【小説】芦花公園『異端の祝祭』(ネタバレ感想・心理学的考察)

小説『異端の祝祭』の表紙
(C)KADOKAWA CORPORATION
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作品の概要と感想(ネタバレあり)

タイトル:異端の祝祭
著者:芦花公園
出版社:KADOKAWA
発売日:2021年5月21日

失敗続きの就職浪人生・島本笑美は、ダメ元で受けた大手食品会社の面接で、ヤンと名乗る青年社長に何故か気に入られ、内定をもらう。
しかし、「研修」という名のもと、ヤンに伴われた笑美を待ち受けていたのは、異様な光景だった──。

2021年発売の角川ホラー文庫。
「カドブン夏フェア2022」でもピックアップされていた1作で、「民族系カルトホラー」の謳い文句に惹かれて即読み。
民族系カルトホラー……何と魅惑的な響きでしょう。
ダイソンもびっくりの吸引力。

作者の芦花公園は、カクヨム発の『ほねがらみ』という作品で人気が出た作家さんのようです。
しかし、新人作家とは思えないほど、文章も読みやすく、話もしっかりと練られていて感嘆。
民俗学要素はそれほど深くなく、キリスト教など宗教の知識の方が深く関わっていますが、いずれも特に詳しくなくても問題なく読めました。
詳しいともっと面白いのかな。
日本的な謎の儀式やトンデモカルト方向に行くのかと思いきや、意外とキリスト教方面に着地したのが面白い。

内容としては、当初予想していたよりもやや地味で、オカルト色が強かった印象
序盤の謎や儀式なども、結局何だったのかよくわからないままのものも多く残りました。
読解力不足なのか、宗教的な知識が必要なのか、はたまたカルト的なものなので第三者に理解できるような意味はなかったのか。
中盤は少しだけ中だるみ。

序盤では、ヤンが他者を操る方法がずっと疑問でした。
この点も謎が明かされていくのかと思っていたので、「そういう力を持っていた」というオカルティックな設定だけで流されてしまったのが、個人的にはやや肩透かし。
もう少しミステリィ作品的なイメージを持って読んでしまっていたので、これは自分の勝手な期待が間違っていました。

登場人物では、物部さんが好き。
各登場人物の背景も深堀りされていて魅力的でした。
天才肌の佐々木るみと、それを手助けするという常識的な青山幸喜。
本作はミステリィではありませんが、異色な作品に見せかけて、そんな典型的なホームズ&ワトソン型コンビであるところも面白かったです。

やや物足りない部分は感じつつも、なかなか独自の世界観を持った作品でお気に入り。
2022年7月現在、すでにこのコンビの第2作『漆黒の慕情』も発売されているようなので、こちらも追っていきたいところ。

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考察:章のタイトルの意味と、ヤンは何をしたかったのか?(ネタバレあり)

章のタイトルの意味

『異端の祝祭』における各章のタイトルは、すべて平仮名で、ぱっと見意味不明です。
しかし、調べてみるとこれらもすべてキリスト教に関連したものでした。
詳しい方が読んだら、章のタイトルを見ただけで気がつけたんですかね。

それぞれ簡単に解説すると、以下の通りになります。

第一章 べやと

ベヤトあるいはベアト(Beato)は「果報なる者、福人」の意味。

福者、列福された者という意味で使われることが多いようです。
「福者」とは、カトリック教会において、死後、あるいは存命中の奇跡によって、その生涯が聖性に特徴づけられた証。
「列福」は、天に在住し、福者の列に加えられること。

そのさらに上が「聖人」と呼ばれる存在なので、「ベヤト」はその1歩手前の、カトリックにおける栄誉ある1ステップであると考えられます。

第二章 ぱしょん

パション(pasyon)は、「フィリピンで四旬節に詠唱されるイエス・キリストの受難詩」と出てきました。
さっぱりです。

ただ、「パッション(passion)」だとキリストの受難、つまりキリストが十字架に磔にされて死ぬまでに受けた苦難を指すようなので、こちらの意味合いかなと考えられます。

第三章 おらしよ

こちらはおそらく「オラショ(oratio)」で、「祈り」を意味します。

日本では、伝来したキリスト教に対して禁教令が出されましたが、それでも信仰を捨てなかった人たちは隠れキリシタンと呼ばれました。
彼ら隠れキリシタンが伝承した祈り文と教義や掟のことを、オラショと呼ぶそうです。

おらしょっ(意味なし)

第四章 てんたさん

「テンタサン」は、「試み、試し、誘惑」の意で、「悪への誘惑」「悪魔が人を悪へ誘うこと」を意味する用語。
「tentação」と記載するポルトガル語らしいです。

第五章 ばうちずも

こちらもポルトガル語の「バウチズモ(bautismo)」で、「洗礼」を意味する語。

終章 なたる

「ナタル(natal)」は、ポルトガル語での「クリスマス」です。

ラテン語の「ナタリス(natalis)=生まれる」という語から派生したようですが、同語源から派生したものとして、ブッシュド・ノエルで有名なフランス語のクリスマス「ノエル(noel)」があります。

ヤンの目的は何だったのか

生い立ちについての真偽

さて、『異端の祝祭』における黒幕は、ヤンこと柏木春樹くん(19歳)でした。
というか、最初からバリバリに登場していてそのまま素直にラスボスだったので、黒幕ではないですね。

途中で挟まれれる彼の生い立ちは、なかなかかわいそうなものでした。

ただ、終盤、佐々木るみが「八角教聖典」なるものを突き出し、「全部読んだんですよ。あなたの造ったつぎはぎの宗教(八角教)」「中学生が書いた冒険小説みたいでそこそこ楽しめましたよ。イイススとイオアンの珍道中」とめちゃくちゃ見下しながら小馬鹿にします。

このるみの言葉が正しいとすると、八角教やその聖典を作ったのは柏木春樹ということになります。
すると、「八角教という団体に生まれた」「父親がその団体の長であった」「小さい頃から八角教の聖典を読み込んだ」という彼の生い立ちと思われる回想と矛盾が生じます。

このことからは、回想シーンもすべて柏木春樹の創作だったのでは?という仮説も成り立ちますが、個人的には、回想シーンはちゃんと実際の柏木春樹の生い立ちであったと考えています。

回想シーンでは、「八角教の聖典は、司祭である父が訳した旧約聖書と新約聖書」とあったので、その時点ではオリジナルの聖典はなかったということになります。
その後、父親から継いで八角教を大きくした柏木春樹が聖典を作成したとしても、矛盾は生じません。
その他の点も、るみは柏木春樹の父が取り仕切っていた頃のことまでは知らなかった、と考えれば説明はつきます。

もともとの八角教

上記の前提に立てば、八角教をスタートさせたのはおそらく柏木春樹の父親です。
創始者とまでは書いてありませんでしたが、それほど歴史があったとも思えません。

もともとの八角教は、いかにもカルトといった感じ。
オリジナルの聖典すらなく聖書をベースにしていたようですが、それを好き勝手に解釈していた様子。
「産めよ増やせよ地に満ちよ」といった言葉は、実際に神が天地創造の際、6日目に人間を創造した際に祝福して述べた言葉ですが、改まって言うまでもなく「いついかなるときでも性交せよ」という意味ではありません。

柏木春樹の父親は、礼拝と儀式、食事以外は「性交していた記憶しかない」という獣具合。
妻(柏木春樹の母親)を差し置いて、気に入った女性を「母親(マーテル)」と呼ばせていました。
団体内では、女性が精神に異常を来すほど、性的暴行も日常化していた様子。

幼少期にはテレビ・書籍・漫画・ゲーム・インターネットは禁止されていたという排他性や、教祖が都合良く信者を支配して搾取する構図は、紛うことなきカルトと言えるでしょう。

「水垢離行者様」の話にドン引きしていた同級生の慶次と康平は、あのあと洗脳されてしまったのでしょうか。
小学3年生のときに担任だった石川先生は、その後、「柏木春樹の異端審問に耐えられず、彼女は死んでしまった」と書かれていましたが、彼の力を持ってすれば、疑われずに殺害することも可能だったのかもしれません。

柏木春樹のしたかったこと

その後は、おそらく柏木春樹が八角教を継いだか乗っ取ったかして、その力を使って組織を大きくしていったと思われます。
彼の家族はまったく出てきませんでしたが、彼の力で完全に支配下にあり、途中でちょいちょい出てくる「兄弟たち」レベルまで堕ちていたのでしょう。

柏木春樹は、聖書を読んで自分がヨハネであると思い込みました
そして彼は、聖書に書かれている内容を、過去ではなく未来であると捉えたのです。
つまり、これからイイスス(=キリスト)が誕生する。
彼を降臨させ、祝福し、道を整えるのが自分の役目であると理解し、ヨハネにちなんで「ヤン」と名乗るようになりました。
とんだ妄想的自己愛ですね。

世界にとって不幸だったのは、彼に不思議な力があったことです。
そのため、彼は自分の使命を果たすべく、力を使って組織を大きくしていきます。
守屋秀光を筆頭に他者を巻き込んで利用し、眼窩の大きい女の霊を「生神女(テオトコス)」として、彼女(?)の存在と声を認識できる者を探していました。

そこに飛び込んできたのが、島本笑美。
笑美もそのような力があったため、柏木春樹は笑美を「天使ガブリエル」であると解釈し、笑美が生神女に対して、子を身籠ることを告知するのを待っていたのが、あのだらだらした不気味な数日間です。

聖書に習い、ガブリエルに会ったら「sit mihi(そのようになりますように)」と答えるよう、柏木春樹は生神女に言ってありました。
もちろん生神女は本物ではないので、笑美以外の誰にもこの言葉をかけ続けていました。
これが、笑美が最初にヤンと名乗る柏木春樹と会った際、生神女が「し と み い」と言っていた言葉です。

ヤンによる八角教はカルトか?

柏木春樹の父親が取り仕切っていた八角教は、上述する通り他者を搾取するカルトでした。
では、柏木春樹がヤンと名乗り始めてからの八角教はどうでしょうか。

父親の時代よりは、マシに見えます。
少なくとも、柏木春樹自身は、自分の使命が本物であると思い込んでいたようです。
そのため、他者から搾取することが目的というわけではなくなっていました。

しかし、彼はその力を使い、自分の目的のために人々を都合良く使役させていました。
それだけならまだしも、どうやら儀式で使っていた「鹿」は、人間だったようです。
つまりは殺人行為も行われていたということであり、臓器売買に手を染めていたのでは?といったことも示唆されていました。
これらのことからは、やはり柏木春樹がメインになってからも、八角教は危険なカルト的存在であったと考えられます。

ちなみに、笑美の兄・島本陽太が潜入した際、同室になって姿を消した岡田さんは、きっと「鹿」として捧げられてしまったのでしょう。

島本笑美と陽太の関係性

笑美と陽太の兄妹関係は、相当に歪んだものでした。
というより、陽太が幼少期から性的虐待などによって笑美を支配下に置いていたようです。
歪んだ愛情、じゃ済みませんね。

これも一種のマインド・コントロールであり、2人だけのプチカルトとも言えます。
自分には価値がないと思い込ませ、孤立させるように促し、自分に依存させる。
兄にずっと支配されてきたことで、笑美は自分で決断するという力も失ってしまっていました。
ある意味では笑美は柏木春樹に救われたわけで、そのため、最後には「彼を育てる」とまで言い出します。

笑美の部屋に小型カメラや盗聴器を仕掛けまくるところなんか、そこら辺のストーカーもびっくりですね。
ただ、彼のようなパーソナリティの場合、東京で一緒に住んだり、就職させなかったり、もっと依存させ支配下に置こうとしていても不思議ではありません。
「兄の反対を押し切って髪を明るく染めた」という描写もあったので、完全には支配下には置けておらず、だからこそカメラや盗聴器を設置して監視していたのでしょう。

佐々木るみの心理

最後に少しだけ、佐々木るみの心理について。

天才肌の彼女は、実はとんでもない過去を抱えていたことが中盤以降で明らかになりました。
「ゴミ」と表現する両親に虐待して育てられ、というか育てられてすらおらず、ネグレクト状態。
るみも、柏木春樹と同じような不思議な力を持っていました。
空想の世界において自らが作り出した「人魚姫」で、両親を殺害。
その後も孤立しいじめに遭いましたが、いじめっ子の橋口香苗を同じように殺害。

喫茶店にいた「母親」は、義理の母親でした。
彼女のもとで何とか社会に適応しつつ、自分の力を最大限に使って、お金を稼ぎ、霊に対して荒っぽい「お祓い」をして嗜虐心を満たしていたるみ。

彼女の根底にあるのは、人間不信・他者不信です。
虐待されて育ち、いじめにも遭い、その間、大人たちは誰も助けてくれませんでした。
信じられるのは、自分だけ
当然といえば当然です。
るみの独白では、物部を「顔の美しい男」と呼び、青山ですらも名前ではなく「仔犬のような男」と呼んでおり、その闇の深さが窺えます。

そんな彼女を変えたのが義理の母親の存在であり、彼女の腕を折ってしまったのを最後に、るみは力を人間への攻撃に使うことをやめました。
また、青山に対しての「大事になりすぎてしまったんでしょうね」という言葉も、きっと真実。
今の環境が続いていければ、きっとるみは少しずつでも変わっていくはずです。
この作品では、環境の重要性も強く感じられます。

るみは、笑美に対して自分と似た境遇を見出し、助けたいと思いました。
るみもまた、ある意味ではカルト的な家庭で育った存在です。
カルトという用語は、宗教団体だけを指すものではありません。
上述した通り、虐待家庭も、力による支配と搾取という意味では、プチカルト的な存在です。

佐々木るみ、島本笑美、そして柏木春樹。
不思議な力を持つ3人は、それぞれ虐待環境で育ちました。
その意味では、柏木春樹も含めて、全員がカルト的な存在の被害者であったとも言えるのです。

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