作品の概要と感想とちょっとだけ考察(ネタバレあり)
タイトル:方舟
著者:夕木春央
出版社:講談社
発売日:2022年9月8日(文庫版:2024年8月9日)
大学時代の友達と従兄と一緒に山奥の地下建築を訪れた柊一は、偶然出会った三人家族とともに地下建築の中で夜を越すことになった。
翌日の明け方、地震が発生し、扉が岩でふさがれた。さらに地盤に異変が起き、水が流入しはじめた。
いずれ地下建築は水没する。
そんな矢先に殺人が起こった。
だれか一人を犠牲にすれば脱出できる。
生贄には、その犯人がなるべきだ。
犯人以外の全員が、そう思った──。
以下、完全にネタバレを含むので、未読の方はご注意ください。
また一つ、すごい作品を読んでしまった。
そんな感想に尽きる1作でした。
「週刊文春ミステリーベスト10」と「MRC大賞2022」をダブル受賞し、その他も様々なミステリィランキングにランクイン。
X(当時はTwitter)でも一時期、見かけない日はないほどでした。
自分は小さい頃から本は好きでしたが、本格的に読書にのめり込んだきっかけは綾辻行人で、そこからずっと(本格)ミステリィは大好きです。
最近でこそ他のジャンルも手を出してあまり読めていませんでしたが、久々のクローズド・サークルを舞台とした本格ミステリィ、読んでいる間は至福の時でした。
「エピローグで衝撃を受けた」という感想をちらほら見かけてしまってはいたのですが、それでも衝撃を受けたエピローグ。
エピローグ前まで読み終えた時点でも、エピローグの内容は斜め上をいくものでした。
ちなみに個人的には、「エピローグで衝撃を受けた」という感想はネタバレに含まれると思っています。
本作で特筆すべきはやはり、たとえ麻衣が犯人だとわかっていてもなお、エピローグの衝撃が揺らがないところでしょう。
トリックや展開は無理がないとは言えませんし、麻衣が犯人であると明かされたところで、しっかりと驚きはありましたが、カタルシスまであるかというとそこまででもありません。
しかしエピローグで明かされる真実によって一気に構図が入れ替わる反転度合い、最高でした。
設定や展開については、公式のネタバレサイトにおいて大御所・有栖川有栖によって検討や解説がなされているので、今さら自分が言及できるようなことは何もありません。
「こういう行動取らなくない?」といったような細かいツッコミも本格ミステリィでは意味がないと思っており(あまりにも不自然すぎたら別ですが)、「こう考えてこういう行動する人が集まっていたんです」と受け入れるタイプなので、それらについては言及しません。
「設定や行動に無理がある」という感想も理解できなくはありませんが、そういうのが気になって入り込めない人は、本格ミステリィは向いていないのかも。
それはさておき、それらを差し引いても大きく矛盾がない中で、この「正統派犯人探し → 構図の反転」を成立させているのは、見事としか言いようがありません。
有栖川有栖も言及していましたが、本当に、ここまで滑稽さを露呈させられてしまった名探偵役がこれまでいるでしょうか。
犯人の手のひらの上で転がされていたという作品は多々ありますが、それにしても、です。
エピローグではもう翔太郎なんてほぼ出てこなくて空気でしかないところも、哀愁を誘います。
後味の悪さも抜群ですが、個人的には大好き。
胸糞映画で有名な「ミ」から始まる某映画の鑑賞後と似たような読後感でした。
本作の登場人物は、みんなとても冷静でした。
あんな空間に1週間も閉じ込められ、しかもその先には死が待っているとしたら、誰か1人ぐらい暴走してもおかしくありません。
いくら犯人を探せば解決する可能性があるとはいえ、みんなが恐怖を押し殺して冷静に対応したことがすべて裏目に出てしまったのは、皮肉としか言いようがありません。
そう、本当にすべての行動が裏目でしかなかったというのが、本作の後味の悪さに繋がっていました。
少なからず主人公の柊一視点に自分を重ね合わせ、圧迫感に押し潰されそうになりながら、犯人がわかるカタルシスとどう脱出するのかという希望に向かって読み進めていた読者の気持ちも、すべてが無駄だったのです。
麻衣の言動を中心に2周目を読みたくなる作品ですが、2周目の虚しさ、半端なさそう。
でもまた読んでみたいと思います。
登場人物たちのキャラが弱い気もしましたが、著者の他作品はしっかりとキャラが立っているようなので、本作ではあえて個性は抑えたのでしょう。
あくまでも柊一目線ですし、全員が平等に怪しく見えるようにというのもあったのでしょうが、みんなそこまで個性が強くなく平凡である点が、異質な状況設定におけるリアリティにも繋がっていました。
麻衣はほぼ最初からずっと冷酷に動いていたわけですが、なかなか恐ろしい存在ですね。
エピローグでもさらっとしたものでしたし、柊一も麻衣のことは「好意を抱いているけれど、それほど詳しく知っているわけではない」というポジションなので、結局、ほとんど麻衣の内面は窺い知れなかったところが、本作の後味の悪さに拍車をかけていました。
柊一のハーネスも作っていたという麻衣ですが、個人的にはこれは真実であったと捉えています。
柊一に好意を抱いていたのは本当でしょうし、キスのやり取りも本心であったと思っています。
しかし、事前に計画を打ち明けて「みんなには黙っておいて、2人だけで脱出しよう」とまではならなかった。
柊一も、「麻衣と一緒に残る」とはならなかった。
その距離感が絶妙にリアルでした。
柊一は、ワトソン役だったこともあってか、終始優柔不断というか、結局何もしていなかった印象です。
それなりに思考力はあるのに決断力はなく、行動はほとんど翔太郎に言われるがまま。
ただ色々としっかり考えてしまうので、それに引っ張られて読んでいる側も必然的に「自分だったらどうするか?」というのをたびたび考えさせられます。
あらゆる場面で「自分だったらどうするか」を考えるたび、鬱々としてきますね。
柊一は、常に選択は翔太郎任せで優柔不断に描かれていましたが、それがしっかりとラストに活きてきました(悪い意味で)。
しかしそもそも、いくら心配事があったとはいえ、大学時代のサークルの集まりに「あまり良く知らない」従兄を呼ぶというのも、なかなかに斬新です。
その時点ですでに、他人頼みな傾向が窺えました。
エピローグでわざわざ種明かしをしてきた麻衣の気持ちは、相当怖い。
あれは「完璧に計画通りに進んだのを誰かに話したかった」というのもあるかもしれませんが、個人的には柊一への嫌がらせというか復讐というか、恨みのようなものであると感じました。
一番嫌な死に方で「溺死」と答えた麻衣。
愛されないもののデスゲームの話。
それらの会話を経て、麻衣を「愛されないで溺れ死んでいく者」と最後に定義したのは柊一でした。
その恨みから、わざわざ真実を告げる。
あなたが私を愛してくれればあなたも助かったのに、愛してくれなかったからあなたは死ぬのだと告げる。
しかも麻衣は、柊一が一緒に来ないであろうことは予想していた様子でした。
それもそのはずで、上述した通り、お互い好意は抱いていながらもそれほど深い関係性だったわけではありません。
キスのシーンでは良い雰囲気になりましたが、あれも吊り橋効果とまでは言いませんが状況に流された部分もあったでしょうし、あくまでも第一に優先されるのは「生き延びること」です。
それを裏切って自分を愛してくれる奇跡が起きたときのために麻衣はチャンスを残したのでしょうが、度胸のない柊一くんはあっさりと「じゃあ、さようなら」。
エピローグの麻衣の告白が恨みによるものだと判断したのは、この「じゃあ、さようなら」を最後にお返ししたのが決定的でした。
麻依が実際には柊一のハーネスを作っていなかった、という可能性は、これらから否定されます。
最初から柊一が残らないことを予想していた、あるいは残ると言い出しても断るつもりであったのであれば、柊一に対してそれほどの恨みは生じないはずです。
微かな希望を抱いていたからこそ、恨みに転じたはず。
もちろん、鈍感な柊一が気がついていなかっただけで、めっちゃ恨まれていた可能性もあるかもしれませんが、そうなると別にキスのシーンなどは不要になります。
あと、最後に岩の巻き取り機のある小部屋に入る前、監視カメラ映像を見に行ったのも、嫌がらせと解釈しています。
単純に、最後に外の世界を見ておきたいという演技だった可能性もありますが、モニターが入れ替わっていることに気がつかれたら一巻の終わりな中、絶対的な必要性があるわけではなく、かなりリスキーな行動です。
それなのに見に行ったというのは、外の世界を見て最後の決断(みんなを見捨てて自分だけ助かる)を勢いづけること以上に、みんな(特に柊一)に外の世界を見せておきたい、という意図があったのではないでしょうか。
つまり、死地に赴く麻衣を慮りつつも、みんな外の映像を見たら「もうすぐこの外の世界に出られるんだ!」と少なからず思うはず。
そんな希望を与えてから突き落とすという、何というか、鬼畜の所業です。
さすがにそこまで鬼畜な解釈はやや過剰かもしれませんが、ハイパーダーク麻衣さん説、推したい。
柊一だけではなく、みんなに対して「自分たちを助けてくれと頼んできた=お前が死んでくれと頼んできた=みんな愛してくれなかった」という恨みはあったと推察されます。
愛と憎しみは表裏一体とはいえ、麻衣さん、なかなかにヤンデレ感が漂います。
そんな麻衣と柊一なので、たとえ2人で生き残ったところで、うまくいかない可能性の方が高そう。
いや、もしかしたら共依存的にうまくいったかもしれませんが……。
スマホやネットを中心とした科学技術の進歩・普及により、クローズド・サークルものはそもそもの舞台設定が難しくなっている現代ですが、あまりに特殊な本作の舞台設定は見事でした。
あり得るかあり得ないかは別として、没入できる異質な舞台。
ノアの方舟がモチーフとされているところも、不思議な説得力に繋がっていました。
個人的には拷問器具に活躍してほしかったところですが、いざ本当に使われていたら絶妙なリアリティのバランスは崩れてしまっていた気がします。
ノアの方舟との関連については、作中で言及されていた通りでしょう。
さらに少しメタ的に見てみると、ノアの方舟は「人を滅ぼしてリセットすることにした神が、善人であったノアに啓示を与え、ノアは啓示通りに方舟を作って家族といくつかの生き物を乗せ、洪水から生き延びた」という話ですが、ポイントは「方舟に乗った者が助かる」という点です。
本作も最終的にはその構造が踏襲されており、沈みゆく船と思われた方舟に残ることが、助かる道だったのでした。
ちなみにこれは余談ですが、方舟というのはヘブライ語では「テーヴァー」といい、「箱」を意味する言葉のようです。
ノアの洪水を描く絵画では、方舟は船の上に箱を乗せたような形で描かれるものが多いですが、船の部分は想像で補われたもののようです。
本作の「方舟」も、断面図はまさに船の形をしていて面白かったですが、きっと「方舟」という響きから船を連想して作られたということなのでしょう。
スマホといった現代的なアイテムがしっかりと活用されている点も好きでした。
しかし、細かく突っ込まないとは言いましたが、矢崎父が水中からスマホで犯人を撮ろうとしたところは、なかなか無理がありそうでした。
水中じゃ鮮明に映らないでしょうし、水面から出したらバレるでしょうし。
ここはまぁ結果的に大失敗していますし、そこまで追い詰められていた、ということだと思いますが、結局本当にただただ巻き込まれただけの矢崎一家はかわいそうでした。
とはいえ、それは全員そうですね。
そもそもあんな怪しい地下空間で過ごそうというのもなかなか大胆な判断でしたが、地震があったのはあまりにも不運すぎました。
あまりにタイミングが良すぎたので、あの地震も何か裏があったのかと思いましたが、本当にただの地震だったようです。
そのあたり、まったく必然性がなく生じた不幸と殺人事件であったというのも、本作の虚しさを高める要因になっていました。
追記
『十戒』(2024/02/21)
『十戒』の感想・考察をアップしました。
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