【小説】櫛木理宇『侵蝕 壊される家族の記録』(ネタバレ感想・心理学的考察)

小説『侵蝕 壊される家族の記録』の表紙
(C)KADOKAWA CORPORATION
スポンサーリンク

作品の概要と感想(ネタバレなし)

タイトル:侵蝕 壊される家族の記録
著者:櫛木理宇

出版社:KADOKAWA
発売日:2016年6月18日

皆川美海は平凡な高校生だった。
あの女が、現れるまでは……。
幼い弟の事故死以来、沈んだ空気に満ちていた皆川家の玄関に、弟と同じ名前の少年が訪れた。
行き場のない彼を、美海の母は家に入れてしまう。
後日、白ずくめの衣裳に厚塗りの化粧をした異様な女が現れる。
彼女は少年の母だと言い、皆川家に“寄生”し始め──。


マインド・コントロールにより家族の日常が突如崩れていく過程を描いた本作。

自分の専門との関連が強めのため、リアリティ的な見方をするとどうしても細かい部分が気になってはしまいましたが、マインド・コントロールのプロセスは、だいぶ簡略化されたり省略されていたり突っ込める部分もありますが、問題外というレベルではなく、きちんと丁寧に描かれています。
マインド・コントロールを軸として扱った小説はあまり多くはないように思うので(知らないだけかもですが)、その意味でも貴重な作品です
そこにうまくミステリィ要素が加えられ、エンタテインメント作品として昇華されていました

角川ホラー文庫なので、ホラー作品の位置付けになるわけですが、どのような恐怖が描かれているかといえば、「気がついたら日常が破壊されていた」という恐怖です。
「日常が崩壊する恐怖」という点では、ひとつ前にレビューを書いた映画『ゴーストランドの惨劇』も広義では同じ方向性になるかと思いますが、『ゴーストランドの惨劇』が理不尽で圧倒的な暴力による突然の日常破壊であったのに対して、『侵蝕 壊される家族の記録』では、心理的な支配によって少しずつ、気がついたらいつの間にか崩壊していた、という過程が描かれます。

明確な反転ポイントがある『ゴーストランドの惨劇』に対して、『侵蝕 壊される家族の記録』では、凄惨な事件や災害といったような出来事に巻き込まれたわけでもなく、いつどこが日常と非日常の境目だったのかがわかりません
それこそがマインド・コントロールの特性でもありますが、じわじわと、いつの間にかおかしな世界に迷い込んでいた、という恐怖が描かれています。

それは、誰の日常の延長にもあり得るものです。
誰しも巻き込まれ得るという意味では、事件や災害に巻き込まれることによる崩壊も同じですが、それらに対してマインド・コントロールによる崩壊の恐ろしさは、マインド・コントロールのレベルが高いほど、本人(たち)は崩壊していることに気がついていない点です
後半では、マインド・コントロールについての考察と、本作のモデルとなったと思われる「北九州監禁連続殺人事件」を取り上げて、その恐ろしさの一端に触れてみたいと思います。



スポンサーリンク

考察:マインド・コントロール(ネタバレあり)

マインド・コントロールのリアリティ

少し専門的な視点から、この作品のマインド・コントロールのリアリティについて考察してみたいと思います。

(皮肉とかではなく純粋に良い意味で)平和な日常に生きてきた人が読めば、「人間、こんな簡単におかしくなるわけなくない?」と思う方もいらっしゃるかもしれませんが、なります。
適切なプロセスを踏めば、周囲から見れば不思議だったり信じられないほど、人は簡単に支配されたり、心のバランスを失い得るものです

カルト宗教や悪徳商法、悪質な支配・搾取関係ほどではなくても、小さなマインド・コントロールと呼べる手法は日常に溢れています。
サブリミナル効果は一時期問題になってなくなりましたが、広告による購買意欲の喚起、マスコミによる世論の誘導なども、広義のマインド・コントロールと言えるでしょう。
インターネットの普及により情報が溢れたことで、あからさまに悪質な誘導はなくなりましたが、「あなたへのおすすめ」のようなカテゴライズは、無意識のうちに視野を狭める「恐ろしい便利さ」であると感じいます。

もともと国家レベルで軍事的な研究から発展していったマインド・コントロールですが、どれだけ高度なマインド・コントロール技術であっても、全員が同じレベルで洗脳されるわけではもちろんありません(マインド・コントロールと洗脳は厳密には異なりますが、ここでは同じようなものとして扱います)。
マインド・コントロールされる側の要因も、どれだけマインド・コントロールが成立しやすくなるかを左右します。
もちろん、「自分は絶対騙されないから大丈夫」と思っている人が洗脳されにくいわけではありません(むしろそういう人の方が危ないやつ)。

精神科医の岡田尊司による『マインド・コントロール』という本に詳しいですが、岡田先生はマインド・コントロールの原理を以下の5つにまとめています。

  • 第1の原理:情報入力を制限する、または過剰にする
  • 第2の原理:脳を慢性疲労状態に置き、考える力を奪う
  • 第3の原理:確信を持って救済や不朽の意味を約束する
  • 第4の原理:人は愛されることを望み、裏切られることを恐れる
  • 第5の原理:自己判断を許さず、依存状態に置き続ける

外界との接触を断つ、眠らせない、自分こそが理解者であると信じ込ませる、裏切りを防ぐと同時に結託させないために相互監視させる、逆らえば見捨てられる恐怖を抱かせる、自己判断できないようにさせていく──。
細かい説明を読まずに原理の要点を見ただけでも、『侵蝕 壊される家族の記録』の展開に見事に合致することに気がつかれたかと思います
特に、睡眠不足は脳の働きを著しく低下させるので、悪質なマインド・コントロールにおいてはほぼほぼ必須レベルで用いられます。

『侵蝕 壊される家族の記録』では、プロセスはしっかりしているのですが、おそらく間違った知識を使わないようにきちんと意識されていることで教科書的な描写になり、マインド・コントロールを行う側の葉月(本作のメインの事件では依織)のキャラクタとしての個性がやや乏しくなってしまっている部分が、少しもったいないように感じました(これは他の櫛木作品のサイコパス描写などにも言える)。
とても綺麗に、時には都合良く、スムーズにマインド・コントロールのプロセスが進んでいきます。

もちろん、マインド・コントロールの専門書ではないですし、何も問題ではありません。
個人的にマインド・コントロールはかなり興味の強い分野の一つのため、ややシビア目線になってしまっている点は自覚あり。
むしろトンデモ理論で変な偏見を生み出されるのは一番困りますし、再現性があるほどリアリティがあっても問題になり得るので、あくまでもエンタテインメントの小説作品として、そのバランスを取るのはとても難しかったであろうと思います

やや強引さを感じた導入や展開としては、

  • 虐待されているかもしれないにしても、見知らぬ子どもを家庭で匿う
  • それぞれ社会内でも多かれ少なかれ孤立しており、長期休暇の期間と被らせているとはいえ、姉妹それぞれ大学、高校、中学に通っているのに、周囲が誰一人気がつかない
  • 特に美海は高校に通い続けており、だからこそ一番正気を保っていられたのはあると多いますが、風貌や態度の極端な変化に周りがほとんど介入してこない(ぎりぎり岩島くんは気がついていたけど)

あたりは、少し気になってしまったポイントでした。

周囲が気づかないという点については、美海の高校の養護教諭・崎田先生なんて、いやいやいや、さすがにちょっと……という極端すぎる態度。
この作品、もしかしたら崎田先生が一番最低なんじゃない?レベルな気がしました笑(警察官もですが)。
櫛木作品では、こういった嫌悪感を抱かせる人物像の描写が抜群です。

マインド・コントロールは、話術などのコミュニケーションスキルも重要な要素になります。
『侵蝕 壊される家族の記録』におけるミステリィ要素はしっかり騙されましたが、いくらずっと葉月を見ながら育ったとはいえ、社会経験の乏しい10代の依織があれだけのマインド・コントロールを行うのは、さすがに厳しいものがあるのではないかな、とも感じました(負け惜しみ)。
あと、どんだけ白塗りしてたんだ問題もあり、映像化は難しそうな作品だと勝手に思っています

櫛木理宇作品は他にもいくつか読んでおり、好きで憧れな作家の一人です。
全作品を読めてはいませんが、読んだ限りでは全体的に、知識はしっかりと正しいものを意識しつつも展開はやや強引な部分が多く、細部よりも「あくまでもエンタテインメント作品として書きたいテーマを軸に書く」ということに主眼を置かれているのではないかな、と感じています。

北九州監禁連続殺人事件

『侵蝕 壊される家族の記録』のモデルとして、北九州監禁連続殺人事件が大きな影響を与えているのは間違いありません。
参考文献にも、この事件絡みの書籍が2冊挙がっています。
この事件を解体してフィクションとしてシンプルにリブートし、ミステリィの要素をプラスした作品、と表現しても個人的には過言ではありません(批判的な意味でなく)。

北九州監禁連続殺人事件は、2002年に発覚した事件であり、「事実は小説よりも奇なり」という表現がまさに当てはまってしまう凶悪事件のひとつ。
ある一家のほぼ全員が監禁されてマインド・コントール下に置かれ、家族間で殺し合って遺体を解体するなど、子どもを含めた7人が死亡している事件です。
主犯格である松永太は、明らかなサイコパス。
松永の下で支配側に回っていたのは内縁関係にあった緒方純子という女性ですが、被害者一家は、その緒方純子の家族たちでした。
相当に衝撃的な事件の割にさほど有名ではないのは、「あまりの残虐性ゆえにテレビ向きの事件ではなかったから」と言われているほどです。

正直、マインド・コントロールの恐ろしさや嫌悪感だけに重点を置けば、参考文献にも挙がっていた豊田正義『消された一家 −北九州・連続監禁殺人事件−』(北九州監禁殺人事件のルポ)の方が、『侵蝕 壊された家族の記録』よりもインパクトがあり、後味が悪く、恐怖度も圧倒的です。
実際の事件とフィクション作品を比較するものではありませんが、それだけ類似している部分も多く、同じようなテーマでより重苦しい気分になりたい方はこちらも読んでみると、よりマインド・コントロールの恐ろしさや人間の闇が感じられると思います。

コンセプトのやや似た作品としては、我孫子武丸の『修羅の家』もお勧めです。

コメント

タイトルとURLをコピーしました