【小説】背筋『近畿地方のある場所について』(ネタバレ感想・心理学的考察)

小説『近畿地方のある場所について』の表紙
(C) KADOKAWA CORPORATION.
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作品の概要と感想(ネタバレあり)

タイトル:近畿地方のある場所について
著者:背筋
出版社:KADOKAWA
発売日:2023年8月30日

情報をお持ちの方はご連絡ください。
近畿地方のある場所にまつわる怪談を集めるうちに、恐ろしい事実が浮かび上がってきました。


2023年、ウェブ小説投稿サイト「カクヨム」で投稿がスタートし、一気に話題を掻っ攫っていった印象の1作。
その勢いはまさに呪いの拡散のごとく、ホラー小説好きを超えて色々な場所で目にしました。

書籍化され、購入していたのはけっこう前だったのですが、期待しすぎてしばらく手をつけられていなかった、という自分の悪いパターン。
というのは、澤村伊智『ぼぎわんが、来る』の感想でもまったく同じことを書いているのでどうでも良い自分語りは省きますが、いざ読んでみれば、怒濤の人気も納得の素晴らしい完成度でした。

2023年1月に投稿を開始し、8月にもう書籍化されているというのはなかなかにエグいスピード感です。
著者の背筋は、本作が初執筆・初投稿であるようですが、果たして本作の爆発的ブームはビギナーズラックか、必然か。
この先も書き続けられるかどうかが命運を分けそうです、と思っていたら、ちょうどこの感想を書き始めた当日(2024年6月6日)に第2作『穢れた聖地巡礼について』が発表され、偶然すぎるタイミングが恐ろしくすらあります。

というより、どう考えてもビギナーズラックではないのは、本作を読めば明らかです
次回作、そしてその先の作品も、早くも楽しみ。

しかし、芦花公園しかり、カクヨム発、というよりウェブ発の作家さんは面白い名前も多い印象です。
次世代のホラー小説界を担うであろう方々はウェブ上でマルチに活躍されている方も多く、梨、雨穴なども同様ですが、エゴサは大変そう(雨穴、はそうでもないかな)。

背筋なんてもはや「せすじ」か「はいきん」かすら最初はわからないですしね。
『近畿地方のある場所について』を読み終わって「背筋がゾッとした」なんて言ったら、読者がゾッとしたのか著者がゾッとしたのかわかりません。
なんてね。
あはははは。
見つけてくださってありがとうございます(誤魔化すのに使うな)。


さて、個人的に本作は「モキュメンタリーホラー小説の一つの到達点」と言っても過言ではないのではないかと思っています
三津田信三作品、小野不由美『残穢』、長江俊和『出版禁止』、芦沢央『火のないところに煙は』など、特に2010年代頃から有名作品が目立ち始めている印象のモキュメンタリーホラー小説。

しかし、そもそも日本古来の怪談や実話怪談も、一種のモキュメンタリーと言えなくもありません。
さらには、2ちゃんねる(当時)のオカルト板やいわゆる「洒落怖」も、実話なのか創作なのか区別がつきづらいという点において、モキュメンタリーの歴史を語る上は無視できない存在でしょう。

また、文字だけの表現を超えてウェブを活用した演出としては、三津田信三の別名義では?と噂もされた(実際は別人のよう)謎の作家・阿澄思惟による電子書籍『忌録: document X』が先駆的で、たとえば作品内に登場する「綾のーと。」なるブログはFC2ブログとして実在するという徹底ぶり。
2014年の発表にもかかわらず、いまだに考察され続けている作品で、女児の失踪や謎の呪文(こちらは解読されていますが)など、本作との類似点も多く見られます。

これらの積み重ねられた歴史・文化の中で育ったホラー作家の1人として芦花公園がおり、ホラー文化への愛やリスペクトが感じられる『ほねがらみ』以降、ウェブ上でのモキュメンタリーホラー人気が爆発的に増えた印象です。
もちろんしっかり調べているわけではないので、それ以前にもあるでしょうし、ウェブ小説投稿サイトの成熟など多様な要因があるでしょうが、その系譜の第一次集大成として位置付けられるのが『近畿地方のある場所について』ではないかと思います

というのも、とにかく本作もホラー愛が詰まった作品で、オカルトや怪談はもちろん、土着信仰、都市伝説、UMA、オカルト板やチェーンメールなどのネット文化、カルト、スピリチュアル、宇宙、人怖、鬼、悪魔など、もうこれでもかというほど多彩な要素が詰め込まれています。
一見関係ないエピソードが繋がっていき謎が解き明かされていく感覚はPS2のゲーム『SIREN』などの影響も感じられますし(実際にインタビューでも述べられています)、とにかくあらゆるホラー要素がてんこ盛り、かつそれを見事にまとめ上げている作品でした

なので、この「多様なメディアにおける断片的な情報から徐々に真相が浮かび上がってくる」というアーカイブ系モキュメンタリーホラー小説は、今後はプラスアルファの要素が必要になってくるのではないかと思います
現在、モキュメンタリーホラー小説のブーム期と言って良いと思いますが、ブーム期というのはある意味ピークでもあり、ブームが来ると同じような作品が雨後の筍のように溢れがちですが、似たような作品を作っても二番煎じ感は否めなくなり、『近畿地方のある場所について』によって今後のモキュメンタリーホラーのハードルは一段高くなっている、というのが勝手な想像です。
先駆けて映像業界でモキュメンタリーホラーが流行し、現在も量産され続けていることを考えると、誰でもお手軽に「リアルな怖さ」を演出しやすい手法であると考えられますが、「そこそこ以上」の作品を作るのは逆にかなりの技術が必要なのかもしれません。

そもそも『近畿地方のある場所について』も、幅広いのにリアルな描写とまとめ方が尋常ではなく上手いだけで、個々のエピソードは既視感のあるものばかりです。
もちろん、ホラー作品は斬新な発想や設定だけで成り立つものではりませんし、本作も過去のホラー文化への造詣の深さと解像度の高さを含めて著者しか生み出せない作品であることは言うまでもありません。
多数の記事やエピソードから真実が浮かび上がってくる形式のモキュメンタリーホラーとして、一つの完成形を感じた作品でした

何より、現実に侵食してくる拡散系である終わり方も、ホラーというジャンルで見ればベッタベタです
本作が怖い怖い言われているのは、個々のエピソードだけでもゾッとする完成度の高さもありますが、普段はあまりホラー小説を読まない、ホラー慣れてしていない人まで広まったからではないかな、と思うところもあります。
終わり方については、インタビューでも「結末については、ひとりのホラーファンとして、大好きなホラーというジャンルへのリスペクトを表したつもりです」と述べられていたので、あえてベタな終わり方にしたのではないかと思います。
本作が「ホラーというジャンルへのリスペクトを表した」作品であるとすれば、今後さらに個性を発揮した作品も読めるのではないかと勝手に期待しています。

本作について一点忘れてはならないのが、「カクヨム」で展開されたという点です。
『ほねがらみ』もそうですが、ウェブ小説投稿サイトというのは、ある意味「書籍」と「ネット掲示板やSNS」の中間に位置する場所であり、それが最高にモキュメンタリーと相性の良い「場」であったのも間違いありません。
リアルタイムで追っていたら、その曖昧さはさらなるものだったでしょう。

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考察:考察を求めるのは危険であるという考察(ネタバレあり)

考察によって見失われるもの

さて、本作はすでに考察も盛んになされています。
「考察してもらいたい」という意図と余白を持って書かれているのは明らかなので、実に見事に著者の手のひらの上で転がされているわけですが、やはり問題を提示されると気になって考えたくなってしまうのが人間です。

作中に出てきた「恐怖感情を他者に伝える際の身体表現」というAさんの卒業研究の手法や内容は、ものすごくしっかりしているなと思ったのですが、実際に著者が大学時代に行った卒業研究をほとんど踏襲しているようでした。
著者経歴はまったく明らかにされていませんが、研究内容としては非常に心理学の内容に近く、少なからず心理学を学ばれていたのではないかと邪推しています。

作中の最後に「残念ながら私は知っていました。ライターとして、読者を操る情報発信の仕方を。」と述べられていましたが、どうすれば興味を引きつけ話題になるかという読者心理は非常に計算されているように感じました。
SNSの感想などでも「こっちにおいでーかきがあるよー」「見つけてくださってありがとうございます」のフレーズをたくさん目にしましたが、このような「流行語」も計算されて仕込まれていた印象
もちろん、あくまでも本作はフィクションであるのと、現実の著者は男性のようなので、作中の「私」の発言をすべて著者の現実の考えと同一視してはいけませんが。

ただ、内容についての自分なりの考察も最後に少し触れますが、逆張りや天邪鬼な意味ではなく「本作を考察するのは妥当なのか?」という点についてまず考えてみたいと思います。

本作において、個人的に非常に印象的だったのが、「学校のこわい話」シリーズを書いたとされるホラー作家の、以下の言葉です。

その漠然とした大きな恐怖感を共有するために、踊る人体模型というでたらめの共通認識を作り上げるわけね。

自分の抱える恐怖を他者と共有するための共通認識として、マスコミが流す人面犬が爆発的に広まったのかもしれないわね。

これは、非常に的を射た見解だと思っています。

似たようなことを、『ぼぎわんが、来る』の考察で書きました。
ほとんど重複するので詳しくはそちらをご参照いただけたらと思いますが、ポイントとしては「人間は曖昧で不安な状態が一番落ち着かないので、何かしら答えを求めたがる」といったことです。
そしてそこで生み出された「解釈」が広まり、新たにありもしなかった物語が生み出されて広まっていく。

『近畿地方のある場所について』で描かれているのも、まさにそのような恐怖と危険でしょう
「贄がさらに贄を求める」と述べられていたように、解釈が新たな恐怖を生み出していく。
恐怖を鎮めるために生贄を差し出していたはずが、いつの間にか誤って伝わり、新たな怪異を生み出す。
誤った神を祀り続ける。

「強引に答えを求めるのは、危険が伴うよ」というのを教えてくれているのが本作でもありました
こんな考察を書くブログをやっていながらおかしな話ですが、作品の考察なんて非常に野暮なものだと思っています。
少なくとも自分は「これが答えだ」と思って書いてはいないのですが、制作者から見ればてんで検討外れな考察もこれまでたくさん書いてきているはずです。

なので、明確にそのような忠告を含んでいる本作は特に、作品を考察するというのは愚の骨頂のような気がしてなりません
考察によって失われるものが大量にあるはずです。
少なくとも、「自分で考えた自分なりの解釈」に留めておくべきでしょう。

それでもね、ああでもないこうでもないと考えて、共有できる人がいれば共有するのは、とにかく楽しいんですよね
だから色々な考察を見るのも好きですし、自分でもこうやって語り合うつもりで書いてしまっています。

長い前置きのようになってしまいましたが、これらを踏まえての考察ですが、上述した通り、すでに本作はたくさん考察がなされています。
被る点を書いても仕方ないので、少なくとも見かけた考察は省きます。
具体的には、Googleで「近畿地方のある場所について 考察」で調べて出てきたサイトをいくつか見ただけなので、それこそSNSや掲示板ではもっと深く大量に検討されているでしょうが、「解答」を求めているわけではないので、以下、自分の見解の大枠を。

著者の発言から見えるもの

考察するにあたって、個人的に重要視しているのは制作者(小説なら著者)の発言です
当然ながら、「解答」を持っているとすれば「神」である著者以外にはいません。
著者ですら意図していなかったかもしれない「こんな見方もできるのでは」という考察も楽しくはありますが、著者のインタビューや発言がある限りは極力目を通して尊重しています。

それで言うと、本作についてもいくつか著者インタビューが見られますが、個人的に重要そうであると感じたものをピックアップすると、

作中に登場する様々な要素は、どこかで見聞きしたことがあるような怪事件や怪談、伝承、都市伝説などがモチーフです。
ぼんやりとした記憶の網に引っかかるようなボールの投げ方をしたので、それが読者にとってのフックになれば。
執筆は、書きたい場面のイメージが先にあって、後から有名なエピソードを紐づけてアレンジしていくというやり方で。

https://kadobun.jp/feature/interview/entry-79390.html

要するに「受け手側に考察してもらう」という作品ですね、そういうものが書きたかったんです。

これは完全に私の趣味なのですが、それにクトゥルフ神話的な要素と「白くて大きい怪物」を登場させたらどのような反応が出るのだろうな、というのも試してみたかったんです。

『近畿地方~』には事件や怪談、妖怪、伝承、未解決事件、都市伝説、ネット怪談、怪奇譚、ホラーコンテンツなどのエッセンスをいくつもオマージュ的に取り込んでいまして、これが一番、というものがないんですよ。

https://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/2305/29/news126.html


これらから見えてくるのは、あまり細部の整合性や起源にこだわっても意味がないだろうな、ということです。

そして、特に重要なのは「クトゥルフ神話」が出てくることでしょう
クトゥルフ神話は、怪奇・幻想小説の先駆者H・P・ラヴクラフトらによって生み出された架空の神話で、詳しくはないので詳述は避けますが、「太古の地球を支配していたが、現在は地上から姿を消している強大な力を持つ恐るべき異形の者ども(旧支配者)が現代に蘇る」といったテーマを取り扱っています。

『近畿地方のある場所について』は、謎の残され方と明かされ方のバランスが実に絶妙でした
結局何だったのかわからなさすぎても放り投げられた消化不良感が強く残ってしまいますし、説明されすぎても恐怖が薄まってしまいます。
その点、本作に出てきた資料を結ぶ経緯はだいたいわかりつつも、その起源は謎のまま終わっていました。

キーワードとして残されているのは、「悪魔」「鬼」でしょう。
あきらくん母子を遡ればましらさまに、ましらさまを遡ればまさるに辿り着き、「山へ誘うモノ」「赤い女」「あきらくん」という本作のメインの謎はある程度明かされます(それも盲信できませんが)。
しかし、そもそもあの石はどこから来た何なのか?という謎が残りますが、そこはクトゥルフ神話的な起源があるとすると、「はるか昔から存在し、復活しようとしている人智を超えた何か」と解釈できるに留まります

SNSでは「怪異が実在すると仮定して書いたものです」と述べられていたので、「実はすべて現実的・科学的な説明がつく系」でないのは確実です。
もちろん、クトルゥフをそのまま流用して当てはめれば良いわけではないはずで、単純に「ここから先は人智を超えた世界ですぜ……」という理解で良いでしょう。

「石=隕石では?村の女性はそれに当たって死んだのでは?」という考察も見かけました。
それは「宇宙」「スピリチュアル」といったキーワードとも繋がる一つの説得力が感じられる解釈です。
ただ、何となくの印象からありもしない繋がりを見出してしまうのが一番危険でもあります。
「人智を超えた何か」以上の確実な解釈は不可能であり、隕石説も含めて個々が納得できるものを見つけるしかないでしょう。

触れられていない部分についていくつか

上述した前提を踏まえつつも、自分なりの解釈を少し。

まず大枠の根源としては、鬼かな、と思います
天から降ってきたという人喰い鬼です。
「神社由緒看板」から読み解くとすればそれしかないかと思うのですが、意外と触れられていなくて、あれ?と思っていたのですが、この「神社由緒看板」の部分、パッと見カクヨム版では見当たらないので、書籍化に当たって加筆された部分なのかもしれません。

断片的な文章(というか文字)から想像するには、「天から鬼が降ってきて人を食べ、それを鎮めて祀って、5月3日に鎮める祭りが行われるようになった」といった雰囲気です。
「読者からの手紙 2」にも「悪しきは鬼」と書かれていましたし。

ただ、鬼が根源なのか、使者的な位置付けなのかはわかりません。
作中に5と3が多い(5号棟の3階、5時のチャイムが3分遅れる、53番目の写真が暗い口の写真)のも、上述した祭りの日付と関連しているのでしょう。

まさるについては、女性を殺害したのかはわかりませんが、おそらく知的障害だったのではないかと思います
当時の言動からもそうですし、怪異化(?)してからのブログへの書き込みの文章や、林間学校で聞こえた声の単調な調子なども、それを支持します。
おそらく当時は理解がなかったので、それが理由で村八分にされたのでしょう。

人形を作ったり、教えられた言葉を勘違いして「柿があるからおいで」と女性なら誰でも声をかけしたりはしていましたが、暴力性は見られないため、何があったにしてもいきなり石で女性を撲殺するというのはやや突飛な印象です。
石に自ら頭をぶつけて死ぬというのも同様。

一つの解釈は、上述した隕石説。
宇宙から降ってきた隕石が女性に当たって、たまたままさるの家の畑に転がり落ちた。
あるいは、石自体が不穏な存在であり、まさるを狂わせた。

もう一つの解釈は、まさるは殺していない説です。
たとえば女性の夫が喧嘩の末に撲殺してしまい、石をまさるの家の畑に捨て、罪を被せた。
もともと村八分にされていたまさるが、これを機に石で殴って殺された。
人間、自分の都合の良いように解釈したり伝えたりするものです
自殺したというのは、村人たちによる都合の良いエピソードということです。
祠がもともとあったとすれば、こちらの可能性の方が高いように感じます。
書かれたり語られたりしていた内容を鵜呑みにしてはいけない、という視点は大切でしょう。

顔つきだけで判断してはいけませんが、あきらくんの写真も、年齢の割に幼く口を開いているように見える表情で、知的な面で偏りがあるとしても不思議ではありません。
あるいは、斜視であったり口唇口蓋裂であったようにも見えなくはないので、いずれにせよ、そのような点からまさるのように差別的ないじめを受けていた可能性は推察されます。

と、ひとまずは以上として、その他もし何か思いついたものがあればまた加筆したいと思います。

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