作品の概要と感想(ネタバレあり)
ミノス社の悪事を暴くため、ベンと協力してマンハッタンを訪れたゾーイ。
しかし、再びゲームに巻き込まれてしまう。
今回のゲームの参加者は皆、過去のゲームでの生存者たちだった──。
2021年製作、アメリカの作品。
原題は『Escape Room: Tournament of Champions』。
「チャンピオンたちのトーナメント」なので「決勝戦」でも間違ってはいないですが、決勝戦だと「これが最後」感が出てしまうので、若干ニュアンスが異なります。
あととりあえず「決勝戦」はちょっとかっこ悪い。
本記事には、前作『エスケープ・ルーム』のネタバレも含まれるのでご注意ください。
前作『エスケープ・ルーム』については、以下の記事をご参照ください。
『エクケープ・ルーム2 決勝戦』には、無印と「エクステンデッド・エディション」の2種類がありますが、それぞれで終盤の展開が変わるようです。
いずれエクステンデッド・エディションも観て加筆したいと思いますが、現在、以下はすべて無印版の感想・考察なので、逆にエクステンデッド・エディションしか観ていない方はご注意ください。
近年のリアル脱出ゲーム系の中でも完成度の高かった『エスケープ・ルーム』の正統派続編。
まさに「正統派」といった安定感で、しっかりと前作の雰囲気のまま維持されており、前作好きなら必ず楽しめる作りだったのではないかと思います。
それは逆に、前作を超えるほどではないということも意味してしまいます。
正統派続編で原点を超えるのは、相当に困難。
しかし、路線を変えればそれはそれで叩かれてしまうので、続編作りは本当に難しいものです。
ただ、『エスケープ・ルーム2 決勝戦』は、マンネリ感も感じず、完成度は高かったと思います。
参加者全員、過去のゲームの勝者なので話も早く、無駄な導入もなくスピーディ。
『エスケープ・ルーム』の良い点の一つはスピード感だと思っているので、そこが維持されていて安心しました。
一方で、スピード感はむしろ早すぎて、ゲームに関しては「観ている側も一緒に考える」ということはほとんどできません。
みんながヒントを見つけた瞬間、天才少女ゾーイががんがん分析して次へ次へと展開していくので、観客側は見守ることしかできません。
相変わらずグロ表現には一切頼らないのに、緊張感や死の悲壮感を表現しているところも見事です(個人的にはグロいのが好きですが)。
酸の雨はエグくて特に好きですが、レイチェル(痛みを感じない。無痛無汗症?)とブリアナ(旅行系インフルエンサー)の最期は潔すぎでした。
『エスケープ・ルーム』では極限状況での醜い人間性もやや描かれましたが、本作ではほとんど見られず、みんな素晴らしい人格者。
しかし、だからこそ死は悲壮ですし、もはや全員「見られている」のを知っているので、最後の意地というのもわかります。
グロ描写がないのと同じく、ゾーイとベンが引き続きしっかりと生き延びるというのはとてもクリーンな印象があり、個人的には2人が死んでいたらもっと高評価だったかもしれません(文字にするとすごい人間性が疑われる発言だな……)。
その分、『ソウ』や『CUBE』などが苦手な人にも受け入れられやすいと思うので、間口は広いでしょう。
ゲームの壮大さは、大幅強化。
最先端の技術を駆使したゲームの数々は、完全にリアリティよりもエンタテインメント性を追求しており、とても楽しい。
賞金をなくして強制参加にした影響もあってか、半ばやけくそのようにお金が投入されまくっていた印象です。
お金があれば、何でもできる。
前作のラストでは、(ミノス社側から見れば)不正に生き延びたゾーイを再びゲームに巻き込むため、ミノス社がゾーイの苦手な飛行機でのゲーム制作シミュレーションを行っているシーンで幕を閉じました。
その際、黒幕っぽいシルエットが「ゾーイが飛行機恐怖症を克服してくれて良かったよ」と言っていました。
しかし実際には、本作で描かれていたようにゾーイは何回試みても飛行機に乗ることができず、ミノス社はそのたびにやきもきしたことでしょう。
ミノス社側が入手していたゾーイたちの飛行機情報がシカゴ発、マンハッタンのあるニューヨーク着であったことからも、『エスケープ・ルーム2 決勝戦』のラストと時間軸が入り乱れているわけでもなさそうです(本作の帰りはニューヨーク発なので)。
きっと、ミノス社の人たちは、ゾーイたちが飛行機の予約をするたびにゲームの準備をして、わくわく待っていたはずです。
ラストシーン、「ミノス航空へようこそ」と決め台詞のようにアナウンスしている時は、もう嬉しくて嬉しくてたまらなかったのではないでしょうか。
続編があるとすれば飛行機ゲームから始めるしかなさそうですが、乗客全員、あれだけの人数を巻き込んで行われるのかと考えると、だいぶゲーム性は変わりそう。
部屋の移動もできないですし、最終的にはゲームが準備されたどこかの島に着陸したりするんですかね。
前作もそうでしたが、本作も登場人物がみんな魅力的でした。
短い時間内でいかに登場人物の魅力を描写するのかは、とても難しいのではないかと思います。
しかし皆さん、本作のポスターを見てください。
今回のゲームに巻き込まれた登場人物が描かれていますが、最初にビリビリ地下鉄で死んだ彼の姿がありません。
名前も明かされないまま死んでいった彼は、ポスターにすらピックアップしてもらえませんでした。
あまりにもかわいそう。
ちなみにエンドロールを見ると、「Nathan(ネイト、司祭)」「Rachel Eliis(レイチェル)」「Brianna Collier(ブリアナ)」に続いて「Theo」の名前があったので、これがおそらく彼の名前でしょう。
一応、ちゃんと設定はしてもらえていたようです。
シンプルなようでけっこう複雑だった本作。
続編もあるかも?よなうなので、ミノス社の背景的な部分は続編を待つとして、本作の中で描かれていた謎について考察しておきます。
考察:結局、何のためのゲームだったのか?(ネタバレあり)
ゲームの目的と、どこまでが虚構か
今回のゲームは、なぜ実施されたのか。
一つは、これまで通りのミノス社のエスケープ・ルームの目的と変わらず、富裕層向けの鬼畜エンタテインメントです。
過去のゲームの生き残りだけでのゲームは、斬新さがあったでしょう。
それだけたくさんゲームが繰り返されてきたということでもあります。
しかしそれは、真の目的のついででしかありません。
もう一つの、そしておそらくメインの目的は、ゾーイを飛行機に乗せるためです。
それは、ゾーイがセラピストのソーンズ先生に話していた内容から明らかです。
「どうしたらあなたは飛行機に乗れるの?」というソーンズ先生の問いに対し、ゾーイは、
「私の前で4人を殺した犯人が捕まること」
「もう誰もあんな目に遭わないと確信できること」
と答えました。
そのどちらをも満たし、ゾーイを安心させて飛行機に乗せることこそが、このゲームの目的でした。
そして、どうしても前作のラストで開発していた飛行機ゲームがやりたかったのです。
ちなみに、どうしてゾーイにそこまで執着しているのかは、少々不明。
逃げ出したのがどうしても許せなかったのか、ミノス社のことを嗅ぎ回っているので潰したかったのか、天才度合いに魅了されて仲間(ゲーム制作側)に引き込みたかったのか。
そこは置いておいて、ゾーイへの飛行機ゲームが目的であるので、当然ながらソーンズ先生もミノス社の仲間ということになります。
妙に「飛行機に乗れるようになることがカウンセリングの目的だ」みたいに強調していたのも、そのためです。
セラピストやカウンセラーの描かれ方、どの作品でもだいたい残念なので悲しい。
「知りませんけど?」みたいな顔をしていましたが、所持品などからも、飛行機に乗っていたのはソーンズ先生で間違いないはず。
彼女も乗っていた理由はわかりませんが、飛行機でのゲームの鍵を握るのでしょうか。
あるいは、彼女も利用されているだけで、参加者にさせられてしまうのか。
あるいは、「すべてが手がかりに見えてくる」ために、ただ同じ物を持っている似た人物というのも、偶然にも程がありますが、可能性としてはあり得るかもしれません。
さらに踏み込めば、ソーンズ先生の言葉をきっかけに真相に気づくための、ゾーイの深層意識に存在していた違和感(「簡単すぎた」ゲームからの脱出など)が投影された幻覚かもしれません。
ただいずれにせよ、ソーンズ先生がミノス社と関わりがあったであろうことは間違いありません。
なので、当然ながら警察も偽物だったことになります。
ゾーイにすべて解決したと思わせるための演出に過ぎず、実際には前作同様、何も問題になっていないのでしょう。
富裕層がエスケープ・ルームの顧客だったことからは、警察もミノス社の支配下、あるいは応援する立場にあったと考えることも可能ですが、警察署内のテレビで事件のニュースが流れていたことからは、偽の警察署であったと考えるのが妥当です。
ニュースの内容が本当であればラストの飛行機ゲームもあり得ず、つまりはあのニュースもフェイクであり、偽の警察署内だけで流されていたもの(ゾーイとベンを騙すため)であったはずです。
アマンダの謎
本作における一番の謎は、前作から引き続き登場のアマンダです。
どうやらエクステンデッド・エディションではアマンダは出てこず、酸の雨の部屋でゾーイがタクシーの中から脱出した(落ちた)あとから展開が変わるようなので、そもそも混乱や矛盾が生じているのかもしれません。
アマンダというと、その立ち位置からも『ソウ』シリーズをどうしても連想しますが、ネタバレにも繋がりますし、そもそも『エスケープ・ルーム』とは関係ないのでさておいて。
アマンダは、前作で落下死したと見せかけて、実は生きていました。
少々、ゲーム『バイオハザード2』のエイダばりの強引さを感じてしまいますが、それもさておいて。
彼女は、本作のゲーム制作に関わっていたようです。
さすがにゲーム内容まで考えられるとも思わないので、ストーリィ部分のみの関わりぐらいでしょう。
本意ではなく、娘のソニアを人質に取られ、無理矢理させられたとのこと。
そのため、前作は参加者たちそれぞれの過去の事件がモチーフのゲームだったのに対し、本作はすべてソニアに関連する内容となっていました。
アマンダは「勝者は最高の制作者になれる」と言い、ゾーイを説得しました。
しかし、アマンダは前作の勝者ではありません。
なぜ本作のゲームメイクをしていたのかは、正直、適切な答えが見つかりません。
そもそも前作で途中で脱落していたのに生かされていたのは、なぜだったのでしょうか。
想像できる一つは、前作の時点ですでにミノス社の手先であったという可能性、いわばサクラとしての参加です。
その場合は、前作のさらに前のゲームでの勝者ということになります。
そうだとするとかなりの演技派でしたが、必死に仲間たちを助けようとしていたのは、元来の真面目さと優しさでしょうか。
ただ、そうだとしても、前作でサクラが参加していたことには、必然性がありません。
特にサクラがいなくても進行していたと思いますし、アマンダがうまく誘導した印象もありませんでした。
想像するとすれば、もしうまくみんなが理解できなかった場合には、進行役になっていたのかもしれません。
ゾーイへの再ゲームのために、ゾーイの信頼を得ていたアマンダがピックアップされた可能性はありますが、前作でアマンダが脱落したのは、ゾーイが不正に生き残る前であり、それも考えられません。
そのため、総合的に考えると、無理矢理アマンダを再登場させたために整合性が取れず、矛盾が生じてしまっている、というのが身も蓋もない結論です。
強引に合理的に考えるとすれば、
- ゲームでは、たまにランダムに1人助けている(死んだように見えて死なないトラップ)
- それらの人を、別のゲームで利用していた(ゲームを盛り上げるため?念のための進行役?)
- ゾーイがメインのゲームを実施することになったので、アマンダが起用された
といった感じでしょうか。
本作で言えば、ベンが助かっていたので、同じく砂に沈んでしまったネイトが本当に死んでいるのかどうか怪しいです。
とはいえ、砂のところだったから都合良く死んだように見えて助かったにしても、たとえば酸の雨でベンが死んだりしていたらどうするつもりだったんだろ。
個人的にはやはり「矛盾になってしまっている」という理解です。
他の参加者たちは?
ゾーイとベン以外の参加者は、過去のゲームで生き残ったあと、そのまま円満に解放されたように話していました。
しかしベンは、前作において、生き残ったのにゲームマスターに殺されそうになりました。
これらに加えて、アマンダの話を真実であると仮定して考えると、勝者は人質を取られてゲーム制作側として手伝わされるのかもしれません(もしかすると、人質がいなくてもノリノリで仲間になる人もいるかもしれませんが)。
ただ、今回の参加者(過去の勝者)たちは、ゲーム制作側ではなく、再度の参加者側です。
これは、全員脅されて無理矢理参加させられていたのでしょうか?
その可能性は、なくはありません。
本作における大きな謎は、誘導されたゾーイとベンはともかく、なぜあのメンバーだけが揃って同じ電車の車両に乗っていたのかという点です。
偶然にしては都合が良すぎますし、ゾーイとベン以外は、あまり無理矢理乗せられた、乗ってしまった感はありませんでした。
彼らは、再度ゲームに参加させられることが事前にわかっていたような雰囲気でもありませんでした。
そのため、自然なのは「何時何分の電車のこの車両に乗って、ここに来い」といったような指示がなされていたという可能性でしょうか。
あの電車に乗っていたのは必然でしたが、目的までは知らされていなかったのです。
ただそれにしても、ゾーイとベンを誘導した男は絶妙すぎます。
ちゃんと追ってくるかもわかりませんし、うまく電車内に2人だけを閉じ込められるかもわかりません。
あの電車も、他の車両は他の乗客が乗っていたので、普通に運行している電車だったはずです。
そもそも、ゾーイがスムーズに飛行機恐怖症を克服していたら、本作のゲームは不要だったはず。
これらの点も、実はあまり深くは考えてはいけないのかもしれません。
論理的には、前作のゲームマスターが言っていたように、勝者も殺してしまうのが運営側としては一番安全です。
人質を取り、「喋ったらお前も人質も殺す」と脅して解放していた可能性もありますが、「過去のゲームの勝者たちによるゲーム」という設定の時点で、そもそもちょっと矛盾が生じてしまうのは仕方ないのかもしれません。
ただ、勝者たちのゲームだったからこそ、序盤で「何だよこれ!」みたいな導入を再度見せられるグダグダ感が必要がなかったので、設定自体は良かったと思っています。
エクステンデッド・エディションを観たらまた変わる部分があるかもしれませんが、やはり、細かい点はさておいて、ゲーム自体のスリル感を楽しむエンタテイメント作品として観るのが一番なようでした。
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