【小説】櫛木理宇『瑕死物件 209号室のアオイ』(ネタバレ感想・考察)

小説『瑕死物件 209号室のアオイ』の表紙
(C)KADOKAWA CORPORATION
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作品の概要と感想(ネタバレあり)

タイトル:瑕死物件 209号室のアオイ
著者:櫛木理宇
出版社:KADOKAWA
発売日:2018年11月22日

誰もが羨む、川沿いの瀟洒なマンション。
そこに住む女性たちの心の隙をつき、不幸に引きずり込む少年、「葵」。
彼が真に望むものとは?
恐怖と女の業、一縷の切なさが入り交じる、衝撃のサスペンス──。

安定の角川ホラー文庫で、2016年に発売された単行本『209号室には知らない子供がいる』の改題作品。
原題は長めで説明調ですね。
これまでに取り上げてきた『死刑にいたる病』『侵蝕 壊される家族の記録』などもそうでしたが、櫛木作品は(主に文庫化に際して)改題が多く見られます。

さて、本作は謎の少年・葵を中心に紡がれる物語。
タイトル通り、209号室にその原因がありました。

ちなみに、もはや有名だからか元のタイトルに含まれていないからか、作中では一切説明はありませんでしたが、「瑕疵物件」はいわゆる訳あり物件
過去にそこで人が死んでいるとか、幽霊が出るとか、といったイメージが浮かびがちですが、これらは「心理的瑕疵物件」と呼ばれるもの。
その他にも、雨漏りがあったり構造上の欠陥がある、建築基準法に抵触している、といったものも瑕疵物件に含まれます。

本作のタイトルは「瑕物件」となっていますが、造語というか、当て字です。
表紙でも、誤植じゃないよと、アピールするかのように「死」が赤字になっています。
元凶はマンションが建つ前にあり、厳密にはサンクレールも209号室も瑕疵物件とは呼べないはずで、作品のイメージ重視で当て字を使ったタイトルでしょう。

土地に由来する呪い、というと、パッと浮かんでくるのはやはり小野不由美『残穢』です。
「土地の穢れ」というテーマでは『残穢』がもはや究極形態のような作品ですが、『瑕死物件 209号室のアオイ』では、そこに具体的な霊の存在であったり、櫛木理宇らしい「人間の怖さ」が混ぜ込まれていました。

個人的には、だんだんと不可解な現象が壮大になっていき、終盤に明かされた背景設定は少々ごちゃごちゃしてしまっていたので、前半の方が楽しめました。
「ちょっと変」な方が、よほど怖さを感じます。
櫛木理宇はとにかく、「日常に忍び込んでくる恐怖」「絶妙に感覚のズレた人間」を描くのが素晴らしく上手いな、と感じました。
自分の専門性的な問題が大きいとは思いますが、櫛木作品はサイコパス系より本作のようなテイストの方が好きです。

本作は「いるいる」という人物描写のオンパレード。
その観察力と描写力はさすがで、通常の感覚で読めば誰かしらにはイライラすること間違いなしです。
ラストも期待を裏切らない安定の不穏エンド。

背景となる設定は、けっこう色々詰め込まれた感があり、まとめ方には若干強引さもあって少々ごちゃごちゃしている印象でした。
後半では、そのあたりを少し整理して考察してみたいと思います。

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考察:葵の正体と起こっていたこと(ネタバレあり)

葵と209号室の謎

結局、葵とは何だったのか。

だいたい作中で説明されていますが整理しておくと、簡単に言えば水子の霊というか、怨念というか、といったような存在でした。

高層マンション・サンクレールが建っている土地にかつてあった、アキ婆さんが営む助産院。
そこでは、望まれない子どもたちが間引きされていました。
ここで言う間引きとは、生まれたばかりの嬰児の殺害です。

その殺害が行われていたのが助産院の2階、つまりサンクレールで言うところの209号室がある場所でした。
そこに、殺害された嬰児たちの怨念が溜まっていた、ということでしょう。

とはいえ、波佐野羽海の体験からすると、怨嗟は子どもたちの母親のものでしょうか。
子どもを諦めざるを得なかった女性たちの無念。
子どもたちは、ただ母親を求めていただけなのかもしれません。

その子どもたちの集合体のような存在が、葵です。
ベースは、アキ婆さんの養女が産んだ「普通ではなかった」子ども。
そもそもが怨嗟の塊として産み落とされたのか、産み落とされてすぐ怨嗟が乗り移ったのかは判然としませんが、個人的には前者の解釈です。
一瞬とはいえ肉体を持って生まれたことによって、この世に干渉できるようになったのでしょう。

そんな集合体の存在に「葵」という名前を与えたのは、羽海の母親・茜でした。
「狭間、境界」を意味する「あおい」という「正しい名前」を与えられたことにより、「機能する」ようになったのです。

そんな存在に、建設中のサンクレールの209号室に忍び込んだ娘の羽海が出会ってしまったので、母の茜は半狂乱に。
夫の名義で209号室を購入し、封印しました。

葵はあらゆる嬰児たちの集合体なので、平均顔のような、中性的な顔立ちとして現れていた、との説明でした。
ただ、相手によって葵の年齢にばらつき(2〜3歳だったり、小学校低学年ぐらいだったり)があった理由は、いまいちわかりません。

葵の目的は、自分たちの母親に相応しい存在を探すことでした。
家族の中で孤立している女性を狙い、その女性の家族を籠絡し、母親に相応しい存在かどうか見定めていたのです。

そのため、葵の年齢のばらつきは、その家族に入り込むのに適した姿だったのかもしれません。

しかし、葵が求めていた母親像は、「完璧な母親」でした。
「穢れ」を突き詰めた作品が小野不由美の『残穢』だとすれば、「母性」を突き詰めている作品としては湊かなえの『母性』があります。

『母性』の考察で詳しく説明していますが、「完璧な母親」とは、「すべてを包み込み、叶え、守ってくれる」という正の側面だけを切り取ったイメージです。
まさに、赤ちゃんにとっての母親。
乳児にとっては、母親が世界のすべてなのです。

そのため、実際にそんな存在を得ることは不可能。
生まれてすぐに命を絶たれた葵たちが、手に入らない「理想の母親」を求め続けていたと考えると、切なさも漂います。

現実か、被害妄想的な幻覚か

本作でやや検討すべき点は、果たしてサンクレールで起こっていたことはすべて現実だったのか?という点です。
各話、それぞれ住民の女性が視点となりますが、果たして現実の出来事だったのか、彼女たちの幻覚・妄想も含まれていたのか。

たとえば、「第1話 コドモの王国」では、飯村菜緒がベランダで死亡しました。
果たして、本当に凍死するまで、子どもたちはともかく、夫の健也まで放置するでしょうか?
のちに、健也は「自分がいない間に子どもが鍵を閉めてしまったことによる事故」と説明していたそうです。
こちらの方が現実的には理解しやすく、締め出された菜緒を子どもたちと一緒になって笑っているという姿はあまりにも狂気じみており、菜緒の幻覚であると考えることもできます。

以降も、葵の登場によっておかしくなっていった、石井芳恵(若く見える義母)、島崎航希(高校生の義理の息子)。
本当は彼らは主人公たちが見ていたほどにおかしくなってはおらず、主人公たちが妄想的に見せられていた姿だったのではないか?

とも考えたのですが、結論から言えば、おそらく全て真実です。
それは、羽海への嫌がらせを実行していたのが彼らであったことから推察されます。

羽海への犯罪レベルの嫌がらせは、結局、羽海の元夫・米澤誠也が行っていたように見せかけた彼らの仕業でした。
より正確に言えば、見せかけたというより、自分たちでやっておきながら嘘の証言をしていたわけです。
なぜ米澤の容姿を知っていたのか、なぜ揃って米澤のせいにしていたのかという点は、おそらく彼らは葵の思うがままに操られていたから、ということなのでしょう。

家族を通して「母親に相応しいか」を見極めていた葵たちですが、羽海には家族がいなかったため、飯村健也や石井芳恵、島崎航希を利用したのだと、作中で羽海も推測していました。

どの家族も本当に歪んでおり、作中の出来事はすべて現実だったことになります。
葵たちの介入は、もともとあった家族の不和を増幅させる機能があったのでしょう。

これまで読んできた作品を振り返ってみると、櫛木作品で描かれるのは見事に機能不全家族だらけです。

殺された嬰児たちの母親を求める気持ち。
仕方なく我が子の命を奪わざるを得なかったった女性たちの怨嗟。
土地に留まり続けている負の感情。
常識の通じない感覚のずれた人間。
マンション内での嫌がらせ。

『瑕死物件 209号室のアオイ』では様々な恐怖が描かれていましたが、一番恐ろしかったのは、表面的に何とか取り繕っていても、一つバランスが崩れると一気に崩壊していく機能不全家族だったように感じました。

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