作品の概要と感想(ネタバレあり)
タイトル:火のないところに煙は
著者:芦沢央
出版社:新潮社
発売日:2021年7月1日(単行本:2018年6月22日)
「神楽坂を舞台に怪談を書きませんか」。
突然の依頼に、かつての凄惨な体験が作家の脳裏に浮かぶ。
解けない謎、救えなかった友人、そこから逃げ出した自分。
作家は、事件を小説にすることで解決を目論むが──。
『悪いものが、来ませんように』に続いて2作目の芦沢作品。
ホラー好きながら怪談に疎いので、本作は実話怪談ではありませんが、怪談入門も兼ねて読んでみました。
『悪いものが、来ませんように』では衝撃を受けましたが、本作もまた見事な完成度でした。
短編それぞれが怪談ミステリィとして面白く、そしてそんな5話すべてを繋げる最終話。
怪談やホラーというよりミステリィ色が強めですが、創作なのか?実話なのか?と境界が曖昧になり日常が侵食される恐怖感は、紛れもなくホラーでもありました。
何より、新潮社が全面協力(?)しているのが斬新ですね。
探せば他にもありそうですが、ここまで出版社と一体になって展開された作品を見たのは初めてでした。
X(当時はTwitter)まで活用しており、まさに現代らしい作品。
小説新潮でリアルタイムに読んでいたら、さらに楽しめたのだろうと思います。
ただ、最終話は書き下ろしなので、リアルタイムで読んでいた人も書籍化でさらに楽しめる、何ともニクい作りです。
さらには、本作の鍵を握るキャラクターであるオカルトライターの榊桔平なんて、新潮社オフィシャルのプロフィールページまでありますからね。
詳細や作品などがないので、もちろん実在する人物ではなく、本作を読んだ人が検索することを見越して作られた本作のためだけのページでしょう。
「波」における榊桔平の書評に付記された編集部の注意書き(ややこしい)に「榊氏のSNSも2月末日の〈当たりだ。本物だった〉という投稿を最後に更新されていません」と書かれていましたが、このSNSの投稿というのまでは、X(Twitter)で簡単に調べた限りでは見つかりませんでした(榊桔平名義のアカウントも見つからず)。
日常侵食系としては小野不由美『残穢』が最高峰だと思っているのですが、上述した工夫により、本作は「現実と創作の境界の曖昧さ」がトップレベルの完成度です。
新潮社の懐の深さもすごいですし、作者に対する信頼があればこそでしょう。
現実のように描く、いわゆるフェイクドキュメンタリー、モキュメンタリー作品は、映画ではもはや定番で無数に溢れかえっており、それよりは少ない印象ですが、小説でも珍しくはありません。
ただ、小説というか文章表現の場合は、どちらかというとネット発の方がモキュメンタリーに強い印象です。
最近では芦花公園『ほねがらみ』などがありますが、出版社が発売する書籍よりも、ネットの書き込みの方がリアルさが増すのでしょう(『ほねがらみ』は書籍化されましたが)。
そもそも都市伝説というか「怖い話」はネットと相性が良く、『きさらぎ駅』など2ちゃんねる発の都市伝説(?)も有名なものがたくさんあります。
ネットという媒介と、発信者が曖昧だったり知らない人というのが、リアリティさを増すのでしょう。
このあたりに言及し始めると話が広がっていってしまうので置いておくとして、本作は出版社も一緒になって舞台装置を作ることで、有名作家の連載や書籍という形態でも、モキュメンタリーとして見事に成立していました。
内容としては、全体的に怪談部分はけっこうあっさりした感じで、どの話も怪談的な話よりも後日談や「私」の解釈の方が興味深く、そこはまさにミステリィ感覚。
『悪いものが、来ませんように』の感想で「日常の解像度が高い」と書きましたが、それは本作でも強く感じました。
1話は短いので日常生活の解像度は普通ですが、登場する人たちがどれも「いるいる」といった感じ。
特に「第2話 お祓いを頼む女」の平田さんと「第3話 妄言」の寿子さんなんて、読んでいて見事にイライラしてきました。
考察:結局どういうことだったのか?(ネタバレあり)
本作はミステリィ仕立てということもあり、個々の作品全体の繋がりは「最終話 禁忌」で丁寧に説明されます。
一方で、オカルトホラーでもあるので、すべてに論理的、科学的な説明がつくわけでもなく、結局は「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない」という曖昧さを残して終わります。
なので、改まって考察するのも野暮ですが、考察というよりは少しだけ整理しておきたいと思います。
鍵を握っていた(と思われる)のは、直接は登場しない占い師、あるいは霊能者の女性でした。
おそらく彼女のことを、「第3話 妄言」で登場した寿子さんは「シンドウさま」と呼んでいました。
以下、全話に共通する同一人物だと仮定して、名前は「シンドウさま」で統一します。
「私」の考えによれば、シンドウさまを疑うと罰として死んでしまうようです。
とんでもないやっちゃ。
「第1話 染み」では、シンドウさまに占ってもらった瞬間ブチ切れた角田さんの彼氏がまず死亡。
「謝れ」というメッセージを残したのは、角田さんの彼氏の力、あるいは念なのでしょうか。
そうだとすると彼は、別れ際はぐだぐだでしたが、角田さん想いの良い人で、死んでなお角田さんにストーカーしていると思われてしまったのはかわいそうですが、いかんせん伝え方が不器用すぎました。
その後、角田さんも事故死。
同じくシンドウさまに占ってもらった「私」の友人早樹子が、「別れたらいけない」と言われた彼氏と別れたことで、2年後に同じく事故死。
「第2話 お祓いを頼む女」では、息子トシフミくんが祟られたと勘違いした君子さんがシンドウさまのもとへお祓いを頼みに行きましたが、「気のせいだ」と言われます。
しかし、君子さんはその言葉を信じません。
実際に君子さん一家は誰も祟られていたわけではなかったのですが、わざわざシンドウさまと会って疑ってしまったことで、君子さんは死に至ってしまいました。
無駄死にに近いですね。
トシフミくんにも幻聴が聴こえていたけれど生きている、というのは少々謎。
彼は子どもなので信じも疑いもしていなかったのか、あるいはシンドウさまは実は子どもには優しいのか。
「第3話 妄言」の寿子さんはシンドウさま信者でまったく疑っていませんでしたが、寿子さんには未来予知の力があった(!)ようです。
しかし、彼女にとっては未来の予知なのか現実に見たことなのかの区別がつかず、混乱するまま隣に引っ越してきた崇史さん夫妻とトラブルになり、崇史さんに突き飛ばされた拍子に頭を打って死んでしまいます。
寿子さん、めっちゃ迷惑キャラと見せかけて、一番かわいそうなのでは。
「第4話 助けてって言ったのに」が、一番繋がりがわかりづらいでしょうか。
悪夢を見た静子さんや智代さんが住んでいたのは、悪夢に登場する女性が住んでいた家。
彼女は何かしらに困り、シンドウさまに相談しましたが、状況は解決しなかったことから、シンドウさまを恨んだまま死んでしまいます。
そしてシンドウさまに仕返しをしようとしていた中で、その家に引っ越してきて髪型が似ていた静子さんと智代さんを呪ってしまったのです。
髪型だけで判断するとは何と雑な!
きっと怒りに支配されて我を見失っていたのでしょう。
「第5話 誰かの怪異」では、大学生の岩永さんが住むアパートで怪異が起こり、友人の中嶋さんの友人岸根さんがお祓いに来てくれます。
岸根さんは自称霊感ありで、シンドウさまの弟子?のような存在でしたが、岩永さんの件がうまく解決しなかったことからシンドウさまを疑ってしまい、死亡。
というのが、「私」の主な分析です。
第2話ではただの事故、第3話では未来予知者、第4話と第5話では別の怪異が絡んでいるのが、何とも事態をややこしくしています。
いずれにせよ、シンドウさまのことを疑うだけで死んでしまうのだとすれば、ほんととんでもなく迷惑な人物(怪異?)です。
それは火事で死ぬパターンもあれば、叫びながら道路に飛び出して車に轢かれるパターンもあり。
耳元で怒られるような幻聴も聴こえるようです。
榊さんもきっと、シンドウさまに会いに行ったか、あるいは完全に疑いながら彼女の行方を調べたから死んでしまったのでしょう。
「私」はまだ完全に疑ってはいなかったので、微妙に幻聴が聴こえたり事故に遭いかけるぐらいで済んでいたのでしょうか。
ただ、5話に繋がりを見出してしまったことで逆に意識してしまうことになるので、今後は危なそう。
「私」はシンドウさまに直接会ったことはないはずなので、直接会ったことがあるかどうかというのは関係ないようです。
なかなか最強の怪異に近い気が。
一応、シンドウさまを捜したり近づきすぎたりしなければ大丈夫(と「私」は思っている)ようですが、果たして本書を読んだ人は、近づいていると言えないでしょうか。
日常侵食系として、「疑ってはいけない」という結論に落とし込んだのは、なかなかいやらしいですね。
心理学の用語で、「シロクマ効果」とも呼ばれる「皮肉過程理論」というものがあります。
1987年にダニエル・ウェグナーという心理学者が提唱したのですが、「シロクマ実験」と呼ばれる実験で、シロクマの映像を見せたあと、「シロクマのことを絶対に考えないでください」と言われたグループが、一番映像の詳細を覚えていたというものです。
簡単に言えば、「考えるなと言われると、逆に頭から離れなくなってしまう」ということ。
悩みや嫌なことを「考えないようにしよう」と思うほど、頭から離れなくなってしまう経験は誰しもあるのではないかと思います。
つまり、本作を怖いと思った人ほど、「疑っちゃいけない」「この作品のことは忘れよう」と強く思い、そうすることで逆に疑うような考えが浮かんだり、思い出したりしてしまいます。
本作を怖がる人ほど、より怖くなる。
そんな恐ろしさといやらしさを持ち合わせた作品でした。
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