作品の概要と感想(ネタバレあり)
タイトル:人獣裁判
著者:友成純一
出版社:アドレナライズ
発売日:2014年3月11日(奇想天外ノベルス:1987年5月)
反逆者ダミアンの公開処刑に沸きかえるパリの大広場。
興奮する群集の渦の中に若きあのサド候爵がいた。
ダミアンに科せられる拷問の光景に見入りながら、侯爵は、これから自らを待ちうける荒波を前にして、短いながらも数奇な自分の人生を振り返るのだった──。
えーっとこれは、ジャンルは、何になるのでしょうか。
ホラー?
いや、ホラーか?
スプラッタ?
いや、スプラッタか?
あえてジャンルという枠に当てはめればスプラッタが一番近いのかな。
拷問紹介鬼畜スプラッタとでも表現するのが適切でしょうか。
ただただひたすら鬼畜な拷問描写がねちねちと繰り広げられ、合間に謎の思想が挟み込まれる、それこそ本作こそが破戒的な異端の書と呼んで差し支えないような1作。
拷問大好き!
なので期待していたのですが、期待していたものとはちょっと違ったような。
サディズムの語源となったマルキ・ド・サド侯爵を主人公に据え、サド侯爵がいかに性癖を歪めていったのかという幼少期が(おそらくほとんどオリジナルで)描かれていましたが、サド侯爵である必然性は特になく、あくまでもお飾り的な意味合い。
小説というよりも、拷問紹介ポルノといったような印象でした。
まさにトーチャーポルノを地でいくような作品。
と言うと、「トーチャーポルノ」という用語も本来揶揄的な表現でもありますし、何やら下に見ているようなニュアンスになってしまうので難しいのですが、そうではなく、そもそものニーズの問題です。
既読の方を想定してこの感想を書いているので、本作のあとがきに書かれていた内容は省略するとして、友成純一の別の作品『獣儀式 狂鬼降臨』のあとがきに書かれていた内容からも、それは明らかです。
本作はそもそも「BILLY」という、死体やフリークなどの写真を載せていた「超弩級の変態雑誌」(著者の表現)で1980年代に連載されていた作品集ですが、この雑誌の編集長から「友成さん、なんか気持ち悪い話、書けない。ストーリーなんかどうでもいいから、とにかくなんかこう、気持ちが悪くなる話をさ」と話を持ちかけられたとのことでした。
つまりがそもそも、ストーリーなど度外視で、猟奇的な「超弩級の変態雑誌」読者に向けて書かれた文章なのでした。
しかも、本作が「初めて小説を企図した文章だった」とも述べられていますし、当時自称アル中だったようですし(それが狂気的な雰囲気にも繋がっていましたが)。
現代の感覚で、「ちょっと猟奇的な小説かな」と思って読むべきでないのは間違いないでしょう。
性的な要素の多さも個人的には余計だったのですが、たぶん「それなら読むな」という方が正しい作品。
本作に収録されている〈拷問あるいは残酷トレイニング〉は本作の種本にもなっているとのことでしたが、読んでみればまさに〈拷問あるいは残酷トレイニング〉のネタを小説仕立てにして広げたのが『人獣裁判』と言えます。
そのため、小説仕立てになっているとはいえ、ほとんど拷問の描写が続くのみ。
高尚だったり美学のある拷問(?)ではなく、ひたすら欲望のままの生々しい拷問なので、個人的に合わなかったポイントはそこかな、と感じました。
別に自分が高尚とかそういう話では、もちろんありません。
生々しいゴア表現に振り切っており、これだけで多くの人が逃げ出すのは間違いないでしょうが、読める人間にとっては逆に、ずっと同じ調子なので飽きてきてしまう側面も否めません。
映画『哭悲/THE SADNESS』で強く感じましたが、残酷描写ばかりがノンストップで続いても、慣れたり飽きてきてしまうようです(麻痺してくる、というか)。
ただ本作においてはこの点も、そもそもが雑誌に連載されていた短編をまとめたものであるということを考慮する必要はあります。
拷問紹介作品としては、桐生操『美しき拷問の本』という角川ホラー文庫の作品があり、こちらはそれこそサド侯爵などが行った拷問を、物語風にフィクショナライズして並べている作品です。
『美しき拷問の本』もちょっと読みやすい文章とは言い難いのですが、先にこちらを読んでしまっていたので、『人獣裁判』も同じような作品であるように感じてしまいました。
また、それこそ先に上述した『獣儀式 狂鬼降臨』を読んでしまっていたので、その影響はとても大きいでしょう。
『獣儀式 狂鬼降臨』が初めての友成純一作品だったのですが、読んだときはかなりの衝撃を受けました。
どこを切り取ってもエログロ狂気でしかない、まさに地獄を表現したような1作。
正直に言えば、『獣儀式 狂鬼降臨』は好きですが、『人獣裁判』はいまいちでした。
それは上述した、そもそものニーズや作品が生まれた経緯が異なるのもありますが、『獣儀式 狂鬼降臨』がより壮大であるのに加えて、同じネタが多用されていた点も大きいです。
〈拷問あるいは残酷トレイニング〉が『人獣裁判』の種本であるとすれば、『人獣裁判』が『獣儀式 狂鬼降臨』の種本であるように思います。
なので、被っている拷問ネタも多く、よりストーリー性や壮大さ、そして狂気や精神的負荷が増しているのが『獣儀式 狂鬼降臨』だったので、『獣儀式 狂鬼降臨』を読んでいれば『人獣裁判』は読まなくても良かったかも、と感じてしまったのでした。
「これがあの獣儀式の友成純一の原点かぁ」という感懐は抱きました。
とはいえ、現代においてあまりにも異彩を放っているのは間違いない本作。
こんな作品や死体写真などを載せていた雑誌があったというだけでも、時代を感じます。
どう考えても人を選び、到底気軽におすすめできる作品ではありませんが、こういった尖った作品は大好きです。
何より、本作を含めいくつかの友成作品を電子書籍化しているアドレナライズという会社。
村田基『恐怖の日常』を読んだ際に知りましたが、「入手困難な絶版本、過去の名作を発掘してリニューアル」してくれている出版社であり、こういった努力によって読めているだけでも、本好きとしてはとてもありがたいのでした。
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