいち名前を覚えるのも大変ですし、誰が誰に発言したのかのわかりやすさを重視した結果かなと思っています。
上述した役割分けに合わせて、口調も「いかにも」な感じにしていたのも、おそらくそのような意図。
大勢が入り乱れて話すシーンって、けっこう書くのが難しいんですよね。
いちいち「〜はこう言った」みたいな文章を挟むのも、「これ誰だっけ」と読者の手が止まってしまうのもテンポが悪くなり、スピード感が大切なデスゲームものにおいては致命的です。
そのため、口調や呼び方で誰の発言なのかわかりやすくしていたのではないかと思います。


この手のデスゲーム作品には、2つの壁があります。
「リアリティ」と「結末」です。


まずは「リアリティ」。
こちらは言わずもがなですが、そもそもこんなデスゲームに巻き込まれるという時点で、非現実的です。
しかし、ここが読者の贅沢なところで、あまりにもぶっ飛びすぎていると、完全にファンタジーのようになり、デスゲーム特有の緊迫感が感じられなくなってしまいます。

現実にあり得るとはこれっぽっちも思っていない。
でも、あまりにもリアルさがないと一気に醒めてしまう。
そのバランスの繊細さが、他の作品と比べて特に求められるジャンルです。

さて、その点『ワゴンに乗ったら、みんな死にました』を振り返ってみると、個人的にはかなり素晴らしい出来だったのではないかと思っています。
何より、こういう「シチュエーション系」は一定数の人気を誇るので、作品も量産されており、玉石混淆。
正直、文章自体が読んでいて苦しい作品すら少なくありません。

本作は、メフィスト賞を受賞しており、ゲームやノベライズに慣れている著者だけあって、その点は心配するのもおこがましく、余裕のクリア。
さらに、そもそも設定には無理がありますが、その中での登場人物の行動も、「いやいやそりゃないだろ」と突っ込んでしまうほど愚かなものではありません。

むしろ、しっかりと読者の思考がトレースされており、それが登場人物たちの状況の理解や発言に反映されているように感じました。
ここ、実は難しいところで、読者にはわかっているのに登場人物がわかっていないと、読者にとっては小さなストレスになりがちで、それが積もると醒めるポイントになってしまいます。
そこがしっかり、「こうじゃないの?」と思ったタイミングで、登場人物たちもそこに気がついてくれます。

また、ワゴンの中というシチュエーションも面白かったです。
通常、隔離された場所で行われることが多いデスゲームですが、本作はワゴンの外は完全に日常の世界。
なのに、どうしても出ることも助けを求めることもできない。
ドア1枚、窓ガラス1枚がとてつもなく厚い壁に感じる。
日常的な外部と、非日常的な内部の対比が、程よい現実感を保たせていました。

ワゴンの中だけだからこそトラップも限られていましたが、その中でかなり工夫されていました。
特にサンルーフに挟まれて上半身が吹っ飛ぶシーンは、一番突っ込みどころでしたが、一番好きです。


さて、もう一点の「結末」。
デスゲームは、誰が死ぬかわからない、何がどうなるのかわからないので、やっぱり一定の面白さは保証されます。
しかし、その設定自体に無理がある分、どうしても結末が杜撰だったり無理があるものになりがちです。
そこまでする動機にせよ、それを実行する環境作りにせよ、どうしても無理が生じてしまうのです。

そこは本作も、さすがにちょっと苦しいものがありました
結果としては遠藤ほのかが夢鵺でしたが、その動機は、「人身事故による渋滞に巻き込まれ、死産してしまったことへの復讐」というものでした。
普通に殺せば良かったのでは?というところは、自身が感じた死の恐怖に怯えながら死んでほしかったというところで説明されています。

しかしさすがに「そこまでするかな」とは思ってしまいますが、そこは根本的な否定になってしまうので、デスゲームものでは目を瞑るべき。
それでもどうしても気になってしまったのは、やはり「どうやってこの状況を作ったのか」ですね。
全員を、彼ら彼女らの知人まで利用しながら呼び出し、昏睡させて拉致。
緻密な改造がなされたワゴン車。
たとえば長谷部も結局どうやって突き止めたのか。

さすがにどう考えても、遠藤ほのか1人では無理でしょう。
かといって、隠していただけで実は共犯者がいた、とも思いにくい。
ここはどうしても、謎のままとしておくしかありません。


これらのデスゲームにおける困難な点を比較的クリアしているのが、貴志祐介の『クリムゾンの迷宮』であると思っています。
しかしあれですら、ぎりぎりであり賛否は両論。
いかにデスゲームものの結末が難しいかを物語っています。

その意味では、『ワゴンに乗ったら、みんな死にました』も、デスゲームものとしてはかなり完成度の高い1作です。
そもそもリアリティを求めるならデスゲームものなんて読むな、とも言えるでしょう。
しかし上述した通り、著者側に開き直られすぎても、さすがに読んでいて醒めてしまいます。
その点『ワゴンに乗ったら、みんな死にました』は、しっかりとした上手いバランスの上で成り立っていました。


最後に、タイトルについて。
『ドライブ』だったら、絶対読んでませんでしたね
なので、若干釣りタイトルであり、表紙のデザインも櫛木理宇の『殺人依存症』などを彷彿とさせますが、この新装版は正解だったと思います。

ただ、『ワゴンに乗ったら、みんな死にました』ですが、みんな死んでない
いや、あのあとほのかは結局助からなかったとすれば、「自分以外はみんな死にました」という主人公目線で通用するのか……?
しかも「ワゴンに乗ったら」って言うけど、「乗った」というより「乗せられた」だよな……?
そんなところに、若干のアンフェアさを感じてしまったのでした。

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