【小説】犬塚理人『人間狩り』(ネタバレ感想・心理学的考察)

小説『人間狩り』の表紙
(C)KADOKAWA CORPORATION
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作品の概要と感想(ネタバレあり)

タイトル:人間狩り
著者:犬塚理人
出版社:KADOKAWA
発売日:2020年11月21日(単行本:2018年10月12日)

14歳の少年Aによる20年前の女児殺害事件。
その残酷な犯行映像が闇売買された。
監察係の白石は警察関係者からの流出を疑い、捜査を始める。
一方、借金督促の仕事をする江梨子は、悪人をネットにさらして懲らしめる〈自警団〉サイトの活動にのめり込んでいた。
江梨子とサイトの仲間は、新たな標的として元少年Aを追い詰めていく。
それぞれの「正義」の果てに現れる哀しき真実とは──?

第38回横溝正史ミステリ大賞優秀賞受賞作。
初めて読んだ作家でしたが、シンプルで読みやすい文章でした。
ただ、振り返ってみれば誰も幸せにならなかったような、けっこう暗い話でもありましたかね。

20年前に起きた、当時14歳の少年Aによる国分寺女児殺害事件。
という設定は、酒鬼薔薇聖斗こと少年Aによる神戸連続児童殺傷事件がモデルとなっているのは明らかでしょう。
作中の年代は明らかになっていませんが、単行本の発売が2018年で、神戸連続児童殺傷事件は1997年なので、年代的にも一致します。

また、参考文献に奥野修司『心にナイフを忍ばせて』がありましたが、これは1969年にあった少年犯罪のルポ。
この事件では、当時15歳の少年が同級生を刺し殺し、その後、被害者の首を切断しました。
この少年はのちに弁護士となっていることから、この事件と神戸連続児童殺傷事件を掛け合わせたイメージが国分寺女児殺害事件なのだと思います。


ですが、思ったよりこの国分寺女児殺害事件そのものについてはあっさりで深掘りされておらず、その事件を撮影した映像が闇サイトで売買されたことを発端とした、(作中における)現代の出来事がメイン。
少年事件や少年法といった点よりも、ネットにおける晒しや私的制裁の方が大きなテーマとして描かれていたように思います。

本作を読んだ2023年3月頃、ちょうどSNSにおける迷惑行為を撮影した動画の発信と、それを取り巻く晒し(告発?)行為などが話題になっている時期で、むしろ本作の刊行当時よりもタイムリーな印象を受けました。
〈自警団〉サイトのような、迷惑行為や犯罪行為の晒し・告発をテーマとしたような大々的なサイトまでは(知っている限り)ありませんが、主にX(当時はTwitter)上で影響力のあるアカウントが迷惑行為動画とアカウントを拡散し、個人を特定するのがちょうどホットな話題になっている昨今。

「回転寿司テロ」とか「寿司ペロ」とかの用語が流行って(?)いますが、この辺の用語もいつか懐かしくなる日が来るんだろうなぁ……と思ったので、普段あまり時事ネタは触れないようにしているのですが、あえてここに書き残しておきます(『人間狩り』にとっては関係なさすぎですが)。


私的制裁は、とても難しいテーマです。
法律や刑罰は、様々な観点からバランスを取るように組み立てられています。
それは逆に、一つの観点だけから見ると、どの観点からも不満が生じてしまうこととほぼ同義です。

刑罰の歴史を辿るだけでも、その難しさというか、答えのなさが痛感されます。
「目には目を、歯には歯を」などではうまくいかず、感情を極力排するのが法律であり判決の前例主義ですが、社会的な感情とは多くの場合衝突します
それが被害者の感情となればなおさらです。

とはいえ、「ずっと刑務所に入れておけ」というのも、現実的な問題としてはコストがかかり社会的な負担が増大しますし、ほいほい死刑にしていたら、冤罪の問題や世界的な人権・倫理的な問題、人口の減少による社会の貧困化の問題なども生じるでしょう。

そこで、この社会的な感情と現実のギャップを解消する手段の一つが私的制裁であり、ネットの登場により、私的制裁が一気に広がって社会的に制裁を加えることがより容易になりました。
デジタル・タトゥーと呼ばれるように、ネットに流れた情報は現在のところ半永久的に残ります。
拡散力やリアルタイムな情報共有力も、テレビや週刊誌などの比ではありません。

私的制裁や社会的制裁は、感情論としては理解できますし、すっきりもします。
しかしそれが正しい方向性かと言われると、疑問は呈さざるを得ません。
今まで明るみに出てこなかった問題が顕在化されるのは良いことですが、それが過剰になった社会の行き着く先は、ディストピアに近いものでしょう。
社会から締め出され、自暴自棄になった人間は、さらなる問題を社会にもたらす可能性が高まります。


話が大きくなってしまったので『人間狩り』に話を戻しますが、少なくとも、少年Aこと落合聖司の現在を晒したことは、問題があったと個人的には思います。
しかも、「犯行ビデオを闇サイトで売ったのは落合聖司だろう」という思い込みから「更生しているはずがない」と勝手に判断をしている点は、明確な根拠すらありません。
この点は〈自警団〉サイトの管理人である山本弥生こと、国分寺女児殺害事件の被害者の母親である伊東弘美が焚きつけた部分も大きいですが、明らかに行き過ぎていました。

しかし、伊東弘美の立場に立てば、いつまで経っても許すことのできない、更生して幸せに暮らすことなんて到底認められる相手ではありません。
「子どもの命を奪っておきながら人権も何もない」「一度そんなことをしたんだから、自業自得だ」というのも、客観的に考えれば暴論であると思いますが、いざ被害者側に立ったとなれば、そう思うのもまた当然であると感じます。

ただ、間違いなく問題なのは、関係のない第三者の暴走でしょう。
実際に犯人などに怒りを感じることもあるでしょうが、誰かを叩くことだけが目的になっていたり、ストレス発散のために行っているような人も多く、そのような人たちは、次から次へと不満のはけ口として叩ける相手を探します。
このあたりの炎上の心理ついては真下みことの小説『#柚莉愛とかくれんぼ』でも書きましたが、攻撃すること自体が目的となっているのです。

考え始めるとどこまでも広がっていきそうなので止めておきますが、KADOKAWAの作品紹介ページでも「誰かを晒して、裁きたい。現代社会の闇を抉り出す社会派ミステリエンタメ!」と紹介されている通り、現代社会の難しい問題を浮き彫りにした作品でした。

色々明確な答えのない難しい点を扱っている本作において、唯一確実なのは、白石さん、どんなに心配でも、無断で位置情報アプリをインストールするのはダメ。ゼッタイ。

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考察:登場人物たちの心理(ネタバレあり)

それぞれの登場人物の背景や動機などは作中で描かれていましたが、それらの整理も兼ねて、主要な登場人物たちの心理を少し考察してみます。

落合聖司(一橋誠司)の心理

国分寺女児殺害事件における犯人であり少年Aであった落合聖司。

彼の犯行動機は、社会への不満がベースとして語られていました
幼少期から人間関係がうまくいかず、いじめられ、家でも両親や妹から罵倒される。
他責的な内面も相まって、社会への不満が増大し、事件に至ったと考えられます。

本人談なので信憑性はわからないにしても、それを言い出したらキリがないのでこの江梨子への告白が本心であったと仮定して論を進めますが、いじめなどから事件に発展した経緯は、酒鬼薔薇聖斗よりも高校生首切り事件の少年Aに近いイメージです。
のちに弁護士になっているという設定からも、犯人像はこちらの少年Aに近いのでしょう

しかし、そうなるとあそこまで猟奇的な事件を起こしたのは、やや飛躍も感じます。
作中では「ロリコン」とよく言及されていましたが、実際に性的欲求に基づく犯行であったとは特に絵かがれていませんでした。
あそこまで猟奇的な事件は強い性的サディズムやサイコパス的な要素を感じさせますが、落合聖司にはそれほどのサイコパス性は見出せず、現実的な観点から見れば若干ちぐはぐな犯行です。

結局、彼は犯行ビデオの流出には関わっていませんでしたが、「ではちゃんと更生していたのか」という問いについては、何とも言えません。
弥生たちにお金での解決を提案しようとした姿勢は、相変わらずの共感性の乏しさを感じさせます。
ゴルフクラブを振り回していた姿からは短気さや衝動性も窺えますが、いずれにしても頑張って築き上げてきた現在の自分を引きずり下ろさせる恐怖心も非常に大きかったでしょう。

しかし、そもそも何をもって更生したと言えるのか、というのがまた答えのない難問です。
それは結局わからないまま、落合聖司は死を迎えてしまいました。

山本弥生(伊東弘美)の心理

本物の山本弥生はすでに死んでおり、彼女の名前を名乗っていたのは伊東弘美でしたが、ややこしいのでここでは山本弥生と呼んでいきます。
彼女は国分寺女児殺害事件の被害者の母親であり、その復讐のために〈自警団〉サイトを立ち上げました。

何十年という時間をかけ、自らの存在を消してまで復讐に生きる彼女の姿は壮絶ですが、被害者の傷は時間の経過で癒える部分はあっても、消えるものではなく、むしろ逆に傷が深くなっていく部分もあるでしょう。
最終的には自らの命を利用してまで、復讐を果たしました。

しかし、彼女の復讐の目的がどこにあったのかが、いまいち定かではありません。
復讐のためとはいえ、娘の凄惨な最期を記録したビデオを再度流出させたのはやや違和感もありますが、不特定多数が閲覧できるネット上への流出ではなく、個人へのビデオの販売だったから許容できたのでしょうか。
ただ、結局販売先が警察だったとは知らなかったはずなので、そのようなビデオを買うような相手も、弥生にとっては相当に許しがたい存在だったはずです。

話題になって国分寺女児殺害事件が再燃したから良いですが、アングラなやり取りで終わって話題にならなかったらどうしていたんだろう、ともちょっと思いました。
ただ、「闇サイトで販売されていたのを見かけた」というネット上の声も、弥生自身が発信した可能性もあるかもしれません。

落合聖司の社会的制裁が目的であれば、ネット上に晒した時点である程度は達成されました。
しかし、それをしっかりと見届けることなく、他者(美馬)に判断を委ねて自らの命を絶った点は、ここまで復讐に生きてきた弥生らしくないような気もします
落合聖司はおそらく龍馬が殺したものと考えていますが、龍馬の言葉からは、落合聖司の殺害が弥生と共有されていたとは思い難いものがありました。

ただ、「きっと龍馬なら殺してくれるはずだ」と信じる気持ちがどこかにあったのかもしれません。
それはそれで、少年を殺人に巻き込んでまで復讐を遂げた弥生は、まさに復讐のためだけに冷酷に生きてきたと言えるでしょう。
弥生の心は、娘の美月が殺された時点で死んでしまったのだと考えられます。

龍馬の心理

本名なのかすらわかりませんが、〈自警団〉サイトで有名な、突撃インタビューを得意とする少年・龍馬。
彼こそまさに、現代の私的・社会的制裁を象徴するような存在でした。

彼もまた過酷な環境で育ち、両親から虐待され、それによって妹を失いました。
さらにはその責任を両親から押しつけられたことが、「罰せられずに逃げている悪者に罰を与える」活動のベースとなっていました。
そしてそれは、家族が安心できる場所ではなかった彼にとって、存在価値であり、承認欲求が満たされる唯一の活動となっていたと考えられ、今後もエスカレートしていくのではないかと推察されます。

落合聖司の事件にこだわった点については、「伊東美月に妹の姿を重ね、幼い少女の命を奪いながら見合った罰を受けていない落合聖司が許せなかったのではないか」という白石の推理が、おそらく大きく間違ってはいないでしょう。
上述した通り、ぼやかされてはいましたが、落合聖司を殺したのは龍馬であったと個人的には捉えています。
個人的な正義のもとに殺人を犯した彼のパラドクスは、今後、彼自身をどんどんと縛りつけていくものになっていってしまうだろうとも感じました。

三田江梨子の心理

白石と並んで本作の視点の一端を担った三田江梨子。
彼女の特徴は、芯のなさから来る流されやすさだったと言えるでしょう。
龍馬とは対照的に、「社会的制裁に加わる第三者」の象徴でした。

彼女は唯一、落合聖司との関連に関しては「第三者」に近い存在でした。
だからこそ、晒す行為に迷い、後悔し、晒したあとで謝りに出向くなんてことができてしまったのです。

彼女の原動力は、第三者らしく、鬱屈とした不満の感情でしょう。
それは自分に対しての不満でもあったでしょうが、他責的な彼女にとっては、社会に対しての不満という側面が大きかったと考えられます。

他責的、というのは少し言い過ぎかもしれませんが、自分で責任を負うことを回避する傾向があるのは確実です。
生活保護で処方薬を不正に売り、買春していた宇津木を〈自警団〉サイトに晒した件についても、龍馬が「卑怯だよね」「つまり自分は安全圏にいて、他の人に危ない仕事をやらせたわけじゃん。それってなんかずるいよね」と指摘していましたが、この評価がまさに的を射ていました。

娘が自殺したという宇津木の話が真実かどうか確認しに行ったのも、晒したあとに落合聖司に謝りに行ったのも、同様の心理でしょう。
あれは本当に心配していたり申し訳なさを感じたのではなく、自分の行為によって1人の人間の人生を潰してしまうかもしれない可能性に耐えきれず、「自分は悪くない」と正当化するために確認したり謝りに行ったのです。

龍馬と弥生は、それが正しかったのかどうかはさておいて、信念を持ち、責任を自覚した上で行動していました。
しかし江梨子には、それが一切ありません
好奇心で首を突っ込み、それにより万能感を感じて調子に乗りますが、自分に責任が生じることを恐れて保身に走っていだだけです。

龍馬と弥生が出会ったのも、江梨子が好奇心から首を突っ込んだことがきっかけでした。
いずれは出会っていた2人かもしれませんが、江梨子の存在がなければ、このタイミングでのこの事件は起こらなかったでしょう。
大人しく害ないように見えて、まさに「関係のない第三者の暴走」で様々な人の人生を狂わせてしまったのが、江梨子なのでした。

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