【小説】秋津朗『デジタルリセット』(ネタバレ感想・心理学的考察)

小説『デジタルリセット』の表紙
(C)KADOKAWA CORPORATION
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作品の概要と感想(ネタバレあり)

作品名:デジタルリセット
著者:秋津朗
出版社:KADOKAWA
発売日:2021年12月21日

許すのは5回まで。次は即リセット。
理想の環境を求めるその男は、自らの基準にそぐわない人間や動物を殺しては、別の土地で新たな人生を始める「リセット」を繰り返していた。
一方、フリープログラマーの相川譲治は、シングルマザーの姉親子の失踪に気付く。
姉と同居していたはずの男の行方を追うが──。


第41回横溝正史ミステリ&ホラー大賞〈読者賞〉受賞作。

個人的にかなり点数高めの1作です。

角川ホラー文庫ですが、いわゆる「怖いのはやっぱり人間」系
そこにデジタル社会が色濃く反映されているのが、本作の特徴です。
それもSFチックな話ではなくリアルで、犯人の動機や行動はやや極端でしたが、似たようなことが実際にあり得そうな怖さがあります。

犯人に辿り着くプロセスも、なんちゃってITではなく、それなりにしっかりと細かく描かれていました。
それもそのはずで、著者は本作発売当時、ソフトウェア会社に勤務しているとのこと。
62歳でのデビューですが、今後の作品にも期待したいところです。

逆に言うと、ITの知識がほぼ皆無レベルだと、細かいところでややわかりづらい部分があるかもしれません。
用語などの説明はなされていますが、完全な初心者向けではなかった印象。
ただ、それらが理解できなくても、本筋には関係ないところが丁寧です。

登場人物もそれぞれ魅力的で、特にメインである相川譲治、正木由香、そして何より沖山といった面々はキャラが立っており、彼らが出てくる続編も期待したいほどです。

「人生はゲームのようにリセットできない」という、半ば説教的な論がひと昔前には多く見られましたが、時代や技術は進歩し、本作は「人生をリセットする」を地で行く内容でした。
もちろん、子ども時代に戻るようなリセットはできませんが、本作のようなリセットはすでに実際に可能な社会になっています。

デジタルタトゥーなど、個人情報が半永久的に残り続けることが問題になる一方で、デジタル化された情報化社会は個人の履歴を埋没させ、履歴を改竄されれば非常に脆弱です。
偽のデータが揃えられたとき、頼りになるのはアナログ。
『デジタルリセット』では、譲治たちが犯人に辿り着くのにも「アナログデータ=人の記憶」が重要な要素となりました。

面白いのは、犯人側も、リセットの判断の仕方は非常にデジタル的である一方、リセットの行為自体はかなりアナログなところです。
戸籍など偽の個人情報は、他者から購入して入手。
アナログデータのリセットなんて、自らの手で殺して埋めるという、超古典的でアナログな方法でした。

本作は、犯人が誰だかわからないという推理ものではなく、譲治の追い求める相手が孝之であることなどは、比較的すぐにわかります。
それでも、どうなるのか気になってどんどん読み進めてしまう構成と展開は、とても見事でした。

リセットしていたのは「彼」だけではなかった、という最後のプチトリックも、衝撃というほどではないですが面白い。
実際に、こんな人が周りにたくさんいるのかもしれません
都市部は特に、隣に住んでいる人のこともほとんど知らず、親しくもない個人の細かい過去なんて気にしない人がほとんどであり、このような生活もいくらでも可能でしょう。

惜しいとすれば、犯人の動機がやや弱かったところでしょうか。
これら点については、後半で考察してみたいと思います。


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考察:リセットする者の心理(ネタバレあり)

「彼」はなぜリセットを繰り返したのか

「彼」の経歴と変遷

「彼」は、犯人、というと何だか語弊がある気もしますが、高見伸一であり、田代恭介であり、川島孝之であり、土居邦彦であった男性です。

先に彼の経歴や事実関係を振り返っておくと、以下のようになります。

幼少期

まず、プロローグに登場した少年が、幼少時代の彼であることは間違いありません。
両親が喧嘩ばかりしており、お互い暴力を振るい合う喧嘩の最中、少年は1人庭に座り込んで、その時間が過ぎるのをじっと待っていました。

ある日、喧嘩の延長で母親が父親を殺害。
このとき、少年は「犬を連れた自分が両親に挟まれている理想の家族の肖像」が破れ、心の中の真っ暗な空洞に舞い散っていくのを感じました。

その後「パチンという音が頭の中で響いて、何かのスイッチが入った」という文章でプロローグは終わりますが、もしかしたら少年は母親を殺害し、両親の死体(もしかしたら犬も?)を隠蔽したのかもしれません。

高見伸一

その後、しばらくはどのように暮らしていたのか不明ですが、作中で最初に描かれるのは高見伸一としての生活です。

大槻製材所に住み込みで働いていた彼は、社長の大槻からたびたび怒られたことをきっかけに、大槻一家と飼い犬を殺害。
社長と社長夫人、そして社長の弟の3人の死体を山の中に埋め、高見としての生活をリセットしました。

田代恭介

その次は、田代恭介として大手のIT企業、東邦システムに勤務。

優秀な彼は、すぐにプロジェクトリーダーになりました。
しかし、田代のせいでリーダーからサブリーダーに降格となった笹本から恨まれます。
もともとリーダーの立場を悪用して架空発注をして不正を働いていた笹本は、「田代恭介」という名前が本名ではないことを調べ上げ、それをもとに田代に架空発注を手伝わせました。

それと前後して、彼は巧妙に計画を立てて知り合った杉下恵美(譲治の姉)と同棲を始めます。
恵美は夫を事故で亡くしており、娘(美樹)と息子(俊樹)との3人で生活をしていました。
彼は、同棲を開始してすぐに、インターネットの犬の里親募集サイトで犬を譲り受け、飼い始めました。

しかし彼は、その飼い犬を恵美が無断で知り合いに引き渡したことをきっかけに、リセットを決意。
恵美と2人の子どもを殺害し、和室の床下に埋めると、職場にも何も連絡しないまま失踪しました。

川島孝之

続いては、川島孝之としてグレース不動産に勤務。
作中で一番多く描かれていたのは、孝之としての生活でした。

グレース不動産でもエースとして活躍しますが、社長の村岡を殺害してリセット。
毎晩のように会社の冷凍室で村岡の死体を処理していましたが、見つかりそうになったため、「西部冷熱」の作業員・柴本と、向かいの工務店オーナー・木田も殺害しました。

正木由香にも接近しますが、違和感を感じ取った由香は逃げ出します。
その後、彼はまた仕事なども放り出したまま、行方をくらましました。

土居邦彦

次は土居邦彦として、ロボットメーカーの安浦電機に勤務します。

就職のために引っ越した先で、娘の真奈美と2人で暮らす山月明子に接近し、交際。
3人での生活を始めました。

しかし、過去の経歴について明子に疑われ、計画して明子に接近したことがバレてしまったため、リセットを決意。

また次の経歴も準備した上で明子を殺害しようとしましたが、逆に返り討ちに遭って死亡しました。

リセットの条件

さて、彼はたびたびリセットを繰り返していましたが、その条件となる一つが「6回」という数字です。
なぜ6回なのか、という根拠は説明されていませんでしたが、彼なりの許容範囲が5回までだったのでしょう。

もう一つのキーワードが、「デジタル考課」です。
「デジタル考課」という本を持っていて島本に貸したり、孝之として社長の村岡に断られても何度もデジタル考課採用の進言をしていることからも、並々ならぬ執心ぶりが窺えます。

彼は無機質に、自分の意に沿わない事実があると記録・カウントしていき、それが6回に達するか、総合評価がアウトになるとリセットを行っていました。
そこには、感情などのアナログデータは一切入り込む余地がありません。

いずれも、共通するのは「デジタル的に閾値しきいち(=境界となる値)を超えること」でした。
ちなみに余談ですが、心理学では「閾値いきち」と読むことが多いです。ややこしい。

リセットに伴っては、アナログデータも削除します。
アナログデータとは人の記憶。
すなわち、アナログデータの削除とは、自分に関する深い記憶を持つ人の排除を指します。

意に沿わない言動を6回繰り返した人物や、自分に対する詳しい記憶を持つ関係の深い人たちを殺害して、死体を隠蔽してから、別の人間として新たな生活をスタートさせるということを繰り返していました。
アナログデータのリセットは、新しい人生を送る上で、過去に別人であったことが発覚するのを回避するために必要であったのだと考えられます。

作中で描かれていた限りでは、それぞれ以下の条件によりリセットを行っていました。

高見伸一としての生活では、社長の大槻から6回叱責されたこと

田代恭介としての生活では、交際相手の恵美が無断で飼い犬を知人に引き取らせたことで、理想の家族としての総合評価が「E」になったこと
これはもちろん、犬のことだけでEになったわけではなく、これまでに他のマイナス要素が積み重なっていたはずです。

川島孝之としての生活では、社長の村岡からデジタル考課の導入を6回断られたこと

土居邦彦としての生活では、回数やデジタル考課は関係なく、明子に嘘がバレたことで、自暴自棄になってリセットを決意した様子でした。

リセットの目的

リセットの目的は、理想の生活を手に入れることであったと考えられます。

その中でも、彼にとって最も重要であったのは、「理想の家族」です。
彼は幼少期、「犬を連れた自分が両親に挟まれている」という理想の家族像を描いていました。
しかし、実際の彼の家庭環境はそのような理想には遠く、母親が父親を殺害してしまったことで、それは永遠に叶わぬ夢となりました。

そのため、彼は「父親、母親、子ども、飼い犬」という家族構成での幸せに憧れを抱き、追い求めるようになったのだと考えられます。

そして彼は、我慢することが非常に苦手である様子も窺えます。
女性と関係を構築し、発展させ、結婚して子どもを作るという時間をかけることを嫌い、手っ取り早く母子家庭の親子を狙って理想の家族を手に入れようとしていました。

我慢することが苦手、というのは、許せるのは5回までという点にも表れています。
高見伸一としてのリセットと、川島孝之としてのリセットは、理想の家族は関係なく、気に入らないことを6回されたからリセットしただけです。

この調子では、たとえ明子に殺されなかったとしても、死ぬまでリセットし続けることになっていたでしょう。

ただ、そんな生活に彼も疲れていたのは確かで、土居邦彦としてのリセットの決意は、これまでの条件から外れるものです。
「疲れた」「面倒になった」という、ある意味では感情的で人間らしい決断であり、そのような人間らしさが見られたところで、逆に明子のリセットの対象とされてしまったというのは、皮肉な結末でした。

やや矛盾点

こうして振り返ってみると、彼の目的にはあまり一貫性がないように見えてきてしまいます。

理想の家族が主たる目的であったのではないかと考えているのですが、そうすると、特に家族を築こうとしていなかった高見伸一としての生活と川島孝之としての生活の目的が、いまいちわからなくなります。

無理矢理考えれば、高見伸一としての生活は、親ぐらいの年代であったと考えられる社長夫婦と、自分、そして犬という構成が、理想に一致していたと考えることは可能です(社長の弟もいましたが)。

しかし、川島孝之に関してはかなり謎です。
母子家庭の親子を探してはいたのかもしれませんが、そのような様子は特に描かれていません。
また、そうだとすると、正木由香に接近した理由がわからなくなります。

ただ、由香に接近した時点ではすでに社長の村岡を殺害していたので、由香も抹殺するつもりだった可能性の方が高いでしょう。
由香が「観察されている」ように感じたのは、由香がどこまで理解しているのか見極めようとしていたのかもしれません。

一貫性に欠ける川島孝之としての生活は、穿った見方をすると、物語の序盤に登場した人物なので、リセットを繰り返しているキャラであるとすぐにはわからないように、つまり読者を騙すためというか、小説の構成上の問題なのではないかと考えています。

好意的に解釈すれば、母子家庭の親子を探していた最中に村岡のカウントが6回に達してしまい、理想の家族を作る前にリセットを決意。
社長を排除し、由香も排除しようとしましたがうまくいかず、そうこうしているうちに木田も殺害しないといけない羽目になってしまったため、由香は諦めて行方をくらました、といったところでしょうか。

山月明子についての考察

リセットのため明子を殺害しようとして返り討ちに遭い、逆にリセットの対象となってしまった邦彦。
明子もまた、邦彦同様、リセットを繰り返していた人物なのでした。
つまり、リセットをしてきた者同士が出会ってしまったということですね。

おそらく、明子が邦彦の前に同棲していたのが、笹本則夫です。
笹本は、田代恭介が勤めていた東邦システムでサブリーダーを務め、架空発注を行っていた人物。

笹本は、東邦システムを解雇されたあと、田代から聞いたアルカメンタルヘルスという組織のサイトを使って、飯島という名前と経歴を手に入れました。
明子は「笹本」という名前を知っているようだったので、おそらく一緒に住んでいたのは、東邦システムに勤務していた時代(まだ笹本であった頃)からであったと考えられます。

笹本が家にいるかどうか譲治に尋ねられて、「その方は、もうここにはいらっしゃいません」と答えたのは、「笹本という名前の存在はもういない」という意味でしょう(無駄に思わせぶりな表現ですが)。

明子もまた、幼少期の環境は不遇でした。
父親は物心がついた頃からおらず、母親との2人暮らし。
母親は頻繁に男性を家に連れ込み、その間明子は、雨に打たれようとも公園のブランコで1人待っていました。

その影響か、明子も幸せな家庭を夢見ていました
しかし、出会う男性に恵まれません。
ギャンブル、酒、薬。
そして笹本は、DV。

どのタイミングから何回行ったのかはわかりませんが、明子もリセットを繰り返すようになりました。
少なくとも笹本は、邦彦と同じように背後から刃物で胸を貫いて殺害しています。

親友である沙織との会話からは、少なくとも複数回はリセットを繰り返していることが推察されます。
おそらく、男性に裏切られるたびにリセットをしていたので、娘の真奈美からも「ママが泣くと引っ越しになる」と見抜かれていました。
邦彦と出会った際も、「邦彦は明子のチェックリストに次々と合格している」と書かれていたので、邦彦ほどではないにしても、明子もデジタル的な判断をしていたのかもしれません。

邦彦とは違い、死体などを隠蔽していないので、これまで発覚していないのは少し無理がありそうですが、娘ともども、失踪して完全に他者として生活することを繰り返していました。
笹本と知り合ってからは、アルカメンタルヘルスの存在も知ったでしょう。
エピローグでは、娘にも新しい名前を与えており、娘が自分の名前を間違えると厳しく叱っていました。

また、親友と言っていた沙織もリセット友達(?)の様子。
沙織に関しては、「使い込み」「監査」と言っていたので、理想の家族が目的ではなく、不正にお金を得ることを繰り返してのリセットでしょうか。
連絡も取り合っていたようですが、ラストシーンでの沙織の「また、偶然会うことはあるかしら?」という台詞からは、偶然再会することもあったようです。

というわけで、「彼」だけでなく、明子と沙織も実はリセットを繰り返している人物だったというのが、『デジタルリセット』の仕掛けポイントの一つでした。

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