【映画】TUBE/チューブ 死の脱出(ネタバレ感想・考察)

映画『TUBE/チューブ 死の脱出』のポスター
(C)2019 FULL TIME STUDIO – CINEFRANCE STUDIOS – EQUITIME – WTFILMS
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作品の概要と感想とちょっとだけ考察(ネタバレあり)

(C)2019 FULL TIME STUDIO – CINEFRANCE STUDIOS – EQUITIME – WTFILMS

暗く狭いチューブの中で目を覚ました女。
腕にはカウントダウンを表示するブレスレットが取り付けられていた。
訳の分からぬままチューブ内を移動すると、別のチューブにたどり着く。
チューブはまた別の空間に繋がっており、迷路のように入り組んでいる。
しかも各チューブには恐ろしいトラップが仕掛けられ、考える間もなく次々と恐怖が襲いかかる。
彼女は出口を求め、延々と続くチューブをさまようが──。

2020年製作、フランスの作品。
原題は『Méandre』。

「Méandre」は「蛇行」を意味するフランス語のようです。
邦題はもちろん、1997年の名作『CUBE』を意識したものでしょう。
「死の脱出」というのは日本語としてちょっと不思議。

事故で娘を失い自分を責めていたら、乗せてもらった車の運転手が凶悪犯だった!
不運極まりないリザさんの不運はそこで終わらず、その凶悪犯運転手のアダムと揉み合いになり、不思議な光に吸い込まれたと思ったら、恥ずかしい格好をさせられた上で訳のわからないチューブの中に閉じ込められてしまっていました。

導入部分があるとはいえ、不条理極まりない状況に放り込まれる様はまさに『CUBE』の路線。
しかし、ほっそい通路をひたすら這いつくばりながら1人で進んでいくので、観ている側としては推理する要素も何もなく、1本道のため一緒に解く謎すら与えられないので、ひたすら「が、頑張れ……!」と応援することしかできません

なかなか閉塞感のある絶望環境ですが、たまに真横からのメタ的なアングルになるので、的にはわかりやすいのですが、絶妙に閉塞感が薄れていました。
トータルの閉塞感でいえば『[リミット]』などの方が上ですが、本作のチューブはまた独特な雰囲気があって良かったです。
ファッションも手首のガジェットも、「90年代のSFか?」と思うほどのダサさやゴツさが好きでした(皮肉ではなく素直に)。


ストーリー的には、そもそもそれほど期待せずに観始めましたが、思ったよりメッセージ性が強めというか、宗教色だか宇宙人なSF色だかが強い展開になっていき、やや置いてきぼり
おそらく深い設定やメッセージ性があるのでしょうが、エンタメ目的で気軽に観始めた身としては、思った以上に斜め上の展開に「お、おぉ……おぉ?」という感想に終始してしまいました。

しかし、それこそ『CUBE』ばりのトラップの仕掛けられた序盤から、『CUBE』の二番煎じに見せかけておいて、次々と予想外の展開を見せてくれる点はエンタメ性に溢れていました
ようやく人を見つけたと思ったらまさかのアダムで、争いの末にアダムは速攻で退場。
と油断させておいて、まさかのゾンビもどきの状態でアダムがカムバック!
さらには生物の体内のような謎空間まで、「どこに行っちゃうの?」という先の読めなさは、独自の世界観を突っ走っておりついていくので精一杯。

個人的にはとにかく、ゾンビの登場が意外すぎました
さらには、まさかのゾンビがえっほえっほとがっつり匍匐前進してきて、果てはめっちゃスムーズに退避場所に避難して火炎放射を回避していたので、ちょっと笑ってしまいました。

とはいえあれは厳密にはゾンビではなくて、単純に腐敗したアダムですかね。
左腕がなかったのでおそらくアダムだと勝手に思っていますが、ゾンビではないので外見以外は普通にアダムのままで、知性などはある程度維持されていたのだと思います。
言葉などは失い、精神的には異常を来していたのでしょうが。


主軸としてはやはり、「生きろ」というテーマだったのかなと思います。
あんな空間に放り込んでおいて、怪我をしたら治療して再スタートさせるのは、だいぶ横暴といえば横暴。

しかし、娘のニナを失った悲しみを乗り越えていくプロセスと考えれば、ある程度納得しやすくもありました。
押しつぶされそうな悲しみの中、死と再生のプロセスを経ながら、這いつくばって進んでいくしかない。
残された者は、過去という時間にとらわれず、思い出に逃げ込まず、たとえ身体を切り落とすような痛みや苦しみに苛まれながらも、喪失を受け入れた上でベストを尽くし、生きていくしかないのです。
死と再生のプロセスという点では、まるで「生まれ直す」ような、体内のごときチューブの存在がやはり象徴的です。

ラストでの、「私、死んだの?」というリザの問いに対する、ニナの姿をした存在の「肉体は何度も死んださ」「生きなさい」というセリフは、やはり心理的かつスピリチュアルな面での脱却を示唆します。
最後にいた場所は「どこやねん」ですが、どうやら地上は遥か上にある様子。
地下=無意識と考えれば、チューブでのプロセスを経て、地上よりは遥か下にたどり着いていた点は自然でもありました。
途中でリザの記憶が走馬灯のように見えていたのも、チューブでの出来事はリザの内的プロセスを具現化したものだという考えを支持します。

宗教的な観点で考えれば、やはりアダムという名前は意味深どころか直球です。
ただ彼は、神聖な存在というよりは「罪人」としての面が強く現れていたように見えました。
「何か」がリザに求める脱却とは逆の、つまりは時間や肉体の生にとらわれる「人間の愚かさ」の象徴です。
そのため彼は時間の中からも肉体からも抜け出せず、果てしない時間をあのチューブ内で過ごしていたのでしょう。
再会した時点ですでに風貌が変わっていたのも、ゾンビのようになっていたのも、そのためであると考えられます。

リザというのは、「エリザベト」という名前の略称でもあるようです。
エリザベトという名前は、ギリシャ語の「Elis(s)avet」に由来し、元は旧約聖書の登場人物でアロン(モーセの兄)の妻エリシェバから来ている。
ヘブライ語でエリシェバというのは「我が神は我が誓い」を意味する。
また、洗礼者ヨハネの母の名前がエリザベト。
というように、こちらもキリスト教との関連が多く見出せる名前でした。

また、途中でたどり着いた生物の体内のような場所では、指(?)が3本の宇宙人のような異形の存在が薄い膜越しに見えました。
膜越しに顔がにゅっと出てきて、それにリザが嬉しそうに顔を寄せたときには「ついに気が狂っちゃったのかな」と思いましたが、死んで宇宙と同一化したというか、肉体から解放され普遍的な存在になったニナの気配を感じたのかもしれません。

最後にたどり着いた場所は、楽園のようでもあり、地球とは別の惑星のようでもありました。
映画冒頭、ラジオからは「はっきり見たんだ。デカい光が空に浮かんでて微動だにせず……」という男性の言葉や、「どんなときも神の声に耳を傾けましょう」という女性の言葉が流れていました。
この点からは、宗教的な結末なのか、SF的な結末なのかは特定するべきものではなく、どちらとも解釈できる、あるいは両立していると捉えるべきなのでしょう。
いずれにしても、人智を超越した世界観です。


チューブ内はゲーム性が強く、まるでゲームを見ているような感覚もありました。
一方通行で進んでいき、火、水、敵といったトラップがあるというのは、まさにスーパーマリオ。
終盤のギロチンなんかは、ドッスンに見えてくるほどです(見えてはこない)。
初見殺しの1周目を経て2周目はスムーズに進めたのも、いわゆる死にゲーと言われるゲーム的な感覚でした。

ちなみに、ゲームでの関連では、映画冒頭で流れていた歌がどこかで聴いたことがあると思ったのですが、ゲーム『The Last of Us Part II』(以下ラスアス2)でも主要登場人物が歌っていたShawn Jamesの「Through the valley」という曲だったようでした。
ラスアス2も2020年発売ですが、この曲自体は2012年のアルバム曲のようです。

「復讐」が大きなテーマの一つだったラスアス2の内容との関連性が高い楽曲ですが、「死の影に包まれた谷を1人歩く傷ついた魂を歌う」といったような歌なので、本作との関連性も見出せます。
ただ、この曲は「But I know when I die my soul is damned(しかし、私が死んだら、私の魂は地獄に堕とされるのを知っている)」という歌詞で終わるので、果たして本作もハッピーエンドだったのかというのも、観る側の解釈に任されるのかもしれません。

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